昨日、お別れに行きました。
享年百年、数えで百歳、満年齢では98歳でした。
遺影は、4年前に撮影されたものでした。4年前といえば、母が今年誕生日を迎えるとその年、94歳になります。
遺影の叔母は、穏やかに笑みを浮かべていました。そして棺の中の化粧した叔母も笑みを浮かべているようでした。とても綺麗でした。50歳も若く見えました。
その叔母の顔を見ながら、寂しいというより、やっとおじさんに再会できますね、内の父にも宜しく、と何やらその旅立ちを喜ぶというか、そんな気持ちでお別れをしました。
生前の叔母に会ったのはずいぶん前の事です。叔母が施設を利用する様になった最初の頃です。叔母はおじさんが亡くなる少し前あたりから呆け症状を発症し、おじさんが亡くなったのも分からなかったといいます。それから少しして施設を利用する様になりました。でも面会した時、私の顔を見てすぐに幼い頃から呼び続けられてきた愛称「のぶちゃん」と呼びかけてくれました。短い時間でしたが、取り留めの無い会話もしました。その時のことを思い出すと、切ない気持ちが湧いてきます。
母は八人兄弟の下から二番目でした。一番下に弟がいました。叔母は母の一つ前の姉でした。母の兄弟は、みんな旅立ちました。
母もすっかりぼけました。毎朝、起こしに行くと、「今日も宜しくお願いします」と丁寧に挨拶を返してくれます。そんなとき、母はいまどこにいるのだろう、と想像を巡らします。目を覚ましてもしんどい時など、「お母さん、調子が悪いから学校休む」ということもあります。あ、いま母は小学生の時代に戻っているのか、と想像します。
でも我に返るときもあります。その時に「お母さん、早く迎えに来て」とつぶやくときがあります。それを聞くと、生きるのが辛いのかと、とても苦しく思います。
叔母の訃報は、母には伝えないことにしました。伝えたとしても、分からないかも知れないし、たとえ分かったとしても明日まで覚えておくことが出来ません。でも一番の理由は、一時でも訃報に接して気落ちするかもしれない、そんな姿を見ることが忍びなかったからです。親不孝な息子です。
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