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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年4月5日火曜日

高砂市の市長選挙が始まりましたね。

高砂市の市長選挙が始まりましたね。
候補者や周辺の人々の動向を垣間見て、はたと気付いた事があります。

高倉健さんは
「義理と人情を計りに掛けりゃ義理が重たい男の世界」と歌われましたが、
本当の世の中には、「義理」と「人情」の他に、「合理」と「打算」がある様に思います。
そして最近では「合理」や「打算」で人は動く、そんな風潮にもなりました。

でも、「合理」や「打算」がいけない、といっているワケではありません。
これに「俊敏」が加われば、仕事をする者にとって、しっかりと仕事をしてお金を稼ぐためには必要な心構えだと思います。
行政を担う役人も同様です。全員がテキパキと仕事が出来る実務家であったらと思います。

では、政治家はどうでしょうか?
今、社会に起こる様々な問題は、政治家が「合理」と「打算」に傾斜した結果、招いたものと思います。そして、「合理的でないもの」「声の小さいもの」「弱きもの」がどんどんと取り残されています。

当然ながら、政治家も仕事ができなければいけない。
しかし、その前に「義理堅く」なければならない。
義理堅さは、堅い人間関係の尊重を意味し、決して裏切る事がないという証しです。
そしてさらに一番前に「人情」がなければならない。
人情があればこそ、「合理的でないもの」「声の小さいもの」「弱きもの」にも寄り添って、身を粉にして働けるのだと思います。

今の高砂市に、ぶっ潰してでも良いものを作る、新しいものを作るという将来ビジョンを提示される活力ある政治家はいないと思います。でも、長きにわたり高砂市のために身を粉にして働き、さらには義理も人情にも篤い政治家はいると思います。

不合理かもしれませんが、私はそういう政治家に一票を投じたいと思います。
そして、こんな時代だからこそ、あえて
「合理」や「打算」ではなく
「義理」と「人情」、そして「俊敏」を信条とする政治家に、市政を委ねたいと思います。

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