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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2024年1月1日月曜日

百寿

年が明け、2024年(令和6年)になりました。

そして母郁子は、百寿を迎えました。1925年(大正14年)7月28日生まれで、今日で数えの百歳です。

母は、戦時下で青春時代を過ごし、終戦の年に成人式を迎えた母です。

それなりに波瀾万丈の人生を生き抜いて、90歳を超えたあたりから認知症状も進み、今ではどこに住んでいるのか、誰と住んでいるのか、もしかしたら不安で一杯かも知れませんが、日一日を淡々と過ごしています。

何をするにも介助が必要ですが、それでも本人が気持ち動いてくれるから、介助作業も張り合いが持てます。そこが我が母ながら凄いな、と思います。


 

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