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2023年8月3日木曜日

「はだしのゲン」削除問題が私を突き動かします

 先日放送のあったNHKのクローズアップ現代『「はだしのゲン」教材からなぜ消えた』の回を観て、私が思っている事を書きたいと思います。


「はだしのゲン」の舞台となった広島市の、現在の広島市教育委員会が、10年前に小学生向けの平和教育学習教材に引用した漫画「はだしのゲン」を、2023年度版から削除した。昨年、改訂に関する現場教員との意見交換の席では削除という話にはならなかったのに、削除の明確な理由、プロセスが示されないまま、2023年度版から突然削除された。

この問題はマスコミに取り上げられる様になって、教育委員会が削除の理由として示したのは、

・「はだしのゲン」で描かれる描写が、現代の子供たちの生活実態に合わない、また、「(道徳的に)誤解を与える恐れがある」

・被曝の実相に迫りにくい

そして、保守団体などからの削除圧力が影響したかとの問いには、全くなかったと回答している。


この「はだしのゲン」削除のニュースを聞いて、まず思ったのは、「二宮金次郎像撤去」ニュースと同じだ、という事です。

今の生活実態にそぐわないから撤去せよ、削除せよという一定数の示威運動に、必要性の説明や話し合いを持ちかける事をせず、批判を受けないために、もしかしたら説明や話し合いの労力こそ無駄と考えているのか、なんの為らにもなく撤去や削除に踏み切ってしまう、こんな風潮が、今の世を席巻しているという強い危機感です。


次に思ったのは、教育が指導手順に則ってしか行えない現在の教育現場への危機感です。

平和教育、平和を教育する、聞こえは良いが、私自身、平和とは何か?を簡潔に説明することが出来ません。平和とは何か?とは常に探求を必要とする哲学のテーマだと考えるからです。時代や国、一人ひとり考え方が違えば、平和の捉え方は千差万別だと考えます。


こんな意見もありました。私たち平和を享受している日本人だからこそ平和教育が行えると。

日本は78年前の戦争で敗戦の道をたどり、軍事力は壊滅させられ、末期には、全国津々浦々まで焼夷弾で火の海にされ、沖縄は地上戦で殺戮の場となり、広島と長崎は原爆投下によって焦土となりました。そしてようやく日本の支配者たちは敗戦を受け入れました。日本は占領されました。占領下で、新しい憲法が発布され、そこには戦争放棄、武力放棄が書かれていました。そして私たち日本人の多くは、日本が独立国として復帰後も、新憲法を御題目の様に唱え、それが平和の形なのだと信じて、今日に至っています。

日本は平和でしょうか?探求が必要な平和という概念などまるでない様に、戦争を放棄したのだから世界一平和な国だ、と言わんばかりに、平和の二文字にすがりついています。

この78年、戦争で対峙し、日本を負かしたアメリカは、今や日本人にとって、なくてはならない友邦国となりました。戦争が生んだ深い遺恨は水に流され、両国の国民には深い友情と信頼、尊敬が保たれる様にもなりました。

しかし安全保障の面においては、日本はアメリカの支配を受け続けています。敗戦の日本を占領したアメリカ軍は、現在は日米安保の名のもとに、日本全土を縦横無尽に機動する権利(支配権)を維持しています。

また、戦後に朝鮮半島に成立した二つの国は、長年、日本の安全保障において脅威であり続けました。韓国は、時の政権覇者によって友邦国の様になったり、敵対国となったりです。そして北朝鮮は、日本人拉致に始まり、様々な犯罪の温床であり、そして近年ではミサイル開発、原爆開発が異常な脅威を生み続けています。

冷戦期において、ソ連は日本を冷戦の最前線として捉え、常に武力による脅しをかけ続けていました。ソ連が崩壊して、ロシアと名称が変わっても、実態は少しも変わらず、再びプーチンという独裁者がロシアを支配して、底知れぬ領土拡大欲によって、ウクライナ侵略戦争へと突き進み、東アジアにおいても、威嚇や恫喝を通り越して、いずれは侵略してもおかしくない有様です。

戦後に中華民国を台湾に追いやって、中国大陸で成立した中華人民共和国は、自ら掲げた共産主義で国を滅ぼしかけますが、共産党という支配組織を維持しながら、実態的に共産主義を捨て、デモクラシー国家の経済活動である資本主義と自由経済を取り入れて、海外資本や技術を吸い込んで、30年たらずで世界一の経済力と軍事力を有するアメリカに脅威を与える存在となりました。そしてその中国も独裁国家の姿を呈してきました。


平和が戦争の脅威のない状態を表すならば、自らを守る術(いくら優秀な隊員を有する自衛隊があって、有数の新型兵器を有していたとしても、憲法がそれを否定しているため)を持たない日本は、アメリカ軍の安保という信義に頼るだけの日本は、張りぼての平和の国と言わざるを得ないと思います。


「はだしのゲン」削除問題で、もう一つ聞く事は、教育に政治的に偏った思想を取り入れてはいけないという各思想団体からの圧力が、実際あるという事です。そのために、どこからも非難されない、無難な指導内容が選択され、それに沿ってしか、教師は子供たちを指導できないという制約です。

でも、誰かが指導要領を決め、それを上意下達で通達され、下位では、考える事が許されないでは、政治的な偏りそのものだと思います。

現在の日本の支配者層の思想で、教育が改悪されてしまう、そういう危機感を覚えます。


それならば、誰かの平和思想に縛られる事になる平和教育は止めにして、教育の現場で、教師も生徒もともに、戦争について考えてみてはどうかと思います。

人間は何故戦争をするのか

これまでの戦争が、どれほどの悲劇と悲惨を生んできたのか

これから戦争が起これば、私たちに何をもたらすのか

教師と生徒が、そして生徒の家族も巻き込んで、みんなで知る、みんなで考える

そして、私たちはどうすればよいのかを真剣に考える


過去の戦争を知る資料なら、私たちの先人は多くのものを残してくれています。それを教材にすればいい。誰かが指定したものではなく、みんなで持ち寄り、学び考える、そして共有する、それが、教育に求める、本来の形ではないかと思います。


p.s.

私は漫画「はだしのゲン」を全部読破した記憶はありません。でも子どもの頃に一部を読んで強烈な印象を今も残しているシーンがあります。ケンが荼毘に付され白い骨となった母を、泣きながら食らうシーンです。考えられないほどに悲しく辛い思い出です。


原爆についての資料として、私が第一級と思うのは、長田新先生が編んだ、被曝した広島の少年少女が書き記した被爆体験の作文集「原爆の子 -広島の少年少女のうったえ-」です。読み進めるほどに、彼らひとりひとりの体験が、津波の如く何度も心に押し寄せてきて、それは、鮮やかな色、光、匂い、そして、痛み、苦しみ、死、を私の心に刻んでいきます。本当に、あの日、あの場所に、自分も居たかの様な気持ちになります。

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