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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年7月13日水曜日

放送倫理が問われるドラマ、観ました。

昨夜、人気女優の波留さん主演のドラマが始まるというので眠い目をこすりながら観ました。そして、目が覚めました・・・違う意味でね。

超常現象による殺人?異常殺人、猟奇殺人を描くドラマで、こんな凄惨な場面を放送して良いのか?と疑問を覚えました。波留さん演じる主人公の女性刑事も、殺人事件に異常なほどに興味を持ち、同僚の女性警察官殺害現場に足を踏み入れても動揺することなく、まるで標本を眺めるように観察にのめり込むような異常者?でした。

映画にはレーティングがありますね。性描写や暴力描写、酒・タバコ・麻薬の表現等々を含めた映画が表現するものを全てを映倫が審査し、観る事のできる年齢の下限が決定されます。業界の自主規制です。表現の自由の暴走から、とくに子供の視聴者を遠ざける、守るための大事な処置だと思います。(ただ、これも不完全なものであるということも承知していますが・・・)
テレビにも放送倫理がありますが、いつもこれは放送した後で問題が問われます。放送事故というものを完全にシャットアウトすることは難しそうですが、でもドラマや台本のあるトークショーなどは内容を十分に吟味する事、また試写・試行などを行う事で、あらかじめ放送倫理に照らし合わせる事は十分に可能だと思います。
しかし、最近ではドラマだけではくニュースショーでも殺人の場面や死体を平気で流します。表現の自由の暴走として、強い憤りを覚えます。
テレビ放送は視聴者に年齢制限することなどできません。さらにネットと融合した番組視聴は何ひとつセーフティネットがありません。そのことを放送局や放送に携わる者、放送を文化とする人達は、しっかりと頭に置いて、視聴者を、そして放送文化を健全に守って欲しいと強く願います。

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