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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2016年7月24日日曜日

青天の霹靂な出来事

まさに青天の霹靂でした。

金曜日、いつもと変わらず五時に起き朝のルーティンを熟して六時半、朝食に向き合ったところで胸の辺りから締め付けられる様な痛みが始まりました。その痛み苦しみは左肩から背中へと広がって、もう食べるどころではありません。寝転んで痛みが収まるまで耐えました。

直近では三ヶ月ほど前に同じ痛みに襲われて、自宅近くのいつも診て貰っている先生に診て貰うと、頻繁ではなく早朝の安静時に一時間から二時間近く続く痛みの症状と痛みが治まってから様々に検査をしても一切異常が見つからないことから冠れん縮性狭心症ではないかという診断を受けていました。ですからあまり心配することなく、ただ日々の疲れを翌日に少しでも残さぬようにと睡眠不足にたけ注意して過ごしてきました。そして実際、三ヶ月近くあの痛み苦しみは襲ってくることはありませんでした。

その痛み苦しみに再び襲われました。そして八時前ようやく痛みは収まりました。額は汗びっしょりでした。手首足首の先に感じた痺れも収まってきましたが、全身の怠さとめまいが収まりません。妻が丁度仕事が休みであったのでいつもの病院に連れて行って貰いました。

三ヶ月前と同じく様々な検査をした上、心臓の異常を感知する血液検査も行いました。

そして不安定狭心症と診断されました。先生は私の循環器病センターへの急患受け入れ手続きを行い、すぐに家族を同行し循環器病センターに向かうよう指示されました。

あれあれと云う思いで循環器病センターに着くと、そのまま救急救命室に通されベッドに寝かされ、再び検査が始まって、主治医となる博多華丸似の若い闊達な先生から「今からカテーテル検査をして部位を特定します」「そのまま治療出来ると判断できればカテーテルによる冠動脈形成術を行います」と説明を受け、同意書にサインをすると、すぐに車椅子で集中治療室に通されて、手術のための準備を体に施され、カンファレンスの終了を待ってからベッドのまま手術室に入りました。

手術室には七名の医師と看護師が待機され、ガラス窓の向こうにも幾名かの人影が見えました。すぐに主治医から術の開始が告げられて、右手首に局所麻酔が打たれ、右手首からカテーテルが挿入させて術が始まりました。意識は鮮明で、目も耳も鼻も肌触覚も鮮明です。「腕の辺り、太い管が通るため少し痛みがあると思います」と注意を受けたすぐその後、腕の中をぐぐっと入っていく重怠い痛みがありました。この痛みが術中唯一の嫌な感覚でした。腕から肩を通って管が胸の中に入っていくのが分かります。

でも管の先端をサーチするセンサーが胸や頭の上にあるために、医師の様子を垣間見ることも、また幾台ものモニターに映し出される体内の様子も見ることができません。それで観念して目を閉じました。

医師から「息を吸って、止めて」「吐いて、止めて」「楽にして」と指示が出て、瞬間に従います。患者もこの術を成功させるチームの一員なのだと実感します。

「今からバルーンを膨らまします。狭心症発作時と同じ痛みが出ますが大丈夫です」と言われて身構えましたが、プチッと小さい膨らみを感じただけで、恐れた痛みは全くありませんでした。

そしてステンス留置という冠動脈形成術は一時間ほどで終わりました。手術室は最先端の医療機器が多数稼働しているために室温が低く設定されていて、術が無事に終了した安堵感と合間って寒さに全身が震え出しました。

昨日の昼まで集中治療室にいて、細やかな看護介護を受けました。看護介護は18時から0時、0時から6時、6時から12時、12時からと新しい看護師に引き継がれました。初めて下の世話も受けました。看護師の皆さんの献身にただただ頭が下がります。

そして今、一般病室に移り手持ち無沙汰で過ごしています。一昨日、心臓の術を受けたのか夢で有ったかのようです。

明日月曜日の検査によって退院が決まります。明後日には家に帰れそうです。今後多少の生活制限があるかもしれませんが、それはその時考えることにします。

今回のこと、青天の霹靂の出来事でしたが、でも絶対に起こらない事ではなかったと感じています。

そして、心配してくれる家族がいることの有り難さ、長年信頼して診て貰っている先生がいることの有り難さ、そして素晴らしい医療と優秀で献身的な医師や看護師に出会えたことの有り難さに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

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