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「戦争」は悪か。

沖縄戦に思いを馳せるなら、戦争末期、交戦国の圧倒的な戦力になす術もなく敗走を続けた日本軍の統帥部であった軍部、そして日本政府が取った最終手が最悪手であったことに目を向けるべきであろうと思います。 その手とは、日本本土決戦を構想し、「一億玉砕」、日本国民は軍民を問わず、名誉を重んじ...

2026年6月24日水曜日

「戦争」は悪か。

沖縄戦に思いを馳せるなら、戦争末期、交戦国の圧倒的な戦力になす術もなく敗走を続けた日本軍の統帥部であった軍部、そして日本政府が取った最終手が最悪手であったことに目を向けるべきであろうと思います。

その手とは、日本本土決戦を構想し、「一億玉砕」、日本国民は軍民を問わず、名誉を重んじ潔く死ぬことをスローガンに掲げ国民に強いたことです。

沖縄戦は、1945年4月1日のアメリカ軍による沖縄本島侵攻から始まりました。沖縄は島の姿を一変するほどの艦砲射撃に曝された上に、上陸したアメリカ軍大部隊の圧倒的な火力、戦力、物量によって生き残った日本軍の兵隊と沖縄県の民間人は島内の敗走を強いられます。そして同年6月23日、すでに霧散霧消と化した沖縄諸島を守備する部隊の司令部が自決するに至り組織的戦闘は終結したと記録されます。この記録された組織的戦闘の終結日である6月23日に、現在、沖縄戦没者追悼式が挙行されています。

しかし、司令部は自決に際し、次の一文を最後通達した命令に加えました。

「諸子よ、生きて虜囚の辱めを受けることなく、悠久の大義に生くべし」

この命令が呪縛となり、生き残った兵隊や沖縄の民間人は、投降し捕虜になることを互いが許さず、女性、子ども、病人、老人までもが死を強制されることになったのです。そして人々は、病人や子どもを殺し、自らを手榴弾や身投げによって殺しました。この底知れぬ地獄絵図が、沖縄戦を更に悲惨な記憶として、特に沖縄の人々の中に今も語り継がれているのだと思います。

「戦争」は悪か。

2022年2月24日に、演習と称してウクライナ国境に集結したロシア軍の大群は、一斉にウクライナへの侵攻を開始します。ミサイルを首都キーウを始め主要な都市に打ち込み、甚大なる被害をウクライナに与えます。しかし、圧倒的な戦力差を誇るロシア軍に対して、祖国を守るという志で志願兵となった国民の力によってロシア軍の侵攻を食い止め、更にウクライナを支援する多くの国の支援を受けて、今日現在も侵略するロシア軍と交戦を続けています。このウクライナ国民の戦いを、誰が悪と云えるでしょうか。それは唯一、ロシア軍の統帥者であるプーチンとその一味、そしてプーチンに加担する数カ国の統帥者だけでしょう。

「戦争」は悪か。

昔も今もこれからも、「戦争」は悪なのかどうか、私は自問し続けるだろうと思います。

「戦争」は手段であり、道具であるに過ぎないからです。問われるべきは、「戦争」を手段に用いる、道具として使用する、そして人命を毀損することも厭わない人間が、昔も今もこれからも、人間界から生まれ続けるだろうということです。簡単な話、一人のカリスマが現れれば、私たちは熱狂し、崇拝し、カリスマ指導者のただの手足となって、喜んで従うことになってしまうだろうし、また人間社会に影響を与える新たな思想や宗教が生まれれば、思想対立や宗教対立が始まって、それぞれが我々の思想や宗教の影響力を高める為に、配下の人間に更なる迎合を強い、そして全体主義化を招くことになるでしょう。

「戦争」は悪か。

今日行われた沖縄戦没者追悼式で、高市首相のスピーチが始まるやいなや、テレビでもしっかり聞こえる、「戦争をするな」とか「9条を守れ」というシュプレヒコール、怒声、ヤジが起こりました。その大合唱に、私はだいぶ苛立ちを覚えました。私が厳粛な面持ちになって、戦没者に思いを馳せ、追悼しているというのに、台無しにされた気分になったからです。高市首相のスピーチの骨子は「平和実現へ不断の努力を重ねていく」というもので、また沖縄県民に対して誠実なスピーチであったとも思います。

私たちの国「日本」の憲法は、全文で

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した。」と決意の宣言を述べています。9条は、「平和を愛する諸国民の公正と信義」の裏書きがあってこそ平和が実現出来るという他力本願的性質を帯びた条文であるとも言えると思います。

私たち日本は、敗戦の後、戦勝国の占領を受けた後、民主国家として歩み出して以来70有余年あまり、武力を伴う戦闘行為を行った事がありません。自衛隊は、戦闘最中の紛争地に出向いても、武器さえ携行せず、命の危険さえ顧みずに、戦闘で荒れ果てた町の戦後復興の為の活動に尽力しました。近隣国の度重なる挑発行為にも、領空領海侵犯にも、自衛隊は盾の役割から逸脱することはありません。それは他国の軍隊の規範からは有り得ないほど命をかけた自制的、犠牲的な行為となってしまっています。

今をそして未来において、日本の国民、そして領土が戦争で傷つかない様に、そして他国の国民、そして領土が戦争で傷つかない様に、この一国では決して成せない大望を実現し、それを持続する為に、まず日本の国民は、自らの憲法を見直す必要はあるし、大望を共有する国々と関係を大事にして、互いに守り合う関係を一つ一つ確実に広げていき、やがては世界中の国々が大望を共有し持続できるように、努力をしなければならない。それはきっと高市首相も、同じであろうと思います。それが「戦争をしない」ための唯一の道筋ではないかと思います。今の人間世界では夢物語なのかも知れませんが、この思想が新たな思想となって世界中に広がれば、いつか遠い未来にでも実現できる時が来るかも知れません。誰かが信じなければ始まりません。その最初の一歩を、私たち日本人から始めてみようではありませんか。

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