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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年4月9日木曜日

米朝さんへの感謝の言葉

昨日、先日89歳で亡くなられた桂米朝さんの著書「私の履歴書」を買いました。
まだ車中で数頁読んだだけですが、米朝さんという人物を端的に表すエピソードを見つけました。

それは「交遊」の章にありました。
奈良・薬師寺の高田好胤さんとの会話です。その箇所、引用させて頂きます。
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ある時、薬師寺におじゃましたら床の間の軸に目が留まった。
「本来無一物」とある。
高田さんの師である橋本凝胤長老の書であった。
その豊かな味わいに思わず無心すると、
これだけはだれであろうと無理と受け付けない。
そこで「本来無一物。これが僧のあるべき姿では」と突っ込むと、
さすがの高僧も答えに窮し、首尾よく我が家の床の間に引っ越した。
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米朝さんは、細やかに落語を演じる一流の噺家であったと同時に、上方落語の復興、そして後生に残すという偉業を達成された落語研究の第一人者でありました。
ですから米朝さんは、芸事から文化芸術、教育と多岐にわたり各分野の第一人者と親しく交遊がありました。そして米朝さんは、その各分野の第一人者からも一目置かれる存在であったのだと思います。
薬師寺の説法の達人と、親しく座を共にする事など一介の芸人では考えられない事の様に思います。さらに云えば、宝物を無心する事など滅相も無い事に思います。
それをさらりと口にして、さらには禅問答さながらの問答で、まんまと宝物を手に入れた。
凄い人物だと感じ入りました。


私は十代の頃に枝雀落語に出会い、落語のファンとなりました。というよりも爆笑型の枝雀落語のファンとなりました。しかし、その師匠であり同郷姫路出身の米朝さんの落語は当時の私にはインテリ過ぎて、あまり好きではありませんでした。

六年前です。朗読というものに興味を覚え、よく聴いていた枝雀さんの落語話を朗読することを思いつきました。枝雀さんの落語CDは何枚も持っていましたので、その落語話を書き記した本を探しに図書館を訪ねました。有名どころの本が沢山ありました。枝雀さんの落語話の本もシリーズで何冊もありました。でも、そこでハタッと気付きます。爆笑型の枝雀落語を真似て朗読することなんて不可能だと・・・

その横に、師匠米朝さんの落語話の本もシリーズで何冊もありました。その一冊を手に取りました。頁をめくると「たちぎれ線香」というタイトルが目に留まり、立ったまま読みました。枕で、昔の花街の風景が鮮やかに描かれていました。登場する人物が活き活きと動きだし、すっかり物語世界に引き込まれました。
この「たちぎれ線香」は、枝雀六十番には入っていない演目でした。図書館にはAV資料の貸し出しがあって、枝雀さんや米朝さんの落語CDも揃っていました。それで何回も通い、一通り借りて聴きました。もちろん米朝さんの「たちぎれ線香」はなんじゅっぺんも聴きました。そして「たちぎれ線香」の朗読に挑戦しました。


※5年前にアップロードした朗読です。当時一本15分以内という制限があり、場面場面でファイルを分けました。全部で10幕あります。計50分以上あります・・・根気よくお聞き下さい

CDから流れる米朝さんの語りは、細やかな舞台の風景描写から始まります。私はまるで絵を見る様に舞台を思い浮かべます。そこに登場人物が現れて、活き活きと動き始めるのです。昔話に「絵のうまい小僧さん」の話がありますが、米朝さんは筆で描く物語で、また語りで登場人物に命を吹き込まれていくのです。
そして私は、枝雀さんと同様に米朝さんの落語の虜となりました。

「たちぎれ線香」に始まり、「百年目」、「天狗裁き」、「三枚起請」、「不動坊」、「骨釣り」、「まめだ」等々・・・次々に聴きました。
米朝さんは、帝に奉行、そしておおだなの主人、番頭、丁稚さんになって、
また閻魔大王、幽霊そして化け物、遊女、たいこもち、街の遊び人になって、
笑いと涙と人情を、私に運んでくれました。

米朝さん、ありがとうございました。

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