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”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年4月19日日曜日

「花燃ゆ」の楽しみ方

大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率が、宜しくないようですね。
でも私は面白いと思うし、毎週欠かさず観ています。
そこで、私の「花燃ゆ」の楽しみ方、見所を書き記したいと思います。

私は日本史の中で特に江戸時代の終わり、名も無き若者達までもが新しい時代作りに奔走して命の火を燃えたぎらせた、この幕末という時代に一番の思い入れがあります。
この幕末という時代が、何故に私をわくわくさせるのか?
それは、身分や序列に関係なく、多くの日本人が
フロンティアスピリット
開拓精神に突き動かされて、夢を信じ、夢を実現させるために駆け出した時代であったからです。

その夢の一つである、日本の国のカタチを変えるという夢を信じ、その夢の実現の為に奔走した若者達を描こうとしているのが「花燃ゆ」です。
そしてこれまでの大河ドラマは、覆すことのできない時代というものの視点から、偉人達の活躍を眺めるというスタイルで描かれていましたが、
「花燃ゆ」は、名も無き若者の一人として共に時代に翻弄されながら成長していく主人公の視点で、後に偉人と呼ばれる事となる若者達の奮闘ぶりを見つめるというスタイルで描かれています。
私たち視聴者は、幕末という時代の出来事を主人公の活躍を通じて追随するのでは無く、これから始まる幕末の出来事を主人公と共に体験していく、これが「花燃ゆ」の見所です。

そして、第一話「人を結ぶ妹」が描いた様に、名も無き主人公の文を通じて、また文が見つめるところで、どんどんと人と人とが繋がっていく、これも「花燃ゆ」の見所です。
はじまりは、兄吉田寅次郞(松蔭)と後に文の夫となる小田村伊之助の出会いです。藩校明倫館で封建的な教授連を前して、「学ぶと云うこと」の情熱を共に堂々と弁じあい、この鮮烈な出会いによって、二人は腹心の友となりました。

二人が情熱的に弁じた「学ぶと云うこと」の本質は、温故知新です。
故きに留まるのでは無く、また新しき事に闇雲に飛び移るのでも無く、先人の知恵や教訓を大切にしながら、どんどんと新しい知識や考えを吸収して、もっともっと目を開き、社会が良くなるために国が良くなるために働ける者となる事です。
そんな魅力的な思想が在野の若者達を虜にし、彼らを志士や壮士に変貌させたのだと思います。そしてドラマでも、文が結びつける若者達が、志士や壮士に変貌していく有り様が描かれます。これもまた「花燃ゆ」の見所です。

そして登場人物は、現代の私たちの感性に近いキャラクターで描かれています。
主人公である実在の人物杉文を演じるのは井上真央さん。
彼女は、杉文の評伝など殆どない筈なのに、健気でありながら、松蔭をはじめとする松下村塾に集う硬派で純粋な若者と渡り合う合う事ができる杉文という真新しいキャラクターを見事に造形し、演じられています。
幕末動乱を引き起こした人物の一人である吉田松陰を演じるのは伊勢谷友介さん。
彼は、吉田松陰から連想する”純粋さ”、”丁寧さ”そして”狂おしさ”を、全身全霊で見事に演じきられていました。かの「龍馬伝」でも、高杉晋作の”狂おしさ”を見事に演じられていましたね。もう後一話で、早々と出番が無くなるのが残念です。
そして俳優達が、演じる人物に尊敬の念を抱きながら演じている事に気付きます。
これもまた「花燃ゆ」の見所です。

どうです、結構見所満載でしょ
この点をおさえて「花燃ゆ」とことん楽しみましょう。

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