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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2013年3月6日水曜日

「ケインズかハイエクか -資本主義を動かした世紀の対決-」読後感想


2月のはじめ、新聞の書評で紹介のあった本、
「ケインズかハイエクか -資本主義を動かした世紀の対決-」
2011年ニコラス・ワプショット著作
2012年11月久保恵美子訳本
を買い求め、ひと月がかりで読みました。

ケインズとハイエクの、ふたりの経済思想がふんだんにちりばめられていて、その箇所では立ち止まったり読み飛ばしたりと、なかなか前進するのが至難でしたが、でもビックネームの人間味溢れるエピソードで綴られる100年の資本主義経済史は、とてもスリリングでありました。

序文の書き出しが秀逸です。この書き出しによって、私は物語に引き込まれました。
---序文から引用---
 それはおそらく、二十世紀の経済思想界における二人の巨人が延々と繰り広げた戦いのなかでは、もっとも異色の出来事だっただろう。第二次世界大戦のさなか、ジョン・メイナード・ケインズとフリードリヒ・ハイエクは、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジ・チャペルの屋根の上で、ひと晩中二人だけですごしたのだ。彼らの任務はじっと空をにらんで、英国の風光明媚な小都市に焼夷弾の雨を降らそうとする、ドイツの爆撃機を警戒することだった。
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巧い書き出しです。文献でしか知らなかった二人の思想家が、経済論を闘わすのでなく、大屋根に登って、空からの敵の来襲を見張っているのです。一見牧歌的な風景を想像しますが、実は命がけです。第二次大戦では、イギリスの都市はドイツの爆撃機によって猛火に見舞われます。二人は、学問の府を守るために協力したのです。このエピソードは、その後の二人の、二つの思想の激しい対決がかなり複雑なものであることを暗示していました。

ケインズは、20世紀初頭すでに英国の若き賢人であり、経済学者、思想家、そして実務家として活躍します。またケインズは上流階級の子弟で、社交家であり、雄弁家であり、カリスマ性を備えていました。
第一次世界大戦の終結において、勝者である英国、フランス、アメリカの指導者は、敗戦国ドイツ、オーストリアに対して過酷な賠償金を突きつけます。ケインズはこれをみて『平和の経済的帰結』を著し、「過酷な賠償金は政治不安や過激派による政治につながり、これによってふたたび世界戦争が引き起こされるおそれがある」と警告します。それはドイツにおけるナチスの台頭、イタリアにおけるファシストの台頭として現実となります。
世界大恐慌の時代、新しい経済理論であるマクロ経済論を『一般理論』して著し、経済モデルのトップに総生産という概念を据えて、トップダウンで経済因子をコントロールすることによって景気循環の後退期に刺激を与え、総生産を維持・拡大させることを提唱します。それは、政府が借入によって公共事業に投資し、雇用を増やして購買力を立て直し、また減税によって追加的な購買力を生みだします。この購買力が新たな需要を生み、需要が供給を促し、供給が新たな雇用を生み出す。この乗数効果によって総収入が延び、経済を拡大できるというものです。
このケインズ主義は、ルーズベルトの時代にニューディール政策としてアメリカ経済を立て直し、ケネディ、ジョンソンの時代には、アメリカを無双の繁栄に導きます。
しかしニクソンの時代に、第四次中東戦争が勃発し、イスラエルを支援したアメリカは中東産油国から制裁を受けて原油価格が跳ね上がり、経済は停滞し、かつインフレーションが起こります。経済停滞はデフレーションを招き、経済拡大はインフレーションを招くとしたケインズ主義は、このスタグフレーション(経済活動が停滞しているにもかかわらず、インフレーションが進む現象)によって失墜します。

ハイエクは、オーストリアで医師の子として生まれます。10代の半ば、第一次大戦に従軍し、敗戦後は非情なインフレーションを経験します。その後、大学で自由主義経済論に出会い、その啓蒙学者としての道を歩みます。ハイエクの提唱する経済論は、ケインズのマクロ経済論に対して後年ミクロ経済論と呼ばれるもので、景気循環は自然循環であり、政府の介入により修正できるものではなく、ひとつひとつの経済因子の動向を調べる事によって経済状況を読み解かなければならないとするもので、また、経済の活性は需要ではなく、企業の自由競争と企業努力が理想的な供給を形作り、それが需要を促すと唱えます。
ケインズの『一般理論』に遅れて、政府の規制や管理、監視は、新たなナチズムやファシズムを招くと警告する『隷従への道』を著します。しかし、世界大恐慌に手をこまねくことにより、共産主義や社会主義が台頭することを恐れた自由民主主義国家の指導者は、ケインズ主義を受け入れ、ハイエクを退けます。

ハイエクは、スタグフレーションによりケインズ主義が失墜したことによって、再び、脚光を浴びることになります。ハイエクには優れた後継者ミルトン・フリードマンがいました。フリードマンは、貨幣量の抑制や金利の引き締めによってインフレーションは抑制できるとし、また規制緩和によって自由経済市場を活性することにより経済を拡大できると唱えます。
そして1980年代、フリードマンを指南者とし、イギリスではマーガレット・サッチャーが、アメリカではロナルド・レーガンが『今でなければ、いつやるのか。われわれでなければ、誰がやるのか』と声明し、インフレーションの抑制と自由経済市場の拡大を断行します。
このインフレーションの抑制や民営化、規制緩和による自由経済市場の拡大によって企業は大成長を遂げることになります。しかし、民営化、また自由競争によって失業者は増大します。

そして、1990年以降、自由民主主義国家の指導者は、経済の膨張と政権の安定を両立するために、金融政策と野放図な財政支出(赤字財政)を続けます。

ケインズにとってハイエクは、ケインズの理論を思想を哲学を、精査し吟味し批判してくれる、大切な試金石であったと思います。
また、ハイエクにとってケインズは、『彼は、たとえ経済学について何も著さなかったとしても、彼を知るすべての人々にとって偉大な人物として記憶されただろう』の言葉が示すように、偉大な人物、けっして越えられなかった人物であったのだと思います。
二人が同じ時代に生きて、論争を闘わしたことによって、経済論は、そして実体経済は飛躍したのだと思います。

政府介入から考えられる結果として、独裁主義や全体主義の台頭を悲観するハイエクに対して、ケインズは最後の手紙で、『介入が独裁につなががるかどうかは、その国が強い公平の意識によって支えられているかどうかによる』と主張しています。
またフリードマンも、「概して腐敗に縁のない公務員」と「法律を遵守する市民」が必要と述べています。

昨年12月に政権を奪回した自民党、そして総理大臣に返り咲いた安倍晋三は、ひ弱さを払拭し、強いリーダーシップでさまざまな国難に立ち向かおうとしています。その姿勢はとても評価できます。
しかし、アベノミクスと呼ばれる、大胆な金融政策、機動的な財政出動、民間の投資を引き出す成長戦略の三本の矢の経済政策は、まるでレーガノミックスの焼き直しです。
大切なことは、痛みがそして恩恵が、すべての国民に平等に行き渡ることだと思います。そして道徳に沿って政治が、また経営がなされることだと思います。
それを実践することが、ケインズがハイエクが望んだ世界なのだと思います。

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