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差別の天秤

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2024年10月21日月曜日

戦争に無関心の子供たち

 戦争が終わって 僕らは生まれた

戦争を知らずに 僕らは育った

おとなになって 歩きはじめる

平和の歌を 口ずさみながら

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


若すぎるからと 許されないなら

髪の毛が長いと 許されないなら

今の私に 残っているのは

涙を堪えて 歌うことだけさ

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


青空が好きで 花びらが好きで

いつでも笑顔の 素敵な人なら

誰でも一緒に 歩いてゆこうよ

綺麗な夕陽が 輝く小径を

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


1970年大阪万博博覧会のコンサートで初披露されたという、今60歳以上の人ならきっと誰でも歌えるであろうポピュラーソング『戦争を知らない子供たち』の歌詞です。

今から54年前の1970年に自尊心が芽生え始めたばかりの若者は、彼らが生まれてから見聞きすることになる朝鮮戦争、中東戦争と呼ばれるイスラエルと周辺アラブ諸国との度重なる戦争、ベトナム戦争、そしてアメリカとソ連という二大軍事超大国同士の冷戦に、心を痛め、戦争に反対する若者、ヒューマニズムという人権尊重と個人の自由を希求する若者は、世界中の志を同じとする若者との連帯を示す手段として反戦歌を高らかに唱っていました。

私は、1970年当時まだ10歳のおぼこい子供でしたので、そういう時流を知るよしも無く、ただただ軽快なギターサウンドと『戦争を知らない子供たちさ~』というフレーズが耳に残っただけでしたが…。


あれから54年、私たちは今再び、戦争という現実を毎日のニュースで見聞きすることになりました。ロシアによるウクライナへの侵略戦争は来年2月で三年目に突入します。昨年10月7日にハマスの戦闘員が大挙してイスラエルに侵入し数千名を殺傷した上、数百名を人質として連れ去るテロ攻撃が発端となって、イスラエルによるハマス殲滅と人質解放を名目としたガザ地区への地上侵攻が始まるや、イスラエルの空陸海からの攻撃により、毎日、ガザ地区に幽閉されたパレスチナの人々、人道支援のためにガザに留まった外国人、ジャーナリストが、百人単位で虐殺される状況が一年を過ぎても続いています。そしてイスラエルがガザや西岸地区での侵略と殺戮を止めない限り、戦場はレバノン、そしてイランに、最悪は中東諸国全体まで広がる危機が迫っています。

日本の回りをみれば、朝鮮半島では、成熟し繁栄したデモクラシー国家大韓民国を目の敵とする独裁国家北朝鮮が、独裁色と武力威嚇を強めるだけで無く、再びロシアと手を結び、ロシアによるウクライナ侵略戦争に武器を供与するだけでなくロシアの要請を受けてウクライナに北朝鮮兵を派兵するという暴挙に出つつあります。北朝鮮の武力行使の誘惑に歯止めが掛からなければ、長らくの休戦状態にある朝鮮戦争が再び北朝鮮から起こされるという災禍を、私たちは再び経験することになるかもしれません。

台湾の成熟し繁栄したデモクラシー国家中華民国も然りで、『一つの中国』を断固として主張する中華人民共和国は、建国の父毛沢東が共産主義化で国家を荒廃させてから海外資本に頼らざるなくなって民主化に舵を切ったかと思えば、再び共産党一党独裁色を強め、三十年余りで一気にアメリカと肩を並べるほどの経済力と軍事力を手にするまでになり、手始めに一国二制度のもとデモクラシーにより経済的繁栄を誇った香港の人々の人権を蹂躙して香港を手中に収め、そしてコロナ禍の中、いよいよ中華民国への軍事的威嚇を開始しました。更には、日本の領海・領空への侵犯も繰り返すようになりました。突然に中華人民共和国が、台湾という領土を取り戻すという名目で戦争を始めれば、未曾有の戦争難民が日本に押し寄せるだけでなく、日本も中華人民共和国から何らかの威嚇や攻撃に晒される事になるでしょう。


この様な時流に私たちは飲み込まれそうになっているというのに、どうやら私たちの心中は、日本国憲法に記された『第九条』を御題目の様に詰め込まれただけで、起草者たちの強い思い(きっとそれは『日本人を再び戦禍に巻き込まない。と同事に、他国の人々も戦禍で傷つけない。決して殺さない。』という強い決意の表明であったのではと私は想像します。)に馳せることが出来ていない様に思います。戦後の詰め込み教育の弊害であると思っています。

日本がバブル経済に享楽していた1990年頃は、経済力はアメリカに次ぐ第2位、そして武力放棄を誓いつつも実質的軍備力はアメリカ、ソ連に次ぐ第3位にあった日本でしたが、『第九条』の内への抑止力が効いていたこと、また戦争の苦しみの記憶を心にしまい込んだ日本人がまだ沢山存命であったことなどから、決して日本の中から戦争の災いが湧き出すことはありませんでした。

しかし現在はどうでしょうか。経済力は世界ランキングでどんどんと後退し、軍事力はアメリカに頼らねばどうにもならない状況です。『第九条』を御題目として唱え続けるだけの政治家、軍事力の保持の明示を第九条を修正して加えることを声高に訴える政治家はいても、『第九条』の起草者の思いを訴える政治家は皆無です。そして戦争を実体験した日本人はもうほとんど残っていません。語り部も一人またひとりと鬼籍に入られて残り少なくなりました。

そして私たちは、私たちの子や孫の世代は、『戦争を知らない』だけでなく、戦争にも平和にも興味を持たず個人の享楽に走るだけです。義務教育でも学ぶ機会を与えられず、考える機会も与えられずに来たのです。『なぜ戦争が起こるのか、なぜ平和を維持することが最も大切であるのか』という一番大事な設問に触れぬまま来たのです。

これでは日本は、張りぼてのデモクラシー、ヒューマニズム、多様性、共生を唱えるだけのうつけの日本人だけになってしまいます。

その徴候はもう始まっている様子です。人々を平安に導くことが本性であるはずの宗教が、人々に呪いを掛けて金品や生命までも搾取する悪辣さをあらわにし、そこに政治家が結託して権力や支配力を手にし続けてきました。SNSを悪用した家族を騙り金品を巻き上げる詐欺行為が蔓延し、今では押し込み強盗、強盗殺人、強姦、人さらいと何でもあり、躊躇なく実行出来てしまう若者が蔓延し始めました。すべては心中に、善悪を判断し、悪に決して染まらぬという自尊心や自制心を、育まぬまま、放置した、そういう教育機会を与えない国民教育が最大の原因であると思っています。

それはとにもかくにも、私たちが何年も何年も、悪い事に目を逸らしてきたから、目を塞いできたからです。先人の思いに馳せようとせず、受け継がれた文化を衰退させ、ただ破壊して個々人の都合のよい制度や規則を構築し続けてきたからです。己が正しいと、他者に思いを馳せられなくなったからです。

これでは、何をしても内部からシロアリの様に蝕まれるだけで、私たちは強固に一つに団結することさえできないでしょう。


国を守る、国民を護る、が御題目にしか聞こえません。

私たちは何を考え、何を信じ、何に従い、何に捧げるか、真剣に考える時期に来たように思います。この度の衆議院選挙、真剣に、責任を持って、投票することも、その一法になるのではないかと思います。


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