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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2017年10月10日火曜日

「ダンケルク」は美しすぎる戦争映画でした。

この秋話題の映画「ダンケルク」は、公開早々に観に行きました。
なんといってもクリストファー・ノーラン監督の最新作ということ、そして「インセプション」の様な時間のマジックで史実「ダンケルクの大撤退」を描いているということで、大いに期待感を持って観ました。

でも、見終わって最初に思ったのは、何故にノーラン監督は「ダンケルクの大撤退」を描いたのかという疑問でした。
「ダンケルク」で一番に感じ入ったのは、「感動的なほどに美しい映像」です。
ドーバー海峡の海原上空で、イギリスvs.ドイツの戦闘機同士のドッグファイトは、宮崎駿監督が「紅の豚」でポルコ・ロッソとドナルド・カーチスに演じさせた空中戦を彷彿し、戦闘機が青い海原の上空で糸を引く映像は息を呑むほど美しかったです。また民間のヨットが兵士救出のために風を切りながら海原を進む映像も美しかった。当然ながら、幾船もの艦船が爆撃機の空爆やUボートの魚雷で大破し沈没する様は大迫力でした。
でも、それだけでした。

物語は三つの時間で進みます。
一つ目は、若いイギリス兵士がダンケルクから救出されてイギリスにたどり着くまでの一週間の物語です。
敗走してダンケルクの砦に逃げ込んだ若い兵士は、無口な若い兵士と連れだって、海岸で黙って救出される順番を待つことをせず(海岸は救出を待つ40万の兵士で溢れています)、あれやこれやと悪知恵(浅知恵)を絞って人より先に救助船に乗り込みます。そこでまたひとりの若いイギリス兵士と意気投合します。しかし、その船はすぐにUボートの餌食となって大破し、三人は海に投げ出され、またダンケルクの海岸に逆戻りします。三人は、海岸に打ち上げられた漁船を見つけてその船に忍び込みます。満潮になれば船は海に流されると考えたからです。しかし、同じように考えたイギリス兵の一団が先に乗り込んでいました。イギリス兵たちは無口な兵士をドイツ兵と疑って撃ち殺そうとしますが、そこで彼が口を割りフランス兵だと解ります。
その漁船は、ドイツ兵の格好の射撃の的でした。船の中の兵士たちは息を殺して満潮を待ちますが、潮が満ちても船はなかなか浮きません。重量が重たすぎたのです。イギリス兵たちはフランス兵を除外しようとしますが、その時船は浮き上がり海へと流され始めます。安堵もつかの間、船は無数の銃創から流れ込む海水で沈みはじめ、三人も船倉から逃げだそうともがきます。しかし、フランス兵は逃げ遅れ漁船とともに沈みます。
なんとか溺れ死にから免れた二人の若いイギリス兵は、近くに見える艦船に乗り込もうと近づきますが、その船も爆撃機の空爆を受けて大破し沈没します。そして恐れることに重油が辺り一面に漂います。火がつけばもう命はありません。
しかし二人は、寸前のところで民間のヨットに救助され、命のあるままイギリスの港に帰還することができました。イギリスではダンケルクからの帰還兵は英雄となっていました。二人は脱走兵として糾弾されると恐れていましたが、この大歓待に戸惑います。

二つ目は、所有のヨットでイギリスを出港した民間人の船長家族が、乗せられる限りの兵士を乗せてイギリスに帰還するまでの一日の物語です。
船長は二人の子供を乗せて、ドーバー海峡を越えフランス、ダンケルクを目指します。その航行の途中、海に漂うイギリス兵を救出しますが、兵士がダンケルクに向かう事を拒否して暴れたために、その事故で下の息子が打撲を受けて瀕死の重傷を負います。それでも船長は救出に向かうことを決意して、青く輝く海原の向こうで異様に高い一筋の白煙を放つダンケルクを目指して進みます。
ダンケルクの海は、さながら地獄の様相です。艦船は沈み、重油は辺り一面を覆い、その重油の海に大勢の兵士が浮かんでいます。船長は、火災の危険も顧みず、乗せられるだけの兵士を乗せて、そして船首をイギリスに向けて急いで危険地帯から脱出します。
イギリスに帰還して、船長の慰めとなったのは、次男の死亡を新聞が英雄の死と称えたことでした。

三つ目の物語は、救助艦船を空から護衛するためにイギリスから飛び立った戦闘機乗りが、ガス欠でダンケルクの海岸に不時着しドイツ兵に捕縛されるまでの一時間の物語です。
三機編隊でダンケルクに向かう途中、ドイツ空軍の襲撃に会い二機が墜落します。残った一機も空中戦で傷つき、また燃料も乏しくなって、ダンケルクに向かえば帰還が叶わない状況に陥りますが、戦闘機乗りはダンケルクに向かう決断をします。
そして桟橋で兵士を積み込む艦船が爆撃機の攻撃に晒されるのを阻止した後に、ガス欠に陥って海岸に不時着します。戦闘機乗りは戦闘機に火を放ち、そして近づいてくるドイツ兵を迎えます。

以上があらすじです。
映画では、ドイツ兵を影として描いていました。人間の姿は、映画のラストで戦闘機乗りに近づく兵士の輪郭が映るだけでした。ドイツ軍の戦闘機や爆撃機は獰猛な鷹や鷲として描かれていました。彼らはその俊敏さと重厚さで空を制圧していました。ドイツ軍のUボードは貪欲なホオジロザメととして描かれていました。彼らは海の上に漂う生をすべて食らい尽くしていました。そしてダンケルクを取り囲むドイツ兵の存在を物語るものは、機関銃の音だけでした。
もう一つは、惨たらしい死体は一つもありませんでした。機関銃で撃ち殺された兵士も爆撃で吹き飛ばされた兵士も、音が去った後は、血しぶきもなくただ横たわっているだけでした。戦争映画というよりも、戦争を扱った舞台演劇を観ているような面持ちになりました。

とにかく映像は迫力があり、吸い込まれるほどに幻想的で、美しかったです。
でもそれ以外、物語として胸に残るものはありませんでした。

ウィキペディアで「ダンケルク大撤退」のテキストを読むと、
この作戦を成功させるために、フランス軍の2個師団が撤退を援護するために残ったと書かれていました。彼ら数千名は、撤退が完了した後、ドイツ軍の捕虜となったということです。また、映画ではイギリス軍は、兵力を温存するために艦隊や戦闘機を大撤退の作戦につぎ込むことに躊躇して、民間の船を大量に摂取して救出作戦にあたらせた様に描かれていましたが、実際にはイギリス軍もフランス軍もかなりの数の艦船や航空機を失ったと書かれていました。そして、救出した兵士の70%は大型艦船で救出されたと書かれていました。

映画を観て、知らなかった歴史に興味を持てたことは有意義でした。しかし、たとえばスピルバーグが描いた「プラベート・ライアン」を観た後の様な戦争が引き起こす無情さや無益さを感じることはありませんでした。
いまもって、何故にノーラン監督が、ダンケルクを描こうとしたのか、その理由というか、思いが解りません。

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