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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年3月22日金曜日

映画『クラウドアトラス』の感想


大きく開いた空に、穏やかな雲が悠然と浮かんだ風景にでくわすと、何だか満ち足りた気分を覚えます。
先日観た、映画クラウドアトラスのエンドクレジットを、そんな気分で眺めていました。

クラウドアトラスは、何の予備知識も無しに観ました。
クラウドアトラスは、時代の異なる、また趣も異なる6つの物語が同時に進行します。そしてすべての俳優は、すべての物語に、全く違う人物で登場します。人種も違えば、肌の色も違う、性別さえ違う人物となって登場します。
そして、くるくるとチャンネルが切り替わる様に、次々と6つの物語が映し出されるのです。
最初は、今どの物語を観ているのかに注意し、次には、それぞれの俳優が、どの人物になりすましているのかを探します。そしてその先には、きっと思いがけない展開、物語の交差点が待ち受けているという期待がどんどん膨らみました。

六つの物語、原作のタイトルに従えば
「アダム・ユーイングの太平洋航海記」
19世紀、奴隷貿易の船中で起こった、白人の若い貴族と奴隷との友情が芽生える物語
「セデルゲムからの手紙」
20世紀初頭、同性愛者の青年音楽家が幻の交響曲「クラウドアトラス六重奏」を完成させて自殺をはかるまでの物語
「半減記 ルイサ・レイ最初の事件」
20世紀中期、原発事故を故意に起こして自らの利権を守ろうとする石油メジャーを命をかけて告発する物語
「ティモシー・キャヴェンデッシュのおぞましい試練」
現代、風采のあがらない老齢の出版編集者が、不正に大金をせしめたことから人生が急転、やくざに脅され、逃げ込んだ先は老人ホームとは名ばかりの強制収容所で、そこから仲間となった老人数名と脱出するまでの物語
「ソンミ451のオリゾン」
22世紀中期、全体主義国家ネオソウルが舞台。クローンとして生まれた性奴隷のソンミが、革命家に救出されてから、おぞましい事実を知り、そして人として学び、虐げられている国民に事実を告発して処刑されるまでの物語
「ノルーシャの渡しとその後のすべて」
文明世界が崩壊した後のとある島が舞台。遥かな昔、世界を救済したとされる女神ソンミを崇める温厚な種族の男が、海の向こうから訪れた文明を密かに継承する種族の女に頼まれて悪魔の山の頂上へと導きます。そこで男は、真実を知ります。ソンミは救済の神ではないこと、そして世界が滅びつつあることを知ります。この間に、男の種族は、島の支配者種族に皆殺しにされ、男は助かったひとり子とともに、女の乗る救済の船に搭乗し脱出します。

長い時を経て、男は、女と夫婦になって銀河の果ての星に移住して暮らしています。幼子達に長い物語を語り終えた後、夜空を見上げ、あの青く輝く星がふるさとだよと腕を上げて示します。その腕には、すべての物語の主人公と同じ、彗星型のアザがありました。

というあらすじです。

6つの物語は、交差することなく、それぞれに結末がありました。でも、男がふるさとを示した腕にあるアザを見たとき、とても満ち足りた、安堵感を覚えたのです。それがどこから沸き立つものか、その時は分かりませんでした。
映画を見終えた帰りに、姫路駅のジュンク堂に立ち寄って、原作小説を探し、さらさらと頁をめくりました。そして二晩、考えました。
輪廻転生という概念があります。人は死ぬと別のものに生まれ変わるという概念です。ひとりの俳優が演じる命は、6つの時代を別の人物として転生し生き続けていたのです。そして最後に、安息地にたどり着いた。その遠い希望を感じて、私は安堵感を覚えたのだと理解しました。

この6つの物語には、共通のメッセージが込められています。
映画の監督を務めたウォシャウスキー姉弟がこれまでの作品に込めてきたメッセージとも共通します。
それは、「純然たる支配者への抵抗」です。
Matrix三部作では、仮想世界に捕らわれた人間の抵抗を描き、
V for Vendettaでは、全体主義国家と化したイングランドで抵抗者Vの活躍を描きました。そして、クラウドアトラスの6つの物語でも
「アダム・ユーイングの太平洋航海記」では、人種差別、拝金主義への抵抗を描き、
「セデルゲムからの手紙」では、階層社会、性差別への抵抗を描き、
「半減記 ルイサ・レイ最初の事件」では、保守主義と巨悪の暴力への抵抗を描き
 「ティモシー・キャヴェンデッシュのおぞましい試練」では、社会的弱者の抵抗を描きます。
そして「ソンミ451のオリゾン」では、完全に統制された血も涙もない社会の到来を警報し、その先には、「ノルーシャの渡しとその後のすべて」が物語る、《すべての終わり》しかないと告げます。
でも最後に救済がありました。それは神の救済です。ノアの箱船です。純粋で素朴な心根の人間だけが救済され、新たな世界で文明を点すのです。
はたしてこの結末が、希望であるのか否かは分かりませんが・・・

最後に、
現状を良くしたい、幸せになりたいという意思や行動(抵抗?)は、その先に希望がなければ継続することは困難です。今の私たちに、(特に今の若者に)その様な希望が育まれているのかと、大いなる不安を感じます。

追伸。
ディヴィッド・ミッチェルさんの原作小説Cloud Atlasが、今年一月に、映画の上映に先立って邦訳本が出版されました。上下巻からなる長編小説でした。目方もたいそう重く、本に出会った当日は、歩きでしたので購入しませんでした。
いつか、行きつけの図書館で借りて、ゆっくりと読みたいと思います。

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