日曜日の夕方は、大河ドラマと時代劇の二本立てお楽しみ時間です。そして現在放送中の時代劇は、沢口靖子さん主演「小吉の女房2」(再放送)です。昨日 放送のあった「第四回 麟太郎、ナポレオンと出会う」では、風間杜夫さん扮する豪放磊落な隠居老人が、若き勝麟太郎の「何故にナポレオンはフランスの王になれたのか?」という問いに対して『ナポレオンは、胆力と知識を持っていたからだ』と答えていたのが、とても印象に残りました。
胆力も知識も、一朝一夕に身に付くものでは無いし、暗記学習で身に付くものではないですね。それこそ、諦めず、我が身を奮い立たせ、鍛え続けてこそ身になるものだと思います。この胆力と知識に、善の心が伴う人があれば、その人は、私が望む、世界を善き世界に変えてくれるリーダーです。
以前はひとりいました。日本人の中村哲医師です。アフガニスタンで30年もの長き間、貧困にあえぐ人々が自力で生活再建出来る様に、人力で農業用水路を作るという途方もない人道支援活動に精も根も尽くし続けた人でした。
昨日、もうひとりいたことに気が付きました。その人は、パレスチナ人のイゼルディン・アブラエーシュ医師です。
昨日、龍野公園の紅葉を観に行こうと歩いて龍野橋を渡ろうとしたとき、橋の東のたもとにあるラーメン屋さんの表に張り出されていたポスターに目が留まりました。立ち止まってじっくりと読むと、それはドキュメンタリー映画「私は憎まない I shall not HATE.」の上映告知でした。
「私は憎まない」上映会
日時:11月29日(土) 10時・14時・19時 の3回上映
大人:500円 18歳以下 無料
会場:教覚寺 姫路市林田町口佐見31
それで思い出したんです。以前ニュースで見て、気に留めていたことをです。
アブラエーシュさんは、私たち現代の日本人では想像すらできない悲嘆を経験されています。
1955年にガザのジャバリア難民キャンプで生まれたアブラエーシュさんは、イスラエルによる終わらない攻撃と貧困の渦中で、知識を身に付ける事で、この境遇から逃れられると信じ勉学に励み、大人になってイスラエルの病院で働く初めてのパレスチナ人産婦人科医となりました。そこでは肌の色、民族、宗教、様々な背景に関係無く、数千人近くのパレスチナ人、イスラエル人の赤ちゃんの誕生に携わってきました。その経験からアブラエーシュさんは「命の重みは同じだ」「赤ちゃんは生まれたときはみな自由で平等だ」ということを確信されました。そして、対立はきっと乗り越えられると信じて、産婦人科医の仕事を続けていました。
しかし2008年に起きたハマスとイスラエル軍の紛争で、ガザに侵攻したイスラエル軍の無差別攻撃で自宅が砲撃され、医者を目指す20歳のビサーン、医者を夢見る15歳のマイヤール、人権の擁護者になる夢を抱く14歳のアーヤ、そして17歳の姪ヌールの四人を目の前で虐殺されます。これ以上無い悲嘆な経験をされたのに、アブラエーシュさんは翌日 メディアの前で、憎しみではなく、和平と共存への願いを訴えられました。
「パレスチナ人とイスラエル人は平等な市民として共存するしか道はない。私たちはそう声をあげるべきです」
アブラエーシュさんはその後も、世界各地で講演を行い、報復ではなく対話を呼びかける運動に身を捧げられています。また、2010年には、夢半ばで亡くなった娘たちを忍び、中東の若い女性に高等教育を提供する慈善団体を設立されました。学び続ける事で女性たちが力も持ち、中東地域の変革の担い手となってほしいという願いが込められているそうです。
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014623561000
NHKニュース記事「憎しみには飲み込まれず共存を訴え続ける ガザ出身医師の誓い」は、昨年2024年10月に、アブラエーシュさんの生涯を描いたドキュメンタリー映画の公開に合わせて来日されたときのインタビュー記事です。私はこのインタビュー記事から一部引用させて頂きました。
今年7月に日本語訳が刊行された、スウェーデンのルンド大学人文地理学部准教授で社会主義活動家であるアンドレアス・マルム氏が2024年に出版された「パレスチナを破壊することは、地球を破壊することである The Destruction of Palestine is the Destruction of the Earth.」を読んでいますが、アブラエーシュさんとは真逆の主張が述べられていました。
南アフリカのアパルトヘイトに抗い武装闘争の戦士となったことで27年間投獄された経験を持つネルソン・マンデラ氏が1999年1月にパレスチナを訪れた際、パレスチナの政治家に語った言葉です。
『対立よりも平和を選びなさい。但し前進できないとき、前に進むことができないときは別です。そして、もし唯一の選択肢が暴力であるのなら、私たちは暴力を行使するのです』
この言葉についてマルム氏は、
「ノース(経済的に豊かな欧米諸国)の植民地政権が、先住民や輸入奴隷がいるところに入植者を移住させ、彼らを追い出し、搾取し、絶滅させるとき、頸木を振り払って最低限の自由を手にし、生存を確保せんとする彼らの試みが入植者に立ちはだかるのだ」と述べています。
また、「偽善的な道徳主義、勝者しか手に入らない倫理的な自己満足に浸りながら、私たちは(占領者であるイスラエルに対してのパレスチナ人の)武装闘争を糾弾しなければならないと要求してくる人々には、こう答えるべきだ。あなたはパレスチナ人に何を求めるのですか?地に倒れたまま、黙って死ぬことを学んでほしいとでもいうのですか?」
「武装闘争とは、他に呼吸する空気が全く無くなったときの最後の酸素チューブなのだ」
そして、「パレスチナの民族運動は、(1948年のイスラエル建国によって奪われた先祖の地であるパレスチナへの)帰還の権利(国連総会決議194号で認められている権利)を要求している」と述べています。
私は、2023年10月に始まり現在も終わらないガザ・イスラエル紛争は、2023年10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)が行った大規模な無差別殺戮を伴う奇襲攻撃(パレスチナが、トゥーファン・アル=アクサー アル=アクサーの洪水と呼ぶ攻撃。アル=アクサーは旧エルサレム市街にあるモスク。何度も過激なユダヤ教徒や福音派(キリスト教シオニスト)の外国人に攻撃を受けた。)が原因と感情的に思っていました。それは、欧米のメディアや日本のメディアから当時の奇襲攻撃の散々たる惨劇の様子を見せられたことが要因の一つだと思っています。そして私は、パレスチナの側に立ったニュースや文献にあまりにも触れてこなかったことも大きな要因であったと思います。
最近、パレスチナ側に寄せたドキュメンタリー映像や文献に触れることで、私が信じていた世界、人権・自由・平等が守られる世界という戦後の日本教育が日本人に信じ込ませようとした世界は、実際には存在しないのではないかという疑念を抱くようになりました。
結局は、人類の歴史が始まった悠久の昔から、力の強いものが、権力を握ったものが、自分の思惑通りに現状を変更していく、書き換えていく、奪っていく。そして、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想は、その後始末として、歴史を正当化する方便でしかないのかという疑念です。
しかし、そんな疑念に抗う気持ちも湧いてきます。それもまた、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想を守らなければという思いです。
その思い、非常にひ弱な思いですが、それを絶対に切らさないためには、私たち一人一人が、『世界を善い世界に変えていく』という命題を、自分の命題として持ち続けることだと思います。そのためにも、私たち一人一人が、胆力と知識と善い心を養うことを忘れずにいたいと思います。
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