播磨の国ブログ検索

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2026年2月24日火曜日

春一番が吹いた日

 2月22日(日)は、最高気温が前日より5℃上昇して正午過ぎには20℃に達し、また15メートルを越える南風も吹いて、昼間はまるで初夏の陽気でしたね。

告別式が終わり、棺を見送ったのが12時過ぎでした。友達と別れてひとり車まで歩きながら空を見上げていると、初夏の中を歩いている様な錯覚を覚えてしまいました。

長女が話していました。

お父さんは、家族のためだけに一生懸命生きてきた人だと。(懸命に介護を勤しむ)家族に感謝の一言もいわない、頑固で物言いの悪いところはあったけれど(訪問看護師から、家族によくしてもらっている、感謝している、と話していたようだけど…)。

こんなふうに娘から言葉を送られて、きっと喜んでいるんじゃないかと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿