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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年12月6日木曜日

内閣総理大臣を目指す候補者への、たった二つの望み


衆議院議員総選挙が始まりました。
選挙の公示が決まってから、町の辻に立ち、駅前に立ち、朝ひたすら笑顔を振りまいて「おはようございます」と顔を売ろうと努める候補者もいれば、政策を語る候補者、他政党や他候補者を非難する候補者とさまざまです。
乱立した党の党首もポスターや電波に乗って、総花的な公約と、何より語気の強い『政治スローガン』に終始しています。
民主党の野田党首(現内閣総理大臣)は、『決断!』を声高に唱え、民主党政権がこの三年余りで進めてきた政策を推し進めるか、後退させるか、貴方方国民ひとり一人の決断(投票)にかかっていると訴えます。
方や自民党の安部党首(元内閣総理大臣)は、『取り戻そう!』と声高に唱え、(民主党政権になってからの?)危機的的状況にある経済、教育、外交を立て直し、安心社会を作ると訴えます。

私は、次の内閣総理大臣を目指そうとする候補者には、たった二つだけを望みます。
その一つは、
『実現する夢を(希望を)を大らかな語れる』
です。
現在の政治家は、本来の意味での政治家ではなく、実務家です。会社でたとえるならば、ビジョンを持ち実行する力とその責任を一新に負う社長であるべきなのに、執行役員です。酷い場合には名目役員におさまる場合もあります。実務がわからなければ役所の長は務まらないです。それはこれまでの悲劇的な大臣を見て強く感じます。ですが政治家には、実務以上に(私が)実現する夢、希望を大らかに語れる事こそ必要だと思います。それが組織で働く人々の心を掴み、国民が託することの出来る唯一だと思うからです。
1960年の池田内閣総理大臣が掲げた『所得倍増計画』、そして
1972年の田中内閣総理大臣が掲げた『日本列島改造論』は、強烈でした。後先を踏まえておれば、今の世はまた違う世の中になっていたかも知れないほどに、独断的で強引、しかしそれがため日本は高度成長を成しえたとも言えます。
最近では、トーンはぐっと下がりますが、2006年、安部内閣総理大臣が掲げた『美しい国へ』という夢に、ハードウェア偏重で進んできた日本を、美しい風景のある日本に立ち返らせるという意思を感じ、本当に期待しました。しかし、それも一年も満たずに潰えてしまいました。安部内閣総理大臣が、もうや~めた、と国政を放棄してしまったからです。
『実現する夢を(希望を)を大らかな語れる』は、一朝一夕で行えることではありません。不断と学びと、ひたむきな努力が必要です。そして、実行力と責任を一身に担えると信頼された者だけに与えられた特権だとも思えます。

もう一つは、
『任期を全うする』
です。
内閣総理大臣は、日本国において、日本の象徴である天皇の下に位置する、国民の首長です。かしらです。
ひとりの国民が、衆議院議員の候補者となり、総選挙で選ばれ、与党議員の指名により与党の党首となり、そして天皇が国会の指名に基づいて内閣総理大臣に任命します。内閣総理大臣は、日本国内にあっても、諸外国にあっても、日本の最高権力者です。とても厳粛な地位です。
一度の任期は最長で4年です。ですから、内閣総理大臣の地位に就く者には、その4年間職務を全うする為の、若さと健康が必要です。それに加えて強運も必要です。それがあって初めて任期が全うできます。
ですから、その任期を全うした者は、英雄として賞賛されるべきだと思います。
たとえ任期を全うできなくとも、英雄として賞賛すべき人物もいます。ですが、近年においては、悲しむべき事に、その地位は貶められているように感じます。日本が独立国、国民主権国であり続けるためには、その首長の地位は決して汚してはいけないと強く思います。

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