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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年10月9日金曜日

「無痛~診える眼~」というドラマが始まりましたね

西島秀俊主演ということで、第1回を観ました。
冒頭、西島秀俊演ずる主人公為頼英介が、末期癌の患者を訪問診察している様子が描かれていました。長い癌との闘病の末、最後の一時は住み慣れた自宅で過ごしたいと希望する患者が兄と重なって、じんときました。

このドラマは、医療クライムサスペンスを描くドラマだということですが、今後のドラマの鍵はタイトルにもなっている「無痛」だと思われます。
近代の医療では、「痛みを和らげる」ことも一つの大きなテーマになっていると思います。
痛みはとても身近にあって苦しみを伴う感覚です。
少し皮膚がすりむけても、しばらくはじんじん痛む。
虫歯の痛みは、顔が腫れ上がるほどにじんじん痛む。
感染症で手足が腫れ上がれば、その痛みはまるで四方八方から針に刺され続ける様な痛みです。
身体を大怪我すれば、その痛みは炎に焼かれる様な痛みです。
でも、臓器が蝕まれていく痛みは経験した事がありません。ただ、これまで幾度となく辛い思いをしている人を間近に見て、想像する事はできます。
その痛みは、先に挙げた痛みを超えた最上級の痛みであり、それは止むことが無く、蝕まれゆく臓器の広がりとともに全身に広がります。そして、その痛みはやがて心も蝕んでもゆきます。けっして死ぬまで許されることのない痛みは、自らの尊厳さえ失わせ、生に無慈悲となり、死を乞う様にもなります。
ですから「痛みを和らげる」という医療行為は、身体を治療する以上に、自らの尊厳を失わせないためのとても大切な医療行為だと実感します。

私たちが気軽に使う歯痛や頭痛、胃痛で飲む薬も痛みを散らすという意味では麻薬の一種です。
モルヒネという名は、戦争映画などでよく耳にしますが、こちらは即効性の麻薬です。
終末医療で使われる麻薬は、それ以上に強い効力のある麻薬です。ほんの小さな紙片程度のパッチを皮膚に張るだけで、丸一日中とんでもない痛みを軽減し続けてくれるのです。
そんな強力な麻薬をもし健常者が使用すればどうなるか、一変に麻薬中毒に陥るばかりか、最悪一気に死に至らしめらることになるでしょう。
ですから麻薬は、厳格に管理しなければなりません。

そして「痛みを和らげる」の究極が「無痛」です。
現代の最先端生化学は、たぶんですが「痛み」のメカニズムをすべて解明し、しかも「痛み」を完全にブロックする、いわゆる「無痛」にする方法や手順を既に手中にしているものと思います。しかし、何かがクリアになっていないために公にできないのだと思います。それは「倫理」だと想像します。
あるドキュメンタリーで、アメリカ軍がある兵器を開発している様が映し出されました。
それは医療行為によって「痛み」をブロックされた人体兵士でした。
もしこの人体兵士が、身体の痛みどころか心の痛みまでブロックされていたとしたら、どうなるでしょう。それは、致命傷を負わない限り戦い続けることができる、まるで無感情なロボット兵士です。

「無痛」が万一も「無感情」を招くとしたらとても恐ろしく思います。
このドラマが追う恐怖も、この辺にあるのかなと想像します。

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