物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺された当人である若侍の金沢武弘(の霊が憑依した巫女)それぞれが、検非違使の取り調べで、事件の真相を語るという物語です。検非違使とは現在の検察官の様な役人です。映画では、刺殺体の第一発見者として名乗り出た杣売り(切った木を売ることを生業とする)が、実はその殺人の一部始終を藪の中に潜んで見ていたというオチで終わります。
不可解なのは、取り調べを受けた三人が三人とも自分が殺したと話したことです。
多襄丸が語る真相です。
街道で若い夫婦連れと出会い、女があまりにも美しかったためにすぐにでも犯したくなり、男を騙して信用させて、藪の中に誘い込み、そこで松の大木に縛り上げた上で、女を男の目の前で犯した。事が済んだ後、泣き崩れる女があまりにも美しく、その女から二人の男に辱めを受けたからには、どちらかに死んでほしい、そして生き残った男の女になると懇願されて奮い立ち、男の縄を解いて、大刀で正々堂々と立ち会った末に男を斃した。しかし、気づくと女は姿をくらましていた。やむなく男の弓と太刀、それに女が乗っていた馬を奪い逃げた。そして最後に、俺も名の知れた盗賊多襄丸だ。首を取って晒すがいいと粋がって話を終えます。
次は真砂が語る真相です。
男に犯され、事が終わった後、夫を見ると蔑んだ目で私を見ていた。男は夫の持ち物を抱えてそのままどこかへ行ってしまった。私は惨めで悲しくて、夫の元にすり寄って、懐剣を取り出してともに死んでと懇願したが、夫の目は私を蔑むばかりで、私は懐剣を握りしめたまま意識を失った。そして気がつくと夫は絶命していて胸に短剣が突き刺さっていた。私もその後を追って何度も死のうと試みたが死にきれなかったと話して終えます。
最後は、金沢武弘の霊が憑依した巫女が語る真相です。
目の前で妻が犯された。事が終わって、私は妻を慰めるために目配せした。しかし悪漢はなんと妻に頭を下げて自分の女になって欲しいと懇願しだした。それはもう情けないほどであった。そんな悪漢に対して、妻はふてぶてしくも、それではまず夫を殺してと命令した。そんな妻の豹変ぶりに悪漢も気持ちが冷めて、私に対して、女を殺すか生かすか決めろと言った。その問答の最中に、妻は逃げ出して姿が見えなくなってしまった。悪漢は私を縛る縄を少し切って、私の持ち物を抱えてどこかへ行ってしまった。私は生きていくのが情けなくなって短刀で自殺したのだと話して終えます。
映画では、羅生門に雨宿りに来た下人が、杣売りに退屈しのぎにその不可解な話をせがむところから始まります。杣売りは三人が語った真相を話し終えた後、違うんだ、私はその一部始終を偶然にも藪の中に隠れて見ていたと、自分が見た真実を語り出します。
事が終わった後、多襄丸は真砂に俺の妻になってくれと懇願します。では決闘して勝った方の妻になると真砂は話し、自ら夫の綱を切り二人に決闘を促します。でも二人の男は臆病になって、夫の金沢武弘に至っては、そんないやらしい女など多襄丸にくれてやると言い放つ始末です。すると先ほどまで美しくしおらしかった真砂は豹変し、高笑いをしかたと思うと、二人の男を臆病者、卑怯者と罵り始めます。その罵声に、堪らず多襄丸は刀を抜いて金沢武弘に襲いかかり、へっぴり腰の取っ組み合いが始まります。二人の男は何度ももつれ合い倒れ合い、そしてふと多襄丸が我に返ると金沢武弘が絶命しています。振り向くと真砂は逃げていませんでした。そして多襄丸は金沢武弘の持ち物を抱えて逃げたのだと、杣売りは話し終えます。
下人は、なぜにその話を検非違使に話さなかったのだと問い詰めた上、死体の側に犯行に使われたと思われる短刀がなかったというが、お前が盗んだのだろと確信を突いてきて、言葉に窮した杣売りに、お前も盗人だ、お前の話も信用できんと言って、雨の上がった羅生門を出て行きます。
映画を見終わっても陰鬱な気分はしばらく続きました。でも、物語の筋立ての面白さには魅了されました。黒澤明監督は、芥川龍之介の短編小説「羅生門」と「藪の中」をベースにこの物語を描いたというのは有名な話です。それでふと、この二つの小説を読んでみたくなりました。そして早速読んでみると、小説「藪の中」は金沢武弘の霊が憑依した巫女が語る真相で終わっていました。小説には、杣売りが語る真実の下りはありませんでした。杣売りの証言は、この不可解な事件についての、黒澤明の真相の解釈などだと理解しました。
しかし、奇しくも黒澤明が下人に言わせたように、杣売りの証言も、私は真実として受け取る事ができませんでした。映画を観た後も、小説を読んでからも、それは一貫していました。私は、真砂こそ真犯人ではないかと思えてならなかったのです。
映画では、真砂は多襄丸を拒むことなく受け入れているように描いていました。そして、とても妖艶で、さらには愛憎のとても強い女としても描かれていました。
そして小説には、真砂の母の証言がありましたが、それがなんとも嘘くさく思えました。
真砂の母は、娘真砂は今年19歳で、顔は浅黒く、左の目尻に黒子のある、小さな瓜実顔で、男に負けぬ勝ち気な女と証言しています。そして、夫金沢武弘以外に男を持ったことがないとも証言しています。平安時代は下膨れのふくよかなのんびりとした女性が美人なのだと思っていました。しかし真砂は、そんな想像とは全く違う、とても現代的で、野性的で情熱的で男好きする女性に思えました。また、多襄丸を拒むことなく、多襄丸を夢中にさせるほど濃密に相手をしたようにも思えました。つまり勝ち気で奔放で淫靡な女性に思えたのです。
そこで、芥川龍之介が「藪の中」の着想を得たという今昔物語集第二十九第二十三「妻を伴い丹波国へ行く男が大江山で縛られる話」も読んでみました。
妻が盗賊に犯されるまでの下りは「藪の中」とほぼ同じです。ですが盗賊は事が終わった後、女に対し、名残惜しいが私は行く、其方に免じて男の命は取るまいと、女の着物を奪わずに男の持ち物をだけを奪って逃げていきました。女は縛られた夫を解放し、そのまま里に向かいます。最後に妻が語ったところによれば
(自分を犯した)若い男のこころばえは見上げたものである。(それに対して)夫は実に頼り甲斐がない。山中で見知らぬ男に弓矢を取られたことは実に愚かである。
次に芥川龍之介その人の事を知りたくて、図書館で「高宮壇「芥川龍之介の愛した女性―「薮の中」と「或阿呆の一生」に見る」を少し読みました。
芥川龍之介には愛人が幾人もいましたが、その中の歌人秀しげ子という人妻に、一時特にぞっこんであったといいます。二人はW不倫関係でありました。しかしその後、芥川龍之介が高雅な歌人だと思い込んでいたしげ子が、実は誰とでも関係を持つというふしだらな女であることを知ります。それ以降、芥川龍之介は自殺して果てるまで、終生しげ子の名を口にすることはありませんでした。芥川龍之介という人は、相手が人妻であっても愛し寝取ってしまうというという自由奔放な気質のくせに、相手の女性には高雅さ高潔さを求めていたという、とても身勝手な人であったのだと思い至りました。
そういう芥川龍之介の女性感で真砂を眺めると、真砂はとてもしおらしい女性とは到底思えなくなりました。高雅を装う下にはとんでもない放漫で淫靡な女性の匂いがします。
そうなると、二人の男、多襄丸と金沢武弘は見事に真砂にもてあそばれて、それが恥ずかしく、金沢武弘に至っては死んでも恥を晒したくなかったのでしょう。そして真砂の証言もとても怪しく、もしかした頼り甲斐のない夫をかっとなって殺してしまったというのが本当の真相なのではないかと思います。
それでもやはりこの事件の真相は藪の中です。真相を知りたければ、芥川龍之介の霊を呼び出して、直接真犯人は誰かと尋ねるしかないでしょうね。
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