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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2016年8月4日木曜日

感謝

深夜に目が覚めました。ベッドの周りは薄暗かったですが、心の中で“感謝”の火が灯りました。

私には信仰心があります。でもとても日本人的といいますか…

ずっと前になりますがプロテスタントの教会で洗礼を受けました。ほんの短い間でしたが牧師先生から聖書の学びも受けました。聖書の主だった記事は全て頁を開き読みました。

でも家は曹洞宗で、仏の道の荘厳さや仏の慈愛・博愛に親しみや尊さも感じています。

それだけではなく、野山に入れば野山の神々に想いを馳せ、海川に出れば海川の神々に想いを馳せる。天空を見上げれば天空の神々に想いを馳せるという風に、いわば八百万の神信仰なのです。

でも物心がついた時からその様な信仰心があった訳ではありません。少年の頃は臆病で自信がまるで無く猜疑心に支配されていた様に思います。

それが映画を観ることが好きになり、やがてチャップリンを知り、その人となりを深く知るようになってから、チャップリンの様な博愛主義の面白い人間になりたいと思うようになりました。

音楽をかじりスポーツをかじり、祭りにのめり込み酒を知ってから、心から気の許せる友ができました。

社会に出てからはドタバタしながらも信頼する友を得、身近に目標となる愛すべき先輩を得ました。そして大切な後輩も得ました。

読書が趣味となってからは歴史の中の英雄が身近な存在になりました。坂本龍馬です。龍馬の様に生きたいと思うようになりました。

また神話や信仰の歴史物語を通じて信仰にも興味が芽生えました。

恋すること愛することの喜びや切なさと、破れたとき失ったときの苦しさも知りました。

仕事における賞賛も屈辱も知りました。

でも、それでも心の中から猜疑心を拭い去る事は出来なかった様に思います。

結婚し妻を得て子供を授かり、順風満帆な日々が始まると思った矢先、心の病を発症しました。そして自信喪失、自己嫌悪、そして社会に対する怯えと猜疑心に支配されるという暗黒の日々が始まりました。

そんな私を見捨てずに、支え、時には笑い飛ばし、また私のわがままを許してくれた。妻であり、家族です。そして友がそうでした。

何より子供の成長が、私の社会への繋がりを取り戻す機会を与えてくれました。そこで出会った人達は、子供を愛し、人生を一生懸命に生き、そして楽しむことも忘れない愛す べき人達でした。わが子とともに成長する子供たちも一人残らず大好きになりました。

そしていつの間にか、妻にも家族にも友にも素直に“感謝”が伝えられる人間に、ようやくなれた様に思います。

歩くこと写真を撮ることが生きがいとなり、そこで出会う、また見るもの全てに感謝を抱く様になりました。八百万の神への信仰心が成りました。

ブログを始め、記録し、主体的にも客観的にも伝える難しさ、大切さ、そして使命を知りました。

今ようやく、何のてらいも無く信仰心を証すこと、そして感謝して生きることが出来つつある様に思います。

そしてこの度の身に起こった青天の霹靂の様な出来事にも、妻、家族、そして友が支えてくれます。

病院も医師も看護師も看護助手の皆さんも、全力で回復をサポートして下さいます。

昨日の手術も、何の不安もなく挑むことが出来ました。

わがまま言っちゃあ罰が当たると思うと共に、私の信仰の根幹を証して感謝したいと思います。

心から信じたものは、たとえ結果的に裏切られる事になっても、

たとえ叶わなくても、

信じる気持ちは揺るがない

感謝の気持ちは揺るがない

神様のなさることはすべて美しいからです。

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