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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年3月13日日曜日

足の向くまま気の向くままに、神戸路を歩きました。

今年の震災メモリアルウォークは体調不良で参加できませんでしたので、その雪辱の気持ちもありました。

でも最近の運動不足、まずは高砂までならし歩きしました。
日笠山の桜は、まだまだ蕾もありませんでした。この数日の寒さで引っ込んだのかもしれません。眼下に見える大塩の塩田跡地は、太陽発電基地と化していました。水鳥の憩いの場所であった広大な沼地は、どんどんと埋め立てられて、木が一本も無い、パネルの砂漠化が進んでいました。
曽根天満宮の梅は、まだまだ甘酸っぱい香りを漂わせていました。

そして、とことこ歩き、無事高砂駅に到着です。そこから山電に乗って三ノ宮に移動して、早い昼食を食べ、そして須磨に向けスタートしました。
でも、歩き出すと歩いた事の無い道に惹かれます(まあ、ほとんど歩いた事の無い道ばかりですが・・・)。三ノ宮の歓楽街の路地に足を踏み入れて、どんどん歩いて行きますと、生田神社に突き当たりました。雅楽の音が聞こえてきたので境内に入ってみると、社殿でちょうど結婚式が執り行われているところでした。おめでとうの気持ちを込めて、写真を一枚撮らせて頂きました。

そこから北へと進みます。麓に近づくにつれ坂がきつくなっていきます。その坂をフウフウ上がっていく私の横を、若い女性がチャイルドシートに子供を乗せた自転車ですいすいと漕いで上がっていくのです。それは電動付き自転車でした。電動付き自転車の力をまざまざと見せられました。

そして山麓に一番近い東西に道に出、その道を西に向かって進みます。
この辺りは、震災でどの程度の被害があったのでしょう?そんなことを思いながら歩きました。メモリアルウォークで歩く浜手の町は震災で大きな被害を受け、この二十年の復興で町並みは一新しました。でも、はじめて歩く山麓の町並みは、比較する記憶が無いため分かりません。でも、神戸には結構河川が多いことに気が付きました。特に山麓の近くは、どの川も川幅が狭く、流れが急で、くねくね曲がりくねっています。神戸は震災以前に三度も水害被害があったということですが、豊かな山資源を身近に味わえる神戸は、震災だけでなく水害災害もけっして風化させてはいけないのだと実感します。

山腹に立派な御堂が見えました。寄り道をして、細い坂道を登っていくと祥福寺という禅寺がありました。境内に入らせて頂きましたが、僧侶を一人もお見かけしませんでした。ですが、境内は見事に掃き清められていて、まさにそこは清涼な場所でした。南に面して庭が開かれ、その向こうに神戸の町並みが一望できました。登ってきて正解でした。

そこからまた、とことこ西に歩きます。緩やかなアップダウンが続くために、思った以上にしんどかったですが、路線バスの停留所が短い間隔であって、そこには日除けとベンチもありましたので、いつでも休憩が取れる、そう思うと人間おかしなもので、頑張れるンですね、結局ベンチで休憩したのは1回だけでした。
そして夕方前に須磨寺に着きました。

山電須磨寺駅から電車に乗って家路につきました。
東垂水の埋め立て地が、太陽電池基地と化しているのが見えました。
自然の脅威と人工の脅威、人間はいつもその間に立たされ悩み続けるのだろうなぁ、そんなことを思いながら家路につきました。

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