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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2017年8月17日木曜日

藤浪の復活についての意見

藤浪投手の復帰戦は、
5回を保たずに
7安打、7四死球、3失点
死球は大瀬良投手にでした。

藤浪晋太郎は、大谷翔平とならび、野球少年のあこがれの的にならなければいけない野球選手です。細身ながら頑丈で、160㎞の剛速球が投げられる。本来ならば今年辺り阪神タイガースの真のエースに成長していなければならなかった投手です。

いまにして思えば、去年の懲罰続投が、藤浪投手のメンタルに大きな傷を与えてしまった様に思います。
野茂英雄と鈴木啓示の確執が甦ります。野茂投手は、当時の近鉄の鈴木監督に、何度も懲罰続投を強いられました。鈴木啓示は、野茂のタフさと類い稀な才能よりも、野茂の変則フォームと制球の悪さを嫌いました。そして、自分に従わない野茂をつぶしにかかります。でも野茂はメンタルもタフでした。なんと日本球界に見切りを付けてメジャーリーグに活路を見出したのです。その後の活躍は、自明の通りです。
藤浪と金本監督に同じ確執があるとは思いません。金本監督が、続投を指示したのはたったの1回限りです。それは、藤浪を覚醒させるための荒療治であったのだと思います。
でもこれは、大きな誤りだったように思います。高校時代から栄光の道を歩み続けてきた藤浪は、これまでも相当なプレッシャーに晒され続けてきました。その中でタフになりきれていないメンタルを守る術を身に着けてきたのだと思います。それは、他人と一定の距離感を保つという術です。藤浪を見ていると、好青年ですが、必要以上に冷めた印象を覚えます。隙を見せないということでしょうが、それは常に感情の高ぶり抑制しているとも言えます。でもそれは、平常心とは呼びません。平常心とは、どんなに感情の高ぶりがあっても、そして感情が乱れても、平常時と同じに自分をみつめられる心のことだと思います。
藤浪は、体の成長と球速が上がるほどに制球に難が生じてきました。それでも様々な試行錯誤を繰り返し、一昨年、遂に自信をもって投げられる投球フォームを完成したように見えました。でも、長くは続きませんでした。去年、再び制球難が藤浪を苦しめます。右バッターに、それが投手であっても、投球がすっぽ抜け、四球、死球を与えます。そんな状況での、あの懲罰続投です。
藤浪は、メンタルを守っていた殻を破られて、丸裸のメンタルが強いストレスに晒されたのではと思います。そして、心の奥底に頭では理解できない、恐怖が植え付けられたのではと思います。

年齢的には二軍の中でも若手である藤浪は、まるで下積み選手のように細々とした雑用までこなしていたようですね。ひとりの人間と見ても、とても誠実で真面目な好青年だと思います。でも、力のまるで劣る選手と対戦しても本来の力を発揮できず、野球選手としての結果が残せない。もしかしたら、頭でなく心の奥底で、一軍で投げたくない、金本監督の下で投げることを怖がっているという、嫌な想像をします。

このまま阪神タイガースにいて、復活することができず、二軍で燻り、本来の力を失ってしまう様な事態になることは、藤浪本人だけでなく、阪神ファンならびに日本の野球ファンすべてにとって不幸です。
一昨年でしたが、藤浪が仙台で勝利した時、「本当に投げやすかった」と話していたことが忘れられません。プレッシャーの少ないところで、藤浪を復活させる。そういう選択も、阪神タイガースは考えていいのではないかと思います。

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