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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年10月3日土曜日

兄の葬儀が終わって数日が立ちました。

長い闘病生活からようやく解放される兄の事で感傷に浸るよりも、残される兄の子らに大した事などできないけれど、彼らを見守りたいという気持ちだけでこの数週間、いました。
そして一緒に兄の最期に立ち会い、葬儀を過ごしました。
通夜の晩は、兄の子らと姉と私の息子を合わせた六名で、兄の柩を守りました。
不謹慎かもしれませんが、兄の子らが葬儀に使うBGM曲を選曲するために数枚の昭和歌謡のCDを借りてきていましたので、少量のアルコールの力も借りて、無理矢理カラオケ大会を始めました。でも始めて見ると、それはとてもみんなの気持ちが弾けた、笑いの絶えない時間となりました。また、あまりの下手な歌声と、歌詞の一節を拾い上げて兄の人生を語り合う様子を見て、兄が怒鳴り起きはしないかという期待と不安がないまぜの時間ともなりました。

しかし、昨日今日は感傷に引き込まれる事になりました。
昨日は、葬儀にお呼びできなかった兄の親友に手紙を書きました。手紙の中で、兄の最後の様子を振り返ることになりました。
また今日は、私の連中に喪中となったため祭には寄れない旨の電話を入れました。連中が掛けてくれる言葉は分かっていました。篤い言葉です。実は、その言葉こそ聞くのが嫌でした。一気に悲しみが込み上げてくるのが分かっていたからです。


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