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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年4月9日土曜日

花筏から高砂を考えます。

「花筏」という言葉を、週刊誌のグラビアで見つけました。
桜の花びらが散って、降り立った川面に広がり悠悠と流れゆく様を見た先人が、まるで筏を流しているようだと名付けた風流この上ない言葉です。

「花筏」の風流な意味合いなど知らず、でもずいぶん前から名前としてこの言葉は知っていました。上方落語の演目にあるんです。そして、この噺の舞台が高砂です。
米朝さんが掘り起こされた昔噺の一つなのでしょうね。地元愛が感じられる大好きな噺です。

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大阪で提灯の張り替えを営む徳さんのところに甘い話が転がります。なんでも看板力士の花筏が重い病気にかかったために次の巡業に出かけることが出来なくなり、でも巡業先から相撲はとらなくても結構、体だけでも寄こしてくれればと乞われたために、親方が一計を案じ、花筏に背格好がよく似た徳さんを身代わりに立てようと考えたのです。
給金は今の倍、しかも巡業先では相撲はとらなくてもいいし、好きなだけ飲み食いができるということで、徳さん、喜んで承諾し、そして播州高砂で行われる巡業に花筏として参加をします。

しかし、徳さん、重い病気であるという触れ込みであったのに関わらず、大飯をかっくらうわ大酒をあびるわ、あげくに宿屋の女中に夜這いを掛けるわと元気この上ない振る舞いをしたために、千秋楽に相撲を取らなくてはならない羽目に陥ります。
またまた親方が一計を案じ、徳さんに策を授けます。立ち会いで相手に触れるか触れないかのころ合いでごろんと転べ、すれば観衆は花筏は重い病気をおして土俵にあがってくれたと思い、花筏の人気に傷を付ける事はないと話します。

そして千秋楽を迎えます。花筏の相手は網元の息子で高砂一の力持ち千鳥ヶ浜です。千鳥ヶ浜は、玄人力士を尽くうっちゃって全勝で千秋楽を迎えていました。しかし、前夜父から諭されます。玄人衆は網元の息子だからと花を持たせてくれていたのだと、はらわたは煮えくりかえっていただろう、だから千秋楽に一番強い花筏だできてきたのだ。お前は明日殺される、だから決して土俵にはあがるなと諭されます。しかし、相撲が始まると父の言葉などどこかに飛んでしまい、名前を呼ばれると勇んで土俵にあがります。

そして立ち会いを迎えます。目の前の花筏に目を向けると、花筏が泣いています。突然、昨日の父の言葉が甦ってきて、「殺される」という恐怖でボロボロ泣き出します。
実は花筏の徳さんも転ぶどころか恐怖で体が凍り付き、「殺される」とボロボロ泣いていたのです。
そして行司が軍配を返すと、無我夢中で手を出した徳さんの手が触れるか触れないかのころ合いで千鳥ヶ浜がごろんと転がり、軍配が徳さんにあがります。
見ていた観衆は大喜び
「見たか、花筏、強いなぁ。千鳥ヶ浜、何じゃかんじゃ言ってもやっぱりあきゃせんわい、素人じゃわい。花筏がバ-ンと張っただけで飛んでしまいよった。花筏は張るのがうまいなぁ~!」というオチで締めくくられます。
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・・・長々と前振りが長くなってしまいました。スンマセン
昨晩、応援する市長選候補者の演説会に参加しました。
長年に渡る失政によって、高砂はどんどんいびつになって、いよいよどうしようも無い状況に陥っていると話されます。責任の一端は当然ながらその方にもあり、ご自身も認められていました。
高砂の西の飛び地として位置する北浜町、昔の栄華はもうどこにも見当たらなくなった高砂町、基幹道路と目された明姫幹線沿いは開発がままならず、河川は治水がままならない。
しかし現在の市長は、かつて行政マンであって政治家ではなく、市民のための交渉や折衝に汗をかかない、恥をかかないという思いを強くし、自らその役を買って出ようと、この度の選挙に背水の陣で挑んだと話されました。
それは真誠と思います。

そして、高齢者だけでなく市民に優しい施策も話されました。
現在の市民サービスセンターをかつての支所の様に、市民によりそい、市民の近くで様々な相談やサービスを提供できる場所にしたい。
また、そのためにも若く優秀な職員が頭を使って、体を使って、市民のために活躍出来るように育成したいとも話されました。

汗をかいてもらいたい、恥をかいてもらいたい、それで高砂市が高齢者にとっても、そして若い世代にとっても、住みやすい町に変わってくれたらという思いを強くした次第です。

p.s.
山電高砂駅と西友跡地の再生ですが・・・
夢想ですが・・・
大阪天満にある天満天神繁昌亭の様な定席寄席を作ってみたらどうかな、と思います。
かつて姫路を中心に播州地方にも寄席や芝居小屋があった様ですが、今や映画館さえ無く、市民は楽しみを求めて、神戸大阪と足を伸ばすしかありません。
それならば、思い切って笑いを町に誘致し、笑いを町に根付かせて、笑いで町を再生するのはどうかなぁ、て思います。外から人々が笑いを求めて訪れれば、新しい店もどんどん建って町に活気が戻るでしょう。
高砂を色に例えると、今は灰色です。でもだからこそ、一点でも明るい色が灯れば、それは誰の目にもはっきと分かります。明るい色が、ゆっくりでも広がればそれは楽しみの広がりです。もしかしたら、高砂には希望があるかもしれない、そんな風に思える事が大事なんではないかと思います。

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