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差別の天秤

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2014年9月30日火曜日

ぎっくり腰の思い出

先週の土曜日、高砂球場で松陽高校野球部の紅白試合が行われました。夏に引退した三年生部員も参加し、耕太郎などは久し振りの野球を思いっきり楽しんだ様子でした。
私は仕事のため観戦することはできませんでした。が、もう一人観戦できなかった人物がいました。中條さんです。中條さんは同じ三年生部員の父母として、この一年共に楽しく観戦した間柄です。しかし前日の金曜日仕事中にぎっくり腰になってしまったことを、試合観戦に行った妻から聞きました。

夜、中條さんにお見舞いの電話を入れると、明るい声で、四日ほど安静にすれば大丈夫、と話されました。
中條さんは、私より数歳年上ですが、若い時から柔道と野球と自転車で鍛えた体は、今も引き締まり溌剌とされていますので、きっと治りも早いと思います。

私もぎっくり腰は過去何度か経験しました。その痛み、そして治るためには日にち薬しかないことを知っています。
はじめてぎっくり腰の様な症状になったのは十代の終わりです。練り子として秋祭りでヤッサを担いでいました。本宮の夜、本門の前でヤッサを差したのですが、差しきれず私が肩を入れていた側にヤッサが落ちてきました。しかし、外側には真横に灯籠があって逃げられず、内側も練り子が一杯で逃げられず、腰で重みを受ける格好でへたり込みました。グシッと痛みが走りました。すぐに一本松連中がヤッサの下から引っ張り出してくれまして、事なきを得ましたが、それから腰痛やぎっくり腰は持病となりました。

一番酷いぎっくり腰は、二十代の中頃に経験しました。
人生で一番に元気な頃でした。週中は仕事と酒にどっぷり浸かり、週末はがむしゃらにスポーツをしました。運動音痴で、スポーツの素養も知識もないのに、体力だけは有り余っていました。草野球、ゴルフ、テニス、ボウリングを良くやりました。予定がなければ、一人で、もしくは一本松連中のボーさん、タカちゅんと、打ちっ放しに行きました。ある日の事です。いつもの様に、朝一ゴルフの打ちっ放しにいってから、バッテングセンターに行きテニスの打ちっ放しに行き、そしてタカちゅんとボウリングに行きました。そして第一投を投げるべく歩き出しボールを後ろに引いた瞬間、ぎっくり腰になりました。タカちゅんが自宅まで搬送してくれ、それから数日(まるで北脇の獅子のように)ねたねたです。もう三十年前の事ですがあらためてタカちゅんに「ありがとう!」を伝えたいと思います。
三年前から長歩きを楽しむようになってから、長年悩まされてきた腰痛から解放されました。それを続けなければいけないのに、今年は夏に入って軽い気管支炎に悩まされ、すっかり出不精になっています。このままでは腰痛が再発してしまう・・・

今から少し、散歩に出掛けてきます。いってきます!

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