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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年4月24日水曜日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、読後感想


村上春樹さんの最新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読みました。

1980年代に発表され大ヒットした『ノルウェイの森』が、貧しく、まだまだ薄っぺらな若者の熱情的な恋愛劇であるなら、今作品は、刺激的な時代を通り過ぎてしまった青年多崎つくるが大人の恋愛を成就するために、「自分はほんとうに、心からこの女(ヒト)を愛せる、求め続けられる人間であるのか?」という自分の内にある大きな疑念を解きほぐす心の旅、大事な旅、巡礼を描いた穏やかな物語でした。

『ノルウェイの森』では、ビートルズの”Norwegian Wood”が全編に流れていました。猥雑で軽薄な乗りが、重く衝撃的な物語に軽快さをあたえていました。
今作品にも全編を流れる音楽があります。フランツ・リストの曲集《巡礼の年》第1年《スイス》8.ノスタラウジア-Le Mal du Pays-です。
・・・
《62頁、大学の二つ後輩の灰田が持ち込んだレコードを聴く場面》
あるピアノのレコードを聴いているとき、それが以前に何度か耳にした曲であることに、つくるは気づいた。題名は知らない。作曲者も知らない。でも静かな哀切に満ちた音楽だ。冒頭に短音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ。その穏やかな変奏。つくるは読んでいた本のページから目を上げ、これは何という曲なのかと灰田に尋ねた。
「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っています」
「『ル・マル・デュ・・・』?」
「Le Mal du Pays フランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。正確に翻訳するのが難しい言葉です」
「僕の知っている女の子がその曲を弾いていたな。高校生のときのクラスメートだった」
「僕もこの曲は昔から好きです。あまり一般的に知られている曲ではありませんが」と灰田は言った。「そのお友だちはピアノがうまかったんですか?」
「僕は音楽に詳しくないから、上手下手は判断できない。でも耳にするたび美しい曲だと思った。なんて言えばいいんだろう?穏やかな哀しみに満ちていて、それでいてセンチメンタルじゃない」
・・・
『ル・マル・デュ・ペイ』の感傷は、後半、つくるの最後の巡礼地であるフィンランド、ヘルシンキから北に100㎞の地点にあるハネーンリンナの氷河が刻んだ湖の湖畔、親友クロのサマーハウスでも語られます。

『人は、人生に満ち溢れる”理由のない哀しみ”を、穏やかに乗り越えて、あるいは泳ぎ切って先に進まなければいけない。』村上春樹さんは多崎つくるの巡礼を通して語られている様に思いました。

それでは、”理由のない哀しみ”とは何でしょう?
それは、
二十歳の多崎つくるを死の淵まで追いやったもの
五芒星の如くに調和のとれた5人のグループを崩壊に追いやったもの
そして二十歳の灰田と、その父も二十歳の頃に出くわした死に神
です。
”理由のない”とは、”決して表にでることのない理由”あるいは”決して人に言えない理由”です。その哀しみは、”決して外に吐き出すことの出来ない”あるいは”処方のない”哀しみです。
”理由のない哀しみ”は、突然に私たちを襲います、取り憑きます。それはまるで悪霊の憑依の如く、あるいは悪魔に魅入られた如く、残酷に、執拗に私たちを孤立に追い込みます。そして気づきます。この世には《完全なる悪意》が存在することに気づきます。
国内を見渡せば
オウムのテロ
JR福知山線脱線事故
ストーカー殺人
尼崎大量殺人事件
亀岡暴走事故(というより殺人事件)
等々
海外に目を向ければ
アメリカ同時多発テロ
ボストンマラソン同時爆弾テロ
銃乱射大量殺人
シリアで、また世界の無法地帯で今なお行われているジェノサイド(集団殺戮)

そして身近には、将来に希望が持てない子供、若者、壮年者、老人
私たちの中に”理由のない哀しみ”が積もります。

そんなどうしようもない事柄に、
『穏やかに乗り越えて、あるいは泳ぎ切って先に進まなければいけない。』
そして
『生きなければならない』
と語られる村上春樹さんの《人間というものへの愛》に感じ入りました。

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