いま私は、
法とは船の様なものなのかなと思っています。
人が人らしくあるための、尊厳や権利を運ぶ船。
社会という激流に飲み込まれないための船。
船の使い方は乗り手次第、
人らしさを失い沈むことも、誰かを沈めることも、間違うこともある。
人生という船旅を快適に幸せに終えるために、
乗り手の私たちは船を改造したり、修繕したりしながら進む。
生い立ちや、信念や、格好、男か女かそれ以外か、
すべての人が快適でいられる船にする様、
法を司る者として不断の努力を続けていきます。
NHK朝ドラ『虎と翼』最終週で、主人公寅子が、あるときは盾となり又あるときは壁として立ちはだかった元最高裁長官桂場等一郎に、長年考え続けてきた『法とはなにか?』について辿り着いた考えを述べた、その内容です。
県議会議員全員が同意して不信任を突きつけられ、10日以内に辞職や失職か、はたまた不信任を突きつけた議会を解散するかという選択を迫られた齊藤元彦知事が、翌日から関西の各テレビ局のインタビュー番組に出続けて、不信任を突きつけられた不正疑惑を問われても、告発者を追い詰め懲戒解雇にし死に追いやった責任を問われても、それについては答えずに、自らの三年間の県政の実績を誇り、これからも県政の改革を知事として行いたいと繰り返し、自らを政治家と語る様子を見ていて、おぞましいという感情が湧き上がりました。
そして齊藤元彦知事は今日、100名を超える記者やテレビカメラの前で、失職と県民に信を問うとして次回の知事選への出馬を表明しました。
彼の一連の言動を見聞きしていて、議会を解散せず、失職と再出馬を表明するのは自明であった様に思います。
何故なら彼は、実績を誇示するところは政治家の様ですが、実体は根っからの役人であるからです。政治家が白といえば白、黒といえば黒で、骨身を惜しまず奉仕することで、今の地位、兵庫県知事の地位まで登り詰めた人です。
そんな彼からみれば、県の絶対権力者となった自分に反逆するような態度をとった職員は、彼のような人間からすると役人の風上に置けぬ者と怒り心頭になったのも想像に難くはありません。そして彼は、公益通報制度の立て付けの不備を見抜き、不備な法律を盾に、不正はないと言い放っているのです。
私は、こんな齊藤元彦知事をみていて、アドルフ・アイヒマンを思い出しました。アドルフ・アイヒマン、ハンナ・アーレントに凡庸な悪と言わしめた人物です。アイヒマンはナチスの役人で、ナチスが最終処分の烙印を押したユダヤ人を含む人々を処分場へ輸送する指揮を行った人物です。
日本はデモクラシーを信条とする国家です。デモクラシーの中心に据えられるものは、ヒューマニズム、人権です。法は人間が作るもので、それは往々にして不完全なものであります。役人、官僚などは、その不完全な法を凡庸に施行する人々であり、政治家は、法が不完全であれば、ヒューマニズムに沿える様、法を修繕する人々であるべきです。
その事も分からずに、身勝手に政治家風を振りかざす齊藤元彦知事を、私はおぞましく思います。
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