「王将」という歌があります。
作詞:西条八十 作曲:船村徹 歌:村田英雄
吹けば飛ぶよな将棋の駒に
賭けた命を笑わば笑え
生まれ浪花の八百八橋
月も知ってる俺らの意気地
あの手この手の思案を胸に
やぶれ長屋で今年も暮れた
愚痴も言わずに女房の小春
つくる笑顔がいじらしい
明日は東京に出て行くからは
何が何でも勝たねばならぬ
空に灯がつく通天閣に
俺の闘志がまた燃える
三日越しの洲本戦に敗れて帰った学校でのミーティングで、福本先生そして東本先生から
『夏休み中野球漬けでやってきて、ここで終わってしまうのはもったいないやろう、悔しいやろう』と云われた言葉が残ったと、耕太郎が話しました。
選手もへとへと、保護者もへとへと、しかしそれ以上に先生はもっとへとへとであったと思います。
厳しい天気の中で、遠征して行う試合、こちらは試合が行われると信じて行動しなければならない。道中皆の安全を信じ、そして試合に勝たねばならない。
チームを指導される監督、コーチの心情を察しているうち、この「王将」という歌が浮かんできました。
ここではあえて三つの言葉を抜き出します。
『吹けば飛ぶよな将棋の駒に賭けた命を笑わば笑え』
『あの手この手の思案を胸に』
『何が何でも勝たねばならぬ』
将棋の棋士は、手駒の特性を知り、序盤中盤終盤という三つの局面の作戦を立て、勝利するために駒を差します。
序盤は、相手の力を計り、間合いを計る局面です。
中盤は、間合いを詰める局面です。そして辛抱しながら、振り子の如く敵味方に行き交う好機を掴まなければなりません。
そして終盤、王手まで一手の狂いもなく駒を差し続け、勝利を勝ち取る。
これはまさしく、あらゆる指揮者の醍醐味であると思います。
野球の指揮者の場合、もしもイチローの様な走攻守が揃いなおかつあらゆる局面を考えて行動できる選手ばかりあったならば、きっとつまらないだろうなぁと思います。
伸び代がある選手達を指導し育て、見出した特性を信じて、試合に配置し、中盤ではチャンスを広げる為、また流れを変える為に投入し、終盤では勝利を引き寄せる為に投入する。その一手一手が決まった時、指揮者は大いなる達成感を覚えるのだと思います。
そして選手は、
投手と捕手は、試合を作らなければなりません。
長いイニングを投げねばなりません、また何試合も連投しなけばならないかもしれません。
それを念頭に置いて、単調ではなく打者に応じてめりはりをつけて投げることが必要です。
好打者には、好機に絶対に打たれてはならない、試合が決してしまうからです。ですから何球掛かっても慎重に相対しなければならない、状況が許せるなら歩かせても構わない、それくらいの決心が必要です。ですが討ち取れる打者は多くても三球で片を付けなければならない。これがめりはりです。めりはりは投球の良いリズムを生み、投球数を抑えることに繋がります。そして、ここぞという局面で、集中力を高めて打者と勝負することを可能にします。
打者は、
クラッチヒッターの役割が与えられた打者は、早い打席で、投手に不安を与える一打を放たなければならない。それは次打席を打者有利で迎える為であり、また自らがチャンスメーカーとなってチャンスを作り広げることに繋がるからです。そしてチャンスで打席を迎えたならば、如何にしてもチャンスを物にする一打を放たなければならない。
チャンスを広げる役割を与えられた打者は、一球でチャンスを広げなければならない。一球で仕留めなければならない。それが相手に一呼吸も与えず精神的重圧をかけ続けることになるからです。精神的重圧は精度の狂いを誘います。そしてそれば勝機を生みます。
ある人が、成功には、才能と努力以上に意思力が必要だと述べられています。絶対に実現するという意思の持続が、才能と努力を開花させ成功に導くのだといいます。
選手達には、絶対に成功する、実現するという意思力を持って試合に挑んで欲しいし、意思力を強く持続する為に、日々の練習で努力を積み重ねて欲しいと思います。
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