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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年2月8日水曜日

新幹線を見て、はしゃいじゃいました。


YouTubeでおもしろい投稿を見つけました。
”【TV On Air】外国人、新幹線の速さにびっくり大興奮!”というものです。
2010/10/22にアップロードされたもので、
新幹線姫路駅が、最速で突っ切る新幹線を数多く観ることができるスポットとして、外国からの訪問者に人気で、その多くが興奮した様子をYouTubeに投稿し、ネット上で話題となっている、というニュースショーの映像でした。

姫路駅は新幹線の駅の中でも主要な駅に入ります。すべての『のぞみ』が停車するわけではないのですが、のりばは上り1、下り2とあり、通過列車は、駅の中程にある上下二車線の専用路を走ります。そのためホームには落下防止の策もなく、駅構内は広々としています。

姫路駅のホーム構造はほぼ真っ直ぐで、通過する新幹線はまるで一本の槍のようです。
ニュースの説明では、姫路駅を境に新幹線の最高速度が、東が270㎞/h、西が300㎞/hとなっており、そして観光客の昇降が多い姫路ならでは、多くの観光客がアメージングなスピードを体験できるスポットとなったと解説していました。

私も新幹線が大好きです。
子供たちがまだホント小さかった頃、当時の愛車、マウンテンバイクの後部にチャイルドシートを付けて、休日は子供を乗せて、よく姫路城や書写山を巡りました。コースは国道を避け、脇道や鉄道沿線の道路で結びました。そして姫路駅東側の新都市開発区画、まだ当時は広々とした空き地でした。そこでしばしの休憩を取り、子供と一緒に新幹線を眺めていました。

私が始めて新幹線に乗ったのは、昭和40年の事です。鎌倉そして横須賀の親戚宅に遊びにいきました。新大阪駅から乗車しました。今思えば不思議なことですが、高架駅はすごく高い場所という印象が残っています。

そして私は家族と少し離れた三人シートの窓側に座っていました。車内販売でピーナッツを買ってもらい食べていたところ、名古屋あたりで鼻血がでました。そしたら隣に座っていたお姉さん?に優しく介抱してもらった、そんなこともいまだに印象深く覚えています。

新幹線に乗るといえば、やはり東京への移動ですね。大阪で勤めていた頃はよく利用しました。車内では本や雑誌を読んで過ごしましたが、静岡駅を過ぎたあたりで手を休め、しばし窓の外を眺めます。何度かのトンネルを過ぎ、富士川を越えると富士の裾野が広がって見えます。そして『あっぱれ』の御山、富士山を眺めるのです。
富士山、ほんと何度観ても、感動しますね。

富士山、富士山を観て特に感激した事があります。
それは、ある冬の夜、成田から伊丹まで旅客機で移動中での出来事です。
最後尾の右窓側の席でした。翼に邪魔される事なく眼下の景色を眺める事ができました。
そして、砂場の中にゆったりと積まれた砂山のようにして一人たたずむ富士山を見つけました。頭には西から白い粉をまぶしたように雪を被っています。外は澄んでいて、月明かりに照らされた富士山を長く見続ける事ができました。
そして、富士山を後ろにし、お別れを告げて機内に目を戻そうとしたときです。チカチカと光を放ちながら動く糸くずの様なものを見つけました。新幹線です。
見つけた新幹線は、眼下で併走していました。
おもわず側を通っていたキャビンアテンダントに
『あれ、新幹線だよ!』と叫んでいました。
30を超えたネクタイをしたおっさんがですよ、
わーっ、ホント恥ずかしい出来事でした。


JR姫路駅のトリビアを一つご紹介しましょう。
姫路駅は、日本で最初に、幕の内弁当を駅弁として売り出した駅なのです。高校生の頃、父が持っていた『日本の駅弁』という本を読んで知りました。
そしてWikipediaで検索しますと、次のように書かれていました。
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現在のような折詰に入った駅弁は、1890年に姫路駅でまねき食品が発売したものが最初とされている。また農文協(社団法人 農山漁村文化協会)刊行の「日本の食生活全集 28 聞き書 兵庫の食事(1991)」にも「元祖・駅弁--姫路の『まねき』」と題する記述があり、そこでは1889年に姫路駅で発売された物を駅弁の元祖とし以下のように述べている。
『日本初の駅弁は、明治十八年に日本鉄道会社宇都宮駅で売り出されたものというが、これはにぎり飯二個を竹の皮で包んだだけであった。折り箱に入った幕の内風で、その後の駅弁の形をつくり出したのは、この姫路の駅弁が元祖といえる。』
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昔はこんな些細な事も、外の町で暮らしたときの私の”お国自慢”でありました。

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