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寅次郎を通して考えた、学校ってなんだろう?先生ってなんだろう?

学校ってなんだろう? 勉強するところかな 友達をつくるところかな でも素朴に 学校に通う子どもにとって 楽しいところ 安全なところ 一人の人間として 誰とも違う個性を認めて貰えるところ 一人でなく回りの仲間と成長できるところ であって欲しいと思います。 ...

2015年8月4日火曜日

高校野球、ここを注目して観戦を楽しみたいと思います。

組み合わせも決まり、いよいよ「第97回全国高校野球選手権大会」が始まりますね。
今年は、第1回全国中等学校優勝野球大会が開催されてから100年目ということもあって、テレビでは関連番組が数多く放送され、懐かしいシーンや、そのシーンにまつわる物語を楽しむことができました。そんな物語の中で、徳島池田高校を一躍甲子園の寵児にしたてた名将蔦文也監督の物語には特別の感動を覚えました。

池田高校の代名詞は「やまびこ打線」ですが、私にとっては「さわやかイレブン」として11名の部員で準決勝まで勝ち上がった1974年春が一番に印象的です。
蔦文也さんは、徳島商業のエースとして甲子園のマウンドを踏み、そしてスター選手として大学野球に進まれた。でも時代は第2次世界大戦真っ只中で、学徒出陣で出征し、遂には特攻隊員として出撃の日を迎えられた。しかし、当日出撃は行われず、そのまま終戦を迎えられた。
その後しばらく経った1951年、山間の学校池田高校から野球部の指導者として請われ、池田高校の子供らをいつか甲子園に連れて行く事だけに指導者人生を捧げられた。

物語中、池田高校は「やまびこ打線」が有名であるが、実は蔦監督は、進塁打、犠打を特に重んじられた、という行がありました。しかし、それは戦争体験から来ているという様な描き方をされていたのが気になりました。
蔦監督が、甲子園で負けた生徒達を前して
「お前達にずっと勝て!と言っていたことは嘘や」
甲子園で優勝できるチームは一つだけで、後のチームはみな負けや
負けることが多いのが人生、だからなんど負けても敗者復活戦で戦って欲しい
「死んだらあかんのや」
という言葉を贈られていました。

野球は野球、一度始めたら勝つことだけを考えて一生懸命野球に励め!
しかしたとえ野球で負けたとしても、一生懸命の中で培ったものを信じて、自分を信じて、自分を大切にして、諦めることなく次の勝負に挑めば良い、とエールを送られていました。

そんな蔦監督が、戦争体験を指導に持ち出すはずがないと思います。
そして、野球用語である「犠打」や「犠飛」が、用語として適切でないように思うようになりました。
犠打は、走者を得点圏に進める進塁打です。
そして犠飛は、走者を本塁に返す得点打です。
その打撃は、犠から連想される犠牲的な行動ではなく、いわば得点を奪うための繋ぎの打撃であり、本物の技術が必要な打撃です。大技小技が組み合わさって本当の強さが生まれる、だから蔦監督もその打撃を重要視されたのだと思います。すべては試合に勝つため、そして全員で喜ぶためです。

今大会も、大技選手に注目がいきがちですが、私は進塁打や得点打にこだわった選手に注目し応援したと思います。

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