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野球が好きだから

夏の高校野球大会地方予選がたけなわです。 終われない夏のガチンコ勝負、勝者は甲子園を目指して戦い続け、そして敗者はグラウンドに別れを告げる。そして彼らが戦ったゲームは、私たちの心に貴いドラマそして切ないドラマとして刻まれます。 野球が好きだから 『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』...

2025年1月16日木曜日

震災の記憶

2020年1月に放映されたNHKドラマ「心の傷を癒やすということ」、兵庫県南部地震から30年を迎える今年1月、深夜帯でしたが再放送されたので録画をして観ました。

柄本佑さんが演じる主人公安さんが語った印象的な言葉を書き留めます。

一つめは、第3話の終盤、2000年5月、再建された西市民病院に精神科神経科医長として赴任することになった安医師が、神戸大学医学部付属病院勤務時に研修医として安医師のもとで学び、震災時は安医師と共に被災者の心のケアに奮闘された、そして現在、仕事に行き詰まっていた北林医師に、この病院でまた一緒に働こうと声を掛け、そして「心のケア」とは何かという常々考え続けている自問について話をした、その言葉です。

「僕なぁ、心のケアってなんやろってずーっと考えているんやけど

もしかしたら、一人ひとりが尊重される社会を作るっいうことちゃうかなって

それやりたいんやぁ」

そして二つめは、最終話の第4話、検査した時にはもう手の施しようがない末期癌であった安医師は自宅での終末医療を選択し、愛する家族との大切な晩秋の一日を過ごす中で、身重の妻が落ち葉拾いをする姿を目で追いながら、車椅子を押してくれる母に語った「心のケア」とはの自問の答えの言葉です。

「あぁ、心のケアってなにか解った

誰も独りぼっちにさせへんってことや」

このドラマには、震災によって家族や家や仕事という生き甲斐を奪われ、不安や喪失や悲しみを抱えた上に、それでも弱音を吐けない、迷惑を掛けられないという呪縛の重圧に押しつぶされそうな人々の、一人ひとりの物語が描かれていました。それらは、当時のニュース映像や写真だけでは残せない、一人ひとりの個人的な震災の記憶でした。

明日の震災30年後の1月17日を迎えるにあたり、「震災の記憶」を、これからどう語り継いでいけば良いのかという課題を取り上げた番組がありました。教え子にどのように震災の記憶を教えていけばいいのか、辛い震災の記憶を抱える小学校教師のドキュメンタリーも観ました。

私は次の様に思います。

ヒントは、80年前の8月6日にご自身も広島で原子爆弾により被爆者となった教育者、長田新教授が、6年後の1951年に出版された「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」という題名の作文集です。

長田新教授は、復興が進む広島市の小学生、中学生、高校生そして大学生に作文用紙を配布して、一人ひとりの被災時の記憶、物語を執筆してくれるよう依頼しました。そして集まった作文を編纂して、この本を作られました。

私は、この本に二つの意義を感じています。

一つは、何十人もの年齢も性別も境遇も異なる子供たちの被災の記憶や物語を読み進めることで、私がそうであったように、読者に、当時の広島市の生々しい光景を想像させることが出来ると思うからです。人間というのは、当時は冷静ではいられなかったとしても、数年の月日が、少しは冷静に、客観的に自分の記憶を振り返られるのだと思います。情報が正確で順序立てた筋道で綴られた物語は、読者の理解を促進します。

そして二つめは、手記を書くことで、程度のほどは分かりませんが、各々の中で、一つの区切りとなって、前に進む切っ掛けとなることを期待できるのではと思うのです。

多様な数多くの手記を残すということは、被災者にとっても、そしてその記憶を継承する者にとっても、大事なことではないかと思うのです。

そして、その手記をテキストにして、教師も生徒も関係なく、大人も子供も関係なく、みんなで読み、それぞれの感想を披露しあい、どうすればいいのかを共に考えるのが大事なのだと思います。その考える時間を共有することが、私たちにはとても大事なのだと思います。

明日で、兵庫県南部地震から30年です。丁度、私の娘のように、あの日0歳であった幼児も、今は30歳です。記憶の残る人ならば、全く風化することなく記憶を持ち続けていることだと思います。あの日以降に生まれて震災教育に触れた人も含めたいと思います。みんなで30年まえの記憶、震災の記憶、震災教育の記憶、そして各々の物語を、手記に綴って、それを一冊の本、今ならば、誰でもアクセス出来る震災の記憶データベースを構築して、後世に残すのは、とても意義のあることではないかと思います。

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