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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年2月14日水曜日

愛しのノルン

今日、家族の中で一番若く、一番小さな、そして誰よりも家族に愛をもたらしてくれた命の火が、突然に消えました・・・

昨日の朝までは、まったく普段と変わらない様に見えました。いや、見ていたように思います。朝、庭に出たけれど寒かったのでしょう、すぐに家の中に入り込み、窓辺に座って外を眺めていました。
家族が最初の異変に気づいたのは午後のことでした。玄関を入ったところにトイレを置いているのですが、そこに寝そべっていたといいます。それからしばらくして部屋に戻ってきたとき、両足を引きずっていました。
ノルンを見たとき、いつも魅了された悪戯っぽいまなざしではなく、焦点の合わない二つのまなこが遠くを見つめていました。そして、いつもの愛おしい甘声ではなく、弱々しい鳴き声を漏らしていました。一瞬で悪夢が蘇りました。5年前、ノルンの双子の弟カムイが事故により衰弱し、亡くなる寸前の姿にあまりにも似ていたからです。
もし、体のどこかにダメージを受けていたなら、非常に警戒心が強くなって、家族を寄せ付けず、たとえ家族であっても体に触れようとすると威嚇し、爪を立て、牙をむくはずと思い、それを確認するために手や顔でノルンの体を触れました。でも、威嚇はありませんでした。
体をよく観察すると、どうやら下半身が麻痺している様子でした。それで、いつも診て貰っている動物病院に電話を入れて、そして連れて行きました。
ノルンは、移動用のキャリーバッグに入れられるのがとても嫌いでした。でも自由の利かない体は無抵抗でした。
動物病院に連れて行くまでの間に、ネットで症状検索すると、「心筋症」や「血栓」がヒットしました。そして、もし原因がこれであれば、助からないと書かれていました。

病院につくと、すぐに診察室に通されました。レントゲンなどの一通りの検査が済んで、先生から状況説明を受けました。
まず、一番気がかりであった心臓疾患ではないという事でした。肺に濁りはなく、心臓も肥大している様子はありませんでした。しかし、脊髄の一カ所が少しくの字になっていて、打撲か椎間板ヘルニアが考えられると言われました。打撲や椎間板ヘルニアに至る要因は様々ですが、その症状により神経が圧迫されて、もしくは神経がダメージを受けて、下半身の自由が奪われている公算が非常に高いという事で、その症状に応じた治療を進めることになりました。
そして、炎症を抑える抗生物質と痛み止め、そして神経組織を修復するビタミンを皮下注射し、そして積便も酷い状況であったので、下剤の座薬を入れて貰い、また明日からの服用薬を処方してもらい、帰宅しました。

家族には、命はべっちょうない、そして先生から貰った、麻痺の症状が出て24時間以内であれば7割近く回復するという言葉を、安心のために伝えました。遠くに住む娘にも、その言葉を伝えました。でも本心は、たとえ不自由になったとしても生きてさえいてくれたらという思いでした。それは家族も同じであったと思います。

家に帰ったノルンは、最初に液状の餌を一本食べました。そしていつも水を飲むコップから水を飲みました。でも、これが自力での最後の食事となりました。
その夜は、交代でノルンに付き添いました。ノルンは不自由な体を揺すりながらコタツの奥に移動し、じっとしていました。
排尿を催すと鳴いて教えてくれました。はじめは側に置いたトイレに向かおうとしましたが、体を運べずにその場に漏らしました。でも以降は、鳴いて知らせてはくれますが、もう体を運ぶという抵抗はしなくなりました。
そして、餌にも水にも見向きをしなくなりました。餌や水の容器を近づけても、前足で痛々しく押しのけるばかりです。注射器で水を口に運ぶと、少しペロペロと濡らしてくれます。

昼、久し振りに暖かい日差しがありましたので、タオルケットのまま抱いて庭に連れ出し、お気に入りの床机の上に寝かせました。少し心地よさそうに見えました。注射器で水を運ぶと、今日初めてむせ、小さく吐きました。その吐き出したものは、これまで見たことの無い黒ずんだ色で、小さな紐状のものが見えました。昨日夜に口にした液状の餌が出たのだと思い込む事にしました。
気になるのは、昨日病院で座薬を入れたのに、まったく排便がない事でした。それで夕方、病院に電話を入れ、診て貰う事にしました。その電話を切った直後の事です。

家族のノルンの様子がおかしいという声が聞こえました。様子を見ると、息が絶え絶えで、舌が出ていました。カムイの臨終を看取ったときの様子と同じでした。なんで!という疑問だらけの気持ちでノルンを病院に連れて行きました。
診察室に入った時には、もうほとんど体は動きませんでした。先生が救命治療を始めます。酸素吸入し、心臓に刺激を与える薬を投与し、心臓から全身とマッサージをしてくれているのが見えました。何分経ったでしょうか。大丈夫、きっと大丈夫と願いながらの時間はとても長く感じました。でもノルンは帰ってきてはくれませんでした。

ノルンは治療の最中、あの黒い液体を口から鼻から流していました。先生は、その液体が血であること、でもそれに混じった顕微鏡で見たら黄色い藻のようなものが何であるが分からないと言われました。ノルンの口を舌にして傾けると黒い液がドバッと口から流れ出しました。気管支系ではなく食道系に甚大なダメージがあったことが分かりました。
そしてノルンの麻痺の原因ですが、ノルンの麻痺は、下半身だけでなく、全身、前足にも広がっていたことから、神経毒に犯されていた可能性が強くなりました。
ノルンが何故にこんなにもあっけなく死ななければならなかったのか、それだけでもハッキリとさせたかった。誰の責任というのではなく、何も分からないままという事が耐えられなかった。そして、家族にも伝えました。

ノルン、5年前に双子の姉弟の姉として家族になりました。誕生日は2月10日だから、5才の誕生日を迎えたばかりでした。
家の家族となったその年の6月に弟のカムイが事故で亡くなりました。まだ生まれて4ヶ月ばかりしか経っていないのに、しばらくはとても寂しそうで、家族は皆心配しました。
でもノルンは病気もせずにすくすくと育ってくれました。
一才を過ぎてからサカリを迎えました。その季節には、とても切なく甲高い鳴き声を出すようになりました。そして二才を迎える前に卵巣除去手術を受けました。それからはサカリはすっかり影を潜めました。それは正直、家族にとっても辛い経験となりました。
私は、猫を飼うことに最初大反対しました。本当に飼えるのかという心配がありました。それはすぐカムイの死で現実のものとなりました。家族の悲しみ、もちろん私も大いに悲しみ、そして猫を飼ったことに後悔を覚えました。
でもノルンは、辛い出来事の中でも、愛らしい娘猫へと成長し、いつしか家族みんなを笑顔にしてくれるとても大切な存在になりました。

ノルンを失ったことは悲しみばかりではありませんでした。ノルンが家族でいてくれた5年間で、人間の家族と遜色の無い愛情が育っていました。ノルンは人の年齢に換算すると30才くらいで、この先、かわらずに元気でいてくれれば10年は一緒に暮らしていけたでしょう。そして私は、ノルンとのこれからの10年を想像することができるのです。それは悲しみではありません。まだノルンの体は居間にいますが、火葬し、その姿を全く失っても、これからもノルンを感じることができると思うのです。
そしてもう一つノルンに感謝したいことがあります。それは、またノルンのような人間で無い生き物とも暮らしてみたいという感情を与えてくれたことです。
愛情を育てられる存在に出会いたいと私に思わせてくれたノルンに、いまとても感謝の気持ちで一杯です。


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