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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年4月13日月曜日

昨日は、統一地方選の投票日でしたね。

我が町は選挙運動の最中とても静かで、投票日前日に、ふと明日は投票日だったと思い立ち、でも投票券が見つからずにオロオロしてしまいました。我が町が無投票当選区であった事、すっかり忘れていました。
今統一地方選の道府県議選総定数のなんと21.9%が無投票で当選したという事です。兵庫県議選も17選挙区が無投票当選でした。我が町はその一つでありました。

隣の町は、選挙が行われるとみえ国道を行き交う選挙カーをよく見かけました。昼間は滅多に渋滞する事など無い道なのですが、前方に車が無くても、信号が青になっても、道行く人の姿が見えなくても、ひたすらノロノロと運転し、「○○が参りました」「○○が手を振っております」「○○を宜しくお願いします」と連呼し続け、後ろで気を揉む自動車の事などお構いなしでありました。
朝一、車が忙しく行き交う交差点の角に立ち、車に向かってひたすら「○○です、お早うございます」を連呼し続ける候補がいました。
夕暮れに、マンション群の真ん中に車を止めて、締め切られた窓に向かって大音量で公約を演説する候補者もいました。
大変だなぁと同情するとともに、見境無いなぁと嫌悪感を感じる事もしばしばでした。

公約、そして志や夢というものは本来、有権者と顔を突き合わせて語り訴えるものだと思います。ほとばしる情熱と誠意、そして自信と真心で直接に語り訴える事で、有権者の心を揺り動かすと同時に、有権者に示した約束の重さ、責任の重さをしっかりと自覚できると思うのです。
有権者は、本音では公約や志や夢というものは、一朝一夕に叶えられるものでは無いという事を理解しています。でも「誠意を持って仕事をする」「責任を持って仕事をする」という約束は、必ず全うできるし、全うしなければ裏切りと捉えます。
ですから、立候補する者、当選して政治家として活動する者は、少なくとも有権者に約束した「誠意」と「責任」を決して違わしてならないし、違わす事は大罪である事を自覚しなければいけません。

最近、政治家は何をしても身分が守られいるとか、大義の前では何をしても構わないとうそぶく者がいますが、それは勝手な解釈です。それは現法の不備や抜け道であるだけで、必ず正されるべきものです。有権者が、国民が本気で怒れば、そういう輩はいずれ失脚を免れず、また重い罰を背負う事になる旨を肝に銘じなければなりません。それほどに権力を持つという事は大きな責任を背負う事なのだと、自覚しなければなりません。

それにしても思います。
無投票で当選出来てしまうポストなんて、本当に必要なのでしょうか?
選挙制度改革で、
無投票選挙区は、対抗馬がいない選挙区は、候補者も有権者も権利と義務を放棄したものと見なし、次回選挙まで欠員扱いとする。
また国政選挙などの比例代表で当選したものは
所属する党を離れれば、無条件で失職する。また、党が解党した場合も失職するとして、
次の選挙まで欠員扱いとする。
それで次回選挙まで、全く不都合がなければ、欠員数を定数から削除する。
定数の適正化が推し進められて、良いのではと思います。

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