大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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差別の天秤
「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...
2012年12月31日月曜日
2012年最後の日
おはようございます。
2012年最後の日は、静かに、そして穏やかに明けました。
5時、新聞を取りに外に出ますと、天上に北斗七星がありました。月は西北西70度くらいの位置にあって光を照らし、町に影を作ります。寒くありましたが、なにか荘厳な雰囲気が漂って身が引き締まりました。
今から仕事です。今日明日働いたら、私の正月が始まります。
今日から、この冬第3波となる強烈寒波が日本を包み込む様子です。2013年の元旦は、ここ播磨地方は晴で迎えられそうです。どこかで初日の出でも拝めたらと思います。
2012年12月27日木曜日
寒い!凍り付きそうです!
おはようございます。ぶるっ、寒い!凍り付きそうです!
Yahoo!お天気地図を見ると、北陸から北海道にかけて氷雪に覆われたように見えます。
北海道北部地域は軒並み-20℃以下の極低温になっています。
姫路でも現在-3℃です。冷たいというより痛いです。
そとは白々と夜が明けています。屋根は軒並み霜に覆われ真っ白です。ですが・・・驚きは、鳥のさえずりが聞こえています。小さな羽毛にくるまれた鳥たちは、朝日に歓喜している様子です。
2012年12月26日水曜日
小田和正のクリスマスの約束
クリスマス寒波も、なかなか堪えましたね。そして歳でしょう、夜中に何度かトイレに立ちます。
昨日の夜もそうで、時計を見ると0時過ぎでした。あっそうや!小田和正のコンサートしてるんや、と思いだしテレビをつけました。四方に観客席がある中央ステージの一角に、小田和正とゲストミュージシャンが並び、他のアーティストの名曲をカバーしています。そのハーモニーはとても美しかったです。そして何より、歌詞がとても大切に歌われて、その言葉のひとつひとつが心の琴線に触れ、心の中がしっとりと温かくなりました。
真夜中の小田和正クリスマスコンサート《クリスマスの約束》は、とても嬉しいプレゼントとなりました。有り難うございます。
クリスマスの約束2012
サンタクロース軍団がやって来た!
今年も我が家に、サンタクロース軍団がやって来ました。
昨夜の夜、玄関で声がして妻が出てみると阿弥陀からやってきたサンタクロース軍団です。
耕太郎はいそいそと着替えて、その軍団に混じり自転車で何処へと出かけました。
サンタクロース軍団、メリークリスマス!そしてありがとう!
2012年12月25日火曜日
とっておきの心温まる物語『十二番目の天使』
クリスマスに、とっておきの心温まる物語を紹介します。
オグ・マンディーノ作『十二番目の天使』(原題:The Twelfth Angel )です。
※朗読動画を作成しました(2017/1/31)
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ジョン・ハーディングは、死のうとしていました。最愛の妻アリーと最愛の息子リックを事故で突然に失ったからです。そして、コルト45に弾丸を詰め銃口をこめかみに当てて引き金を引こうとした時、窓の外からジョンを呼ぶ、自殺を押しとどめようとする声が聞こえます。声の主はリトルリーグ時代からの大切な親友ビルでした。
ビルは、家に引きこもるジョンをある場所に連れ出しました。そこは二人が野球と出会った場所、町の小さな野球場でした。そしてひと夏の間、リトルリーグのチームの監督を引き受けてくれないかと依頼をします。そのチームは、かつて二人が所属したことのあるエンジェルズでした。
土曜日、チームの選抜テストがありました。子供たちのほとんどは野球の心得がありました。でも一人だけ、体が小さく走りは遅く守る事も打つことも全くできない男の子がいます。11才のティモシー・ノーブルです。でもティモシーはどんなにできなくても全然へこたれません。そしてなによりボールを待つ姿が亡き7才の息子リックとそっくりなのです。そしてジョンは、ティモシーを含めた12名のエンジェルを預かることになりました。
夏休み、新生エンジェルズのスタートです。小さなティモシーは守る事も打つことも全く上手になりませんが、それでも誰よりも一生懸命に練習に取り組みます。
ジョンがティモシーに声をかけると思わぬ返事が返ってきました。
「でも、毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどんよくなっているんです!」
そしてこうも言います。
「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、あきらめるな!」
この二つの言葉(暗示)は、ティモシーとママにいつも親切にしてくれる医者のメッセンジャー先生がティモシーに教えてくれたものでした。
そしてリトルリーグが開幕しました。エンジェルズの初戦は、優勝候補筆頭のヤンキースです。エンジェルズは互角に戦いました。ティモシーの「絶対、あきらめるな!」のかけ声がチームに浸透していたからです。ですが試合は、ティモシーのタイムリーエラーで取られた1点が決勝点となり、エンジェルズは負けました。
試合の後、エースのトッドがティモシーに近づき「俺たちはあきらめない。だいたい、これはお前が言い出したことなんだぞ。そうだろう?(ティモシー)あきらめるな!いいか」
ティモシーは目に涙を一杯浮かべながらも静かに頷きました。
夕暮れ、皆が帰ったグラウンドの、ライトの定位置にティモシーがひとり座っていました。
ジョンは自分の経験から、もしやと思いグラウンドに引き返し、ティモシーを見つけたのでした。ジョンはティモシーのグローブを受け取りました。それは、傷んでボロボロのグローブでした。これではまともにボールをキャッチすることができません。
ジョンはティモシーに一つの提案をします。
「僕の家に、子どもが使っていたほとんど新品のグローブがある。使うといいよ。」
ティモシーは、ジョンの子どもが亡くなっていることを知っていました。でもジョンの提案を受け入れて「すごく嬉しいです。もっとうまくなります。」と応えます。
エンジェルズは快進撃を続けます。チームには最高のチームメイト、そして応援団長のティモシーがいたのです。ライトの守備はずいぶん上手くなりました。ですが今だヒットが一本も打てません。そして時折、ふらついたり、言葉がが不明瞭になったりします。
毎試合ティモシーの応援で試合観戦する老人がいました。メッセンジャー先生でした。
ジョンはメッセンジャー先生と挨拶を交わします。そしてティモシーについて聞きました。
メッセンジャー先生は、すこし言葉を濁しながらも
「特に心配はいらないでしょう。子どもに特有の些細な問題があるだけです」と応えます。
そしてエンジェルズはシーズンを2位で終え、王者ヤンキースと優勝決定戦を行う事になりました。
ジョンはビルに感謝します。
「なあビル。お前は、俺の人生の中に、これ以上ないというタイミングで戻ってきてくれたよな。それで、俺が関わり合うもの、思いを巡らすもの、生きる理由となるもの、あの天使たちを、俺に与えてくれた。お前は、あの子供たちと一緒に、俺がもういらないと思っていたのも、俺の命、俺の人生を、俺のもとに引き戻してくれたんだ。」
ビルが応えます。
「俺も含めて、チームの全員が、少しは力になれたかも知れないな。でも、一人だけ特別な人間がいないか?ジョン」
「・・・・」
「あの、ちっちゃな天使さ。お前が一番に感謝しなければならない相手は、あのちっちゃな天使だろうな。あの子は俺たちみんなに、人生とはこうやって関わるもんだということを、会うたびに教えてくれたよ」
そしてヤンキースとの優勝決定戦が始まりました。ティモシーの母ペギーが初めて試合を観戦しにきていました。隣にはメッセンジャー先生が座っています。
試合の後半、ヤンキース一点リードで迎えたエンジェルズの攻撃は、一打同点の場面でティモシーです。エンジェルズのチームメイトは皆ティモシーの初ヒットを願っています。
そしてその願いは果たされました。打球は一二塁間を抜けていきました。ティモシーの初ヒットは貴重な同点打となりました。エンジェルズの勢いは止まりません、次打者が続いてヒットを放ちティモシーが勝ち越しのホームをふみました。
優勝です。トロフィーを持ったティモシーがジョンに駆け寄ってきます。ジョンは両手を伸ばしてティモシーを持ち上げ、その小さな胸に思わず自分の顔を押し当てました。そして、「お前はずーっとチャンピオンだよ!ティモシーずっとだ」と話します。
ジョンは、ひと夏の癒やしの休暇を終えて、仕事に復帰しました。多忙で充実した日常が始まりました。そして三ヶ月があっという間に過ぎ去った頃、メッセ-ジャー医師から一本の電話がありました。
メッセンジャー医師が、ジョンの自宅を訪れました。そして悲しい知らせを話します。
「ティモシーのことだよ。(夏の前に)ティモシーの脳腫瘍を発見したんだ。それは手術で取り除くこともできないし、薬で小さくすることもできない。」
「そしてペギーとなんども話し合って決めたんだ。ティモシーに普通の生活をさせ続けると、同じ年頃の子供たちと同じようにして、可能な限り生きさせたい。それがペギーの願いだった。そして、ティモシーには知る権利があると結論をだしたんだ」
「(母の愛情は)ティモシーをとても喜ばせた。でもあの子は一つだけ条件をつきつけた。
(もうすぐ死ぬということを)誰にも知られたくない。友だちに同情されたり、特別扱いされたりは絶対したくない。ほかのあらゆる11才と同じように扱われたいと・・・」
ジョンは愕然とします。小さな天使は、自分が死ぬという事を知っていたのです。そしてひと夏の間、大好きだった野球を必死でプレーし続けたのです。
ジョンはティモシーに会いにいきます。ティモシーは車椅子に座って眠っていました。ジョンがティモシーに顔を近づけ愛しく見つめていた時、ティモシーは目を覚ましました。
「監督、来てくれたんだ!僕、分かってたんだ!絶対来てくれるって!」
ティモシーは続けます。
「僕は夢が叶ったんだよ。僕、神様に祈ったんだ。シーズンの終わりまで野球をさせてください。それからヒットを一本打たせて下さいって。」
別れ際、ティモシーがジョンに願います。
「リックのために祈ったりすること、あるんですか?」
「ああ、いつも祈っているよ」
「僕のためにも祈ってくれる?僕が死んだ後で・・・」
そして
「僕が生きているうちに、また会いに来てくれる?」
ジョンはその約束を守った。その日以降、週五,六回のペースで家を訪ね続けた。感謝祭の日も、クリスマスも、元旦も、バレンタインデーも。
そしてティモシーは、四月七日に他界した。
ティモシーの墓にはこんな碑文が刻まれた。
「僕は、絶対、絶対、絶対、絶対、あきらめなかった!」
end
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今回、何度目の読書となったのでしょう。何度読み返しても、後半部、メッセンジャー先生がジョンに悲しい告白をするくだりから涙無くして読み通すことはできませんでした。
オグ・マンディーノさんの作品は、自己を啓発し、成功への動機付けが与えられるとして、多くのファンを獲得していますが、この『十二番目の天使』も御多分に洩れず、とてもシンプルな自己暗示メッセージが基調にあります。
ティモシーが発する二つの言葉です。
「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどんよくなっているんです!」
そして
「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、あきらめるな!」
「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどんよくなっているんです!」
章でも紹介されていますが、この言葉は、1900年の始めに自己啓発のリーダーとなったエミール・クーエの言葉です。彼は医者であり心理学者であり、ポジティブ・シンキングの生みの親であり、自己暗示が病を治し、人生を成功に導くと提唱しました。そして残した名言が
『「日々、あらゆる面で、私はますます良くなってゆく」という言葉を、毎日自分に言い聞かせていれば、本当にあらゆることが良くなっていく。』です。
「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、あきらめるな!」
第二次世界大戦の最中、ナチスドイツの攻撃に劣勢であったイギリスの時の宰相ウィンストン・チャーチルがオックスフォード大学を巣立つ卒業生に贈った言葉です。
しかし、この『十二番目の天使』には、もっと大きなメッセージが含まれているように思います。それは、まさしく主イエスを彷彿する犠牲愛です。
主イエスは、人間の罪を購うために、この世に使わされ、そして人の罪(くびき)を背負いゴルゴダの丘で十字架の刑に処せられます。
この物語では、生きる希望を失ったジョンの前に、亡き息子にそっくりな、でも貧しくひ弱な、しかし生気に溢れた少年が現れます。でも少年には重い病があり、命に限りがありました。少年の純粋な生気は、真夏の太陽のように周りの人々に降り注ぎ、勇気を元気を授けますが、それと引き替えに少年は、周りの人々が抱える悲しみを抱いて静かに死に向かいます。
美しい物語ですが、決してこの悲劇は起こしてはならないと思います。
私たち人間は、クリスマスの聖夜、愛する者とともに、主の誕生日を祝う喜びを覚えますが、でも主が被った本当の約束(主の贖いによって人の罪が許されたこと)に感謝する者は、キリスト教信者でない限り、そう多くはないと思います。
私は、主の約束、犠牲愛に感謝するとともに、この様な悲劇が二度と繰り返されないことを願います。
2012年12月23日日曜日
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を観ました。
クリスマスイブイブの今日は、重々しい灰色雲に閉ざされたとても鬱陶しい一日でしたね。そんな中、クリスマス気分を味わえるものを探しました。
そしてクリスマスをシュールに描く名作アニメーション『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(原題:The Nightmare Before Christmas 1993年作品)を観ました。
人々に恐怖を授けるハロウィンタウンの化け物たち。
化け物たちは、今年もハロウィンを恐怖に彩り、町を凱旋します。しかし、一人だけ浮かない者がいました。化け物たちのリーダー”パンプキン・キング”のジャックです。
ジャックは、毎年代わり映えしないハロウィンの出し物がとてもつまらなくなっていました。
そして異世界に通じる森を彷徨ううちに、雪に閉ざされた町クリスマスタウンに迷い込みます。クリスマスタウンは、ハロウィンタウンとは何もかも違っていました。家々もそして家の中も、カラフルな色で彩られ、住人たちは笑顔が溢れています。
ジャックは、クリスマスタウンで二つの事を知りました。
クリスマスタウンの住人たちは、クリスマスの日に世界中の子供たちにプレゼントを届けるという楽しみを持っていること
そして、そのプレゼントを配達するのが、彼らの王、真っ赤な服に身を包んだ大男サンディ・クローズ(かぎ爪を持つ怪人)であることをです。
ジャックは、クリスマスタウンの住人に代わってハロウィンタウンの化け物がクリスマスを取り仕切ることを企みます。ジャックにとってそれはワクワクする企みとなりました。
まずは化け物たちに、恐怖のプレゼントを作らせます。
マッドサイエンティストのフィンケルスタイン博士に空飛ぶ骸骨トナカイとソリを、そしてガールフレンドの人造人間サリーに真っ赤な衣装の制作を頼みます。
そして極めつけは、サンディ・クローズの誘拐です。
ジャックは、クリスマスの出し物の準備をすべて整え、クリスマスの夜に人間世界目指して飛び立ちます。ジャックは煙突から、暗闇から部屋に忍び込み恐怖のプレゼントを忍ばせます。やがて町中に子供たちの恐怖の叫び声があふれ出しました。ジャックは、しばし味わう事のなかった達成感を覚えますが、やがてそれは間違いであることに気づきます。
ジャックは、待ち受ける子供たちが喜んでくれると期待していましたが、子供たちは恐れ、クリスマスをそしてサンディ・クローズの訪問を拒否します。そして人間世界では本物のサンタクロースが誘拐されたことが報道され、空を駆けるジャックは、軍隊から放たれた砲弾によって打ち落とされてしまいます。
天使の像に受け止められたジャックが目覚めます。そしてジャックは気づきました。クリスマスは愛や喜びで満たされ、それを運ぶのがサンタクロースの役目であることをです。
と同時に、ジャックはハロウィンで新たな悪夢を演出する楽しみを得る事ができました。
ジャックは、ハロウィンタウンに戻りサンタクロースを解放します。サンタクロースは世界中を愛と喜びで満たすために飛び立ちました。
その夜、ハロウィンタウンに真っ白い雪が降り積もりました。サンタクロースからのプレゼントでした。サンタクロースとジャックは互いにエールを交換しました。
『ハッピーハロウィン!』
『ハッピークリスマス!』
end
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』は、とてもユニークな映像作家ティム・バートン監督の創作物語です。私はティム・バートンの作品の中では特に(そして意外に)シュールで怪異的な作品が好きです。
『ビートルジュース』(Beetlejuice 1988年作品)
『バットマン』(Batman 1989年作品)
『シザーハンス』(EDWARD SCISSORHANDS 1990年作品)
『スリーピー・ホロウ』(Sleepy Hollow 1999年作品)
『コープスブライド』(Corpse Bride 2005年作品)
この『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』もシュールな怪異的物語です。そしてティム・バートンは化け物に愛情があるのでしょう、ハロウィンタウンの化け物たちはとても活き活きとして、可愛らしく描かれているのですが、方やクリスマスタウンの妖精たちは木偶人形の様で表情がなく、またサンタクロースはどう見ても悪党にしか見えません。
ですが、物語の中には一人も悪党はいません。(悪党面の悪霊ウギー・ブギーはいましたが、とてもとても弱き者でした。)ハロウィンタウンの妖精たちもクリスマスタウンの妖精たちも、人々が求める夢を叶えるために一生懸命です。そしてそれが喜びとなっています。
私たちは、私たちの欲望(恐怖体験、あるいは幸福体験)を叶えるために働いてくれている妖精たちに感謝しなければならないなぁ、なんて思います。
今日は12月23日、クリスマスの真夜中まで、後一日とちょっとです。
クリスマスタウンは、今頃きっとサンタクロースの出立準備で大忙しなのだろうなと思います。
2012年12月22日土曜日
2012年12月19日水曜日
何ともわけのわからん天気です。
ただいま正午前です。驚きです。
久しぶりに陽が差しているので布団を干していました。
ちょっと覗いてみると、屋根の瓦がぽつぽつと濡れています。
アレッ?布団を見ると、二つ折りに干した山の部分が濡れています。
顔を少し上げて目を閉じ、しばしじっとしていますと、霧の様に微細な雨を感じました。
そして慌てて布団を取り込みました。
2012年12月18日火曜日
2012年12月21日
数年前から突如として騒がれ出した、古代マヤ文明が記す『2012年人類滅亡説』。
その滅亡と日とされる、2012年12月21日が近づいてきます。
ですが本当のところは不明で、石碑に刻まれたマヤの暦は長期曆で一周が約5000年、その末日が、西暦の2012年12月21日にあたるといわれています。もしそうであれば、2012年12月22日は、新しい暦の始まりです。私たち日本人の感覚に置き換えれば、新年の始まりです。そう考えれば、私たちはこの年末に、マヤ曆の元旦、クリスマス、そして西暦2013年元旦とめでたい日を三度迎えることになります。
何故に、『人類滅亡の日』を思い出したかというと、今日のワールドニュースで、中国で児童の大量傷害事件が起こったことを伝えていました。その犯人がカルトな終末論者であったというのです。終末だから何をしてもいいという論理は言語道断です。そしてもう一つは、銃社会アメリカでまたしても起こってしまった銃による無差別大量殺人の続報です。CNNのニュース特番では、死を悼む音楽が流れる中で、真っ黒なスクリーンに一人一人の名前が浮かんでは消えていきました。思わず胸の痛みを覚えました。この事件の犯人は凶行に及んだ後自殺し、その動機もまた永遠に闇に葬られました。
私たちは、明るく暖かい陽の光に包まれる時、幸福感に満たされます。その陽光はすべてに平等に降り注ぎ、明るく照らされた世界は生の喜び、実りの喜び、そして感謝の喜びに溢れます。
しかし、陽も差さぬ行き先も分からない真っ暗な洞窟に落とされたら、いつか不安、絶望、そして憎しみに心が支配されるでしょう。それはまさに醜いゴラムです。
私たちは導きによって、善人にも、そして悪人にも変身する弱さ、器用さがあるのだと思います。ですから私たちは良きもので満たされなければならないし、また悪しきものは遠ざけなければならないのだと思うのです。
私たちはきっと何気に12月22日を迎えることになるでしょう。そして終末論を一笑することになるでしょう。ですが、凶行によって奪われた命はもう二度と取り戻すことができない事を、私たちはこの機会にしっかりと心に刻まなければならないと思います。
第46回衆議院議員総選挙
総選挙は、与党であった民主党の惨敗で終わりました。
国民が、決意を持って民主党に『NO』を突きつけたのです。
民主党を擁護する訳ではないですが、政権交代後の三年と三ヶ月は、自民党政権時代が招いた行き詰まった日本を、特命チーム民主党が再建に試行錯誤した時間であったと思います。ただ私たち国民が不幸であったのは、民主党にも特命チームを掌握できる人、国の未来を眺望できる人、そして求心力をもつ人がいなかった、それに尽きると思います。
そして2009年に民主党がマニフェストに掲げた公約もすべて露と消え、振り出しに戻ります。しかし、この惨状の中でも、これまでにしっかりと仕事をし国民の評価を得た人は当選しています。
方や自民党は単独過半数を獲得し圧勝でした。
ですが投票結果を見ると、
総選挙の投票率 59.32%
小選挙区選の獲得議席数 237
小選挙区選の獲得議席率 79.00%
小選挙区選の獲得票率 43.01%
※小選挙区選得票率割の議席数 129
比例選の獲得議席数 57
比例選の獲得議席率 31.67%
比例選の獲得票率 27.62%
※比例選得票率割の犠牲数 50
総選挙の獲得議席数 294
※得票率割の議席数 179
と、現行選挙結果が、民意を正しく反映していないことが分かります。
小選挙区選が自民党の地滑り的圧勝に有利に働いたのです。
小選挙区選は恐ろしいです。
第46回衆議院議員総選挙 獲得議席数・得票数.pdf
そして政権与党に返り咲いた自民党を率いるのは、2007年に一年足らずで総理大臣職を自ら辞職した安倍晋三氏です。彼がどの様な布陣で内閣を立ち上げるかで、安倍氏の決意の程が見えると思います。
日本は今、世界との繋がりがとても重要になっています。経済的発展においても、まだ安全保障においてもです。
ですが本当に大切なことは、日本の国民すべてが、自信を持って、希望も持って、生きていくことができる国作りです。自信があって、希望があってこそ教育が生き、そして仕事で本当の汗をかくことができます。それが日本人の品位を高め、世界の国々、人々の高い信頼を取り戻す道だと思います。そしてそれこそが2006年に安倍氏が掲げた『美しい国』作りの道だと思います。
安倍新総理が、老若男女のだれひとり疎かにしない政治の道を示してくれることを期待して止みません。
2012年12月16日日曜日
今日は衆議院議員総選挙の投票日です。
無慈悲な言葉だけがデタラメに町に溢れてる
NEVER MORE 切なく流れた声・・・
(さくらの目覚ましソングです。平田志穂子さんの歌『Never More』です。)
昨夜は、仕事から帰り夕食を食べてすぐに寝ました。疲れと治りきらない風邪のためです。宵から激しく雨が降りました。その雨の中、夜遅くまで選挙カーから発せられる慈悲を乞う『悲壮なお願い』が聞こえてきます。俺の方が悲壮やのに~なんて憤懣を覚えながら夢の世界へ旅立ちました。
おはようございます。今日12月16日(日)は、第46回衆議院議員総選挙の投票日です。
昨夜の雨はあがっています。仕事の前に、投票所に出向こうと思っています。
昨日の夕刊紙に、総選挙の意味が端的に書かれていました。(直接的ではないにしろ)日本の最高権力者内閣総理大臣を選ぶ選挙であると書かれていました。
私たちは、小選挙区選挙で1選挙区から1人の議員を選び、比例代表選挙で、選挙区から政党を一つ選びます。そして二つの選挙によって当選した衆議院議員の数の多い政党が与党となります。この国民から選ばれた国会議員による内閣総理大臣指名選挙によって次の内閣総理大臣が選ばれるのです。
また新聞には次のようにも書かれていました。
「好みではなく、信頼できる人を選びたい」
しかし以前にはこうも書かれていました。
「選ぶ人がいなければ、当選させたくない人を外して最後に残った人に一票を投じてみては」
この様な選び方しかできない世を不憫に思います。
私は、一応投票する人を、そして党を決めています。
そして新しい政権が動き出せば、見守りたいと思います。新しい政権が、日本が抱え込む幾多の問題に、真摯にまた誠実に取り組んでくれることを見守りたいと思います。
2012年12月11日火曜日
4時間マラソン朗読会、完走しました。(*^_^*)
マラソン朗読会、なんとか完走しました。
そうは言っても、気持ちが入りすぎて朗読に没頭し過ぎたり、BGMに乗れずに間が空きすぎたりと山あり谷ありでしたが、一生懸命に聞いてくれる生徒がいて、ほどよい充実感を味わう事ができました。
生徒の皆さん、有り難うございました。m(__)m
今日はマラソン朗読会です。
おはようございます。
今朝は三時に起きました。もしかしたら、子どもの頃遠足や旅行に出かける当日はワクワクして早起きした、に近い感覚なのかもしれません。
それともう一つは、数日前から風邪症状があり、少しでも早く体を起こして、体調を整えたいのです。
今日は午前中、中学校の朗読会に朗読者として参加します。鹿島中の黒田先生から機会を頂きました。そして一年生四クラスの国語の時間が朗読会となります。芝居でたとえれば四幕です。
会場は南館4Fの多目的教室です。パソコンで朗読ビデオを実行し、プロジェクターで絵を大きく白幕に映します。音は天上に設置されたスピーカーから流します。先週金曜日にセットアップしたのですが、ちょっとした短編アニメ上映の様でした。
朗読する本は7冊です。各クラス3冊、計12冊朗読します。4時間話し続けるという経験はこれまでないので、最後はどうなるのか想像もつきませんが、とにかく生徒たちと共に朗読に夢中になって楽しめたらと思います。
2012年12月10日月曜日
おはようございます。
今日も心から寒いですね、真冬です。
5時前、新聞を取りに外に出ますと、漆黒の空に、星たちがくっきりと瞬いていました。星たちが、僕たちはここにいるよ、と呼びかけているように思えました。
でも長見上げることはできません、夜気に凍えそうなのです。
新聞受けを開けると新聞はありませんでした。そうかっ、今日は新聞休刊日でした。
それから6時まで寝直しました。布団の中は暖かでした。
2012年12月7日金曜日
新作、映画『レ・ミゼラブル』について
ヴィクトル・ユーゴーが、1862年に原作を発表してから丁度150年となる今年、新たに全編歌で綴られるミュージカル映画『レ・ミゼラブル』が公開されます。日本公開は今月21日(金)です。
http://www.lesmiserables-movie.jp/
私は、この新作映画のニュースを知った時、実はエエッっと思いました。
つい最近(といっても10年以上過ぎていました)公開されたばかりじゃないの、という思いからです。
1998年に公開された、リーアム・ニーソンがジャン・バルジャンを演じた『レ・ミゼラブル』があまりにも良かったからです。重厚な物語と演技、そして19世紀始めのフランスの世相、風景が見事に描かれていました。
貧しさ故に娼婦に墜ちた薄幸な女ファンティーヌをユア・サーマンが演じました。そしてジャン・ヴァルジャンを執拗に追う警部ジャベールをジェフリー・ラッシュが演じました。特に、フランス革命前後の社会正義の転換により、尊大な王朝の監視であったジャベールが、権力を奪われても尚、ジャン・バルジャンを執拗に追い続け、ついにジャン・ヴァルジャンを捉えた時に、真の罪、高潔な市民を無慈悲に追い回した我が罪に潔く殉じる、このシーンにとても感動しました。
枯れた風景、美しい音楽、素晴らしい演者がいて、とても力のこもった物語でした。
この様な、10年以上経ってもまだ感動を持続している映画が、新作となって公開される。これまで余り経験したことがありません。
ですが、新作は、舞台公演される『レ・ミゼラブル』の映画化、リメイクといった趣向だそうで、一公演をフィルムに収めるという意気込みで制作された様子です。俳優は全員オーディション、そして全編セリフはなくて、歌で物語が綴られます。
ジャン・バルジャンをヒュー・ジャックマン、そしてジャベール警部をラッセル・クロウが演じます。最近のハリウッドはオーストラリア人が席巻しているなぁと思ってしまいます。(ちなみに、ヒュー・ジャックマンはこの夏、息子さんを伴って富士山登山を楽しまれた様子です。嬉しいですね!)
そして注目は、ヘレナ・ボトム=カーターです。幼いコゼットをこき使う宿屋の女将、テナルディエ婦人に扮します。
今回の新作では、1998年公開作品では描かれなかった『レ・ミゼラブル』の後半、コゼットとの離別、そして再会と融和が描かれていたら良いなぁと思います。そして、この物語のダークサイドに立つ二人目の人物、どぶねずみの様に悪事を重ねるテナルディエが登場すればなお良いのになぁと期待します。
年明けにでも、観に行こうと思います。
『進め~!大先真一郎!』、純と愛、その2
今週の『すーぱーまん』の話も、いやぁ時限爆弾が見事に炸裂、驚かされてしまいました。舘ひろし演じるオオサキホテル社長大先真一郎の不甲斐なさは天下一品、ですが心根の素直さはホント少年ですね。カイザーにオオサキホテルを牛耳られ、先代から引き継いだオオサキホテルの命、『おもてなしの心』と『お客様に笑顔になって頂く』ためにあった、施設や部門、そして人まで切り捨てられる事態に向き合うことが出来ずに雲隠れし、あげくに純の家にひょっこり現れる。
どうするんですか?と問い詰める純に対して黙りを決め込むと、純は最終兵器、愛の本性読みの能力を使って、愛に真一郎の本心を語らせる。普通、どうしようも無く逃げ惑っている時、さらに心の中まで暴かれる事態になれば、人間気が狂うほどに拒絶すると思うのですが、真一郎は面白がりました。真一郎は、恐れもせず、またすがりもせず、ただ面白がったのです。このシーンが切っ掛けで、重苦しかった話の空気が一気に変わりました。
そしてもう一つの時限爆弾が、吉田羊さん演じる桐野富士子の豹変です。これまでずっと冷静無比な純の上司であり続けていましたが、昔の恋人(そして今も相思相愛の)真一郎が、遅ればせながら、ようやくオオサキホテルの命を取り戻そうと決意した時、堅く縛った髪をほどき、背負った十字架の象徴であるクロスのネックレスを引きちぎって、遅いわよ!と詰め寄り、どんと背中を押すシーン、実に迫力がありました。
ただ、今回の朝ドラ『純と愛』に限って言えば、先の展開が全く読めないです。というか常に視聴者を驚かせようとする、制作者側の遊びを感じます。そう関西人のノリです。とにかくビックリさせて、ツッコミを入れて、ボケる。それを毎週続けるのだから、とても凄いバイタリティだと感心します。
そしてこの物語の終幕は、関西人のノリで考えれば、泣き笑いの末にみんなが笑顔になって幕を下ろすのだと想像します。
来週は誰が時限爆弾となるのか楽しみです。
2012年12月6日木曜日
深夜の爆弾低気圧、凄かったですね。
昨夜、深夜の爆弾低気圧の通過に伴う、暴風は凄かったですね。家が壊れるかと思いました。
現在(昼の12:40)ですが、日本海側は、島根県から北海道にかけて、暴風警報が発令中です。瀬戸内海に面する、ここ播州地方では、深夜0時から明け方5時にかけ、10mを超える暴風が吹き荒れました。今は、それがウソのように穏やかです。陽も差しています。
最近の気象用語は、どんどん新しい単語が増えてきました。
『スーパー台風』、『ゲリラ豪雨』そして『爆弾低気圧』と、どれもおっかない呼び名です。危険を直感的に与えるにはピッタリの呼び名だと思いますが、実際にそれが、神出鬼没に現れて、甚大な被害を及ぼす、必ず炸裂する爆弾だとすれば、私たちにはもう手立てがない様に思えます。遭遇すれば、ただ頭を下げて祈り、無事に通り過ぎてくれる事を願うだけです。
内閣総理大臣を目指す候補者への、たった二つの望み
衆議院議員総選挙が始まりました。
選挙の公示が決まってから、町の辻に立ち、駅前に立ち、朝ひたすら笑顔を振りまいて「おはようございます」と顔を売ろうと努める候補者もいれば、政策を語る候補者、他政党や他候補者を非難する候補者とさまざまです。
乱立した党の党首もポスターや電波に乗って、総花的な公約と、何より語気の強い『政治スローガン』に終始しています。
民主党の野田党首(現内閣総理大臣)は、『決断!』を声高に唱え、民主党政権がこの三年余りで進めてきた政策を推し進めるか、後退させるか、貴方方国民ひとり一人の決断(投票)にかかっていると訴えます。
方や自民党の安部党首(元内閣総理大臣)は、『取り戻そう!』と声高に唱え、(民主党政権になってからの?)危機的的状況にある経済、教育、外交を立て直し、安心社会を作ると訴えます。
私は、次の内閣総理大臣を目指そうとする候補者には、たった二つだけを望みます。
その一つは、
『実現する夢を(希望を)を大らかな語れる』
です。
現在の政治家は、本来の意味での政治家ではなく、実務家です。会社でたとえるならば、ビジョンを持ち実行する力とその責任を一新に負う社長であるべきなのに、執行役員です。酷い場合には名目役員におさまる場合もあります。実務がわからなければ役所の長は務まらないです。それはこれまでの悲劇的な大臣を見て強く感じます。ですが政治家には、実務以上に(私が)実現する夢、希望を大らかに語れる事こそ必要だと思います。それが組織で働く人々の心を掴み、国民が託することの出来る唯一だと思うからです。
1960年の池田内閣総理大臣が掲げた『所得倍増計画』、そして
1972年の田中内閣総理大臣が掲げた『日本列島改造論』は、強烈でした。後先を踏まえておれば、今の世はまた違う世の中になっていたかも知れないほどに、独断的で強引、しかしそれがため日本は高度成長を成しえたとも言えます。
最近では、トーンはぐっと下がりますが、2006年、安部内閣総理大臣が掲げた『美しい国へ』という夢に、ハードウェア偏重で進んできた日本を、美しい風景のある日本に立ち返らせるという意思を感じ、本当に期待しました。しかし、それも一年も満たずに潰えてしまいました。安部内閣総理大臣が、もうや~めた、と国政を放棄してしまったからです。
『実現する夢を(希望を)を大らかな語れる』は、一朝一夕で行えることではありません。不断と学びと、ひたむきな努力が必要です。そして、実行力と責任を一身に担えると信頼された者だけに与えられた特権だとも思えます。
もう一つは、
『任期を全うする』
です。
内閣総理大臣は、日本国において、日本の象徴である天皇の下に位置する、国民の首長です。かしらです。
ひとりの国民が、衆議院議員の候補者となり、総選挙で選ばれ、与党議員の指名により与党の党首となり、そして天皇が国会の指名に基づいて内閣総理大臣に任命します。内閣総理大臣は、日本国内にあっても、諸外国にあっても、日本の最高権力者です。とても厳粛な地位です。
一度の任期は最長で4年です。ですから、内閣総理大臣の地位に就く者には、その4年間職務を全うする為の、若さと健康が必要です。それに加えて強運も必要です。それがあって初めて任期が全うできます。
ですから、その任期を全うした者は、英雄として賞賛されるべきだと思います。
たとえ任期を全うできなくとも、英雄として賞賛すべき人物もいます。ですが、近年においては、悲しむべき事に、その地位は貶められているように感じます。日本が独立国、国民主権国であり続けるためには、その首長の地位は決して汚してはいけないと強く思います。
『情けは人のためならず』
『情けは人のためならず』ということわざがあります。
本来の意味は、
『他者に情け(もしくは恩を与える、親切にする)をかけることは、他者ばかりではなく、いつか巡り巡って自分に良い報いとなって返ってくる。』です。
ですが昨今では、
『情けをかけることは、その人の為にならない。』という誤った用法が普及しています。
私はこの言葉に一うんちくを持っています。というか与えてもらいました。
それは
これも最初に勤めた会社での事です。
先輩から、仕事(SEとしての技術、行動)、社会人としての身だしなみ、何より仕事帰りの一杯を教えて頂きました。困った時も、喜びの時も、いつも先輩は前に立っていてくれました。
そんな先輩が言われる言葉がありました。
『いつか後輩に尽くせ』
です。
ですから、先輩にはいつまでも甘え、頼っていたように思います。
そして、後輩が出来、部下を持つようになってからは、自分が与えてもらった事、教えてもらった事、感じた事を、『伝える』、『与える』が自分の役割だと思い行動しました。
先輩が言われた言葉『いつか後輩に尽くせ』を、『行いを繋げ』と私は解釈したのです。
私が入社した1982年当時のコンピュータ会社には、まだ師弟制度みたいなものがありました。就いた先輩(師)の命じられるままに勉強をし、仕事を学びます。三年続いたら一人前なんても言われました。新しい技術(データベース技術やオンライン処理技術)がどんどんと普及していった時期でもありました。私たちは従来型(バッチ処理やスタンドアロン処理)の業務処理システムを試行錯誤を重ねながら新しい技術でシステムを一新していきました。今思えば、根気と体力もさることながらチーム力・団結力が成否において重要でした。
このチーム力・団結力を強固にするために、不断の『尽くす』、『繋ぐ』という努力が必須であったのです。
仕事を前進させるために、過度な、また理不尽と思える指示が与えられることがあります。ですが、チーム全員が気心を知り、信頼し合い、また部下や後輩が、上司や先輩に不断の感謝があれば、不平不満ではなく、託されたという心意気で仕事に向き合えます。
この一朶となったチームが成功のゴールテープを切ることができました。
そして私は、『情けは人のためならず』の本来の意味
『良い報いとなって返ってくる』を体現しました。
2012年12月4日火曜日
昨日、姫路城で軍師官兵衛を見かけました。
今日は寒いですね~
この冬、初めて喉が痛くなりました、そして少し頭痛もします。明日は仕事日、用心の為、早く寝ようと思います。
そうそう、昨日は小春日和でしたね。昼間墓掃除に出かけました。空気は冷たいですが、風がなく、歩けば日光に照らされて、とても温かい長歩きとなりました。
墓の草取り、水拭き、そして花を捧げてきました。
その後、姫路城に行きますと、少し色あせてはいましたが紅葉を楽しみました。
美術館と内堀の間の小径を抜けて三の丸広場に入りますと、大勢の観光客に混じって修学旅行と思われる一行が軍師官兵衛に分したおじさんと仲良く記念撮影していました。
軍師官兵衛、再来年の大河ドラマのタイトルであり、姫路で生まれ、後秀吉の軍師となって天下統一に貢献した知将黒田官兵衛の事です。
数年前から、姫路市と福岡県福岡市が協調して両市の英雄黒田官兵衛を『大河ドラマの主人公に!』という運動を行ってきました。そしてその運動の中で『官兵衛さんの大きな夢』という絵本が生み出されました。この『官兵衛さんの大きな夢』には、戦国時代末期の印南の勢力地図が描かれています。その地図の西の外れに北脇城がありました。城主は大塩氏とあります。現在私が住んでいるところが北脇です。20有余年前に地名の由来が書かれた大書が出版されました。その本に、現在の西浜辺りに荘園領主大塩氏の館があった云々と書かれてあったように記憶しています。昔、この辺りにも小城があったのかと思うと何だか嬉しい気持ちがします。
最初に黒田官兵衛にスポットライトを当てたのが、司馬遼太郎さんです。歴史小説『播磨灘物語』で、黒田官兵衛の生涯を描かれました。読んだのはずいぶん昔で、幕末の英雄を描いた『竜馬がゆく』や『世に棲む日日』ほどには、気持ちを入れて読むことが無かったためか、物語はもうほとんど覚えていません。ですが、我が故郷、播磨の国を、そして播磨灘を描いた物語がとても誇らしく思いながら読んだ記憶は残っています。
2012年12月3日月曜日
藤川球児のメジャーリーグ所属球団が決まりました。
藤川球児のメジャーリーグ所属球団が決まりました。
ナショナルリーグ中地区のシカゴ・カブスです。
シカゴ・カブスの本拠地はリグレー・フィールドです。リグレー・フィールドは1914年開場で、フェンウェイ・パークに次いで古い球場です。印象的なのは外野のフェンスです。カーキ色の煉瓦積みのフェンスに蔦が生い茂っています。
それからもう一つは、これは私の勘違いでしたが、ずっとナイター設備のないデーゲーム専用球場だと思っていました。昔、「野球は太陽の下でやるものだ」という趣旨でリグレー・フィールドには照明設備が設けられませんでした。それが今もずっとそうであると思い込んでいました。先ほど調べると1987年からナイターが行われていました。
でも過去の名言が今も息づくほどにクラシカルな雰囲気が漂う美しい球場です。
『聖地』、『蔦』、そして『太陽の下が特に映える』と聞けば、そう甲子園球場と同じです。そしてカブスはMLBの中でも屈指の人気チームらしいです。(実は、私はカブスと聞いてもサミー・ソーサくらいしか浮かびません。)
そのカブスで、リグレー・フィールドを本拠地として、来年藤川球児が、クローザーとしてマウンドを任されます。
今年の藤川球児は、阪神タイガースの凋落の象徴でありました。キャプテンマークを胸につけて挑んだシーズンでしたが、打てない打線に、ちぐはぐは投手継投も手伝って、2005年にJFK の一角として華々しくデューしてから最低の成績でした。そして後半戦は怪我で離脱もしました。クローザーとしてとても秀でた投手ですが、阪神で野球を続ける意味、モチベーションを見失ったのだと思います。
今年、メジャーリーグで過去の名選手が球団を移籍したことによって野球を楽しむためのモチベーションを取り戻し、再び名選手へと返り咲きました。イチローです。
藤川球児には、イチロー同様に、新天地で野球への情熱を取り戻し、持っている力を存分に発揮して、自分の為に家族の為に、そしてファンの為に大活躍して欲しいです。
2012年12月2日日曜日
史上最強の助っ人、元阪神のバースさんが野球殿堂入りの候補に入りました。
「バス大渋滞」などと揶揄されるのを恐れて登録名を工夫したという、
日本プロ野球界で「史上最強の助っ人」と言われる、元阪神タイガースのランディ・バースさん(Randy William Bassさん)が、来年の野球殿堂入りエキスパート表彰の候補に入りました。
阪神が日本一に輝いた1985年、そして1986年のバースさんの活躍は鮮烈でした。当時私は会社の先輩と一緒によく甲子園に観戦に行きました。一塁側アルプススタンドに陣取って、まず弁当を掻き込んで、ビールをあおって、そして大観衆の一人となって、応援歌を大合唱しました。
バースかっ飛ばせバース
ライトへレフトへホームラン
かっ飛ばせバース!
悠然と左バッターボックスに入ったバースさんは、ホームベースから少し離れた位置で狭くオープンスタンスで構えます。少し前屈みのクラウチングスタイルです。
そして投手が投じた外角に逃げる球を、踏み込んでジャストミート、打球は高く放物線を描いて左中間スタンドに吸い込まれました。スタンドはもう総立ちで、歓声が嵐となって吹き荒れました。そんな光景を、何度も何度も見ました。
緑が映える外野の芝生と白い服装の観客で埋まったスタンドが、カクテル光線に照らされ美しく浮かんでいます。空は漆黒です。そして打ち放たれた白球が、その漆黒のキャンパスに白い放物線を描きます。これが甲子園で見ることができる最高の夜景です。
バースさんはアメリカのオクラホマ出身です。当時、オクラホマと聞いて浮かんだことは、フォークダンスの定番曲「オクラホマミキサー」と、そして西部劇の舞台ということでした。バースさんは、髭を満々と蓄えていました。小太りでもあります。そして腕は丸太ん棒です。初めてバースさんを見た時、私は牧歌的で大好きだったドラマ『大草原の小さな家』に登場するエドワードおじさんにそっくりだと思い、一目で大好きになりました。
バースさんは、そのトレードマークの髭を一度だけ剃ったことがあります。
1986年の春キャンプの頃です。新聞の紙面に髭を蓄えたバースさんの顔写真が掲載されました。そして翌日、今度は髭を剃ってスッキリとした顔になったバースさんの顔写真が掲載されました。ジレットの広告でした。バースさんは髭を剃ってもなかなかの男前でした。
バースさんは、私にとってヒーローの一人です。そんなバースさんがもし野球殿堂入りを果たせば、私にとっても大変な喜びです。そんなバースさんを、そして1985年の大狂乱(俗に言われる阪神フィーバーです!)を見ることができた、経験することができた私って、とても幸せなんだなぁと思います。
2012年11月30日金曜日
火野正平さんの『にっぽん縦断、こころ旅』
そうそう、毎日楽しみにして見ている番組があります。
BSプレミアムで朝7:45~8:00に放送している連続テレビ自転車旅
火野正平さんの『にっぽん縦断、こころ旅』です。
http://www.nhk.or.jp/kokorotabi/index.html
今回の2012年秋の旅では、和歌山をスタートして四国に渡り、そして香川から岡山に渡り山陽道を下って九州、そしてゴールの沖縄を目指します。
正平さんは、まったく気取りがなくて、そして可愛い女の子を見つけたら鼻を伸ばしてだらだらと会話を楽しみ、厚かましいおばちゃんに遭遇すれば、別の俳優の名前を騙ってそそくさとその場を逃げる。ほんとうに心のまま旅をしている様に見えるのです。
毎朝、視聴者から届けられた一通の『心の風景』が描かれた手紙を読みます。その風景がその日の旅の目的地です。そして愛車チャリオにまたがり、また途中輪行しながら、目的地を目指します。この番組が全国的に認知されているからでしょう、旅の途中で出会う町人村人が笑顔で話しかけてきます。畑で農作業をしているおじさんは、捕れた果実や野菜を身軽に自転車を漕いでいる正平さんに手渡します。昨日などは、休憩に立ち寄ったスーパーの店主が食品やアルコールを捧げていました。これにはさすがの正平さんも閉口していましたね。
でも、やっぱりこの人情に触れられる楽しみこそが、旅の醍醐味だと思うし、そして、この番組『こころ旅』の最大の良さだと思います。
私も20~30代の頃、よく自転車に乗って近場をくねくね走りました。結婚して子どもが生まれてからは、愛車のマウンテンバイクの後部にチャイルドシートをつけて幼い子どもを乗せて走りました。そして現在は、くねくね歩いています。
いつか正平さんを見習って、自転車で、あるいは歩いて、長い長い旅をしたいと思っています。
昨年の2011年秋の旅は兵庫がスタート地点でした。神戸→明石→輪行で朝来→豊岡→香美と秋の兵庫路を走られました。スタート初日、悪い天気の中で諏訪山をスタートして明石公園第一野球場(球場名:トーカロ球場)に到着、広い外野の芝生に座って手紙を読まれました。
正平さんって東京生まれですよね、でも播州人の私が心を揺さぶられる関西言葉を話されます。それがまたとっても嬉しいのです。気取らない、おっとりしている、けどせせこましいところがちゃんとある。いやぁ、正平さん、あなたは播州人ではないの?とつい親しみを込めて背中を叩きたくなります。
2012年11月29日木曜日
今朝、ちょっとしたミステリーがありました。
今朝、ちょっとしたミステリーがありました。
母が、「朝から歯医者の予約があるので車で送って欲しい」と言います。
今日は仕事日なので、歯医者まで送るけど迎えにいかれへんから、帰りはタクシーでも呼んで帰ってくる様話しました。
そして仕事に出かける時間が近づき、車の鍵の置き場所に鍵を取りに行きました。でもありません。あれっ?と思いました。
妻に「鍵は?」と尋ねますと、
「昨日はお父さんが車を使ったでしょ」と言われました。
それで、慌てて昨日着ていた服を探して、ポケットの中を見ましたが鍵はありません。部屋の中も探しましたが鍵は見つかりませんでした。昨日も母を乗せて病院に行き、薬局に行き、スーパーに買い物に行き・・・、でも家に帰ってからの、その後の行動がまったく思い出せないのです。
鍵もなく、記憶も無い、あれっ、俺大丈夫か?と不安になりました。
妻に「鍵持ってへん?」ともう一度尋ねますと、
「私は昨日使っていない」ときつく言われてしまいました。
いよいよタイムリミットが近づいてきました。
トイレに入りました。便座に座り、もう一度昨日の行動を思い返してみました。
母を乗せ病院に行き、薬局、そしてスーパーに立ち寄って、家に戻り・・・、そして私は机に向かっていました。はたっ、気づきました。母を病院に連れて行ったのは一昨日でした。そして昨日は一歩も外に出ずに机に向かっていたのでした。
そしてもう一度妻に「一昨日夕方車使わんかった?」と尋ねますと、
「使った」と言います。
「お母さんのカバンに鍵入ってへん?」と尋ねますと、
「あった」、と返事がありました。
内心『あんたが忘れてるやないの、しっかりせえ!』と思いましたが、朝から口喧嘩するのもなんなんで、
「あったか、ほな貸して~」と言って借りました。
朝忙しい最中のおおぼけミステリーは、ようやく謎が解けたのでした。
今回のミステリーの謎解きには、実は先日読んだミステリー小説が大いに役立ちました。そのミステリー小説は、東川篤哉さんの烏賊川シリーズ第3弾『交換殺人には向かない夜』です。
今回も、さくらが読み終えた後、机にほったらかしにしていた本を拾って読みました。
東川さんが紡ぎ出すミステリーは『抱腹絶倒の本格ミステリー』と言われますが、これまで手にした小説は、抱腹絶倒:本格ミステリー=8:2の割合で楽しみ、思いっきり笑った読後は、大笑いした記憶しか残らないという有様でした。
でも今回の『交換殺人には向かない夜』に仕込まれたトリックには感嘆しました。タイトルにも使われている『交換殺人』が三次元のトリックとするならば、さらに深淵な四次元のトリックが仕込まれていて、それに気づいた時には、いや参った、と思いました。本当に鮮やかでユーモアたっぷりの本格ミステリー小説でした。
すでに出版されて何年も経つ小説ですが、あえてキャッチコピーをつけますと
『あれ、ひとり少ない・・・あれれれ、ひとり多い・・・ミステリー』
まだ読まれていなければ、是非とお薦めする一品です。
2012年11月28日水曜日
冬の夜空です。
おはようございます。
5時前新聞を取りに外に出ますと、西北西の夜空の低い位置でまんまるい月が輝いていました。星々の光も鮮やかに輝いていました。冬の夜空です。澄み渡っていました。そしてとても冷たい冷気が世界を支配していました。
いつもなら夜空に向かって長々と、願い事や感謝の気持ちを話すのですが、今日は一言『ありがとう』とだけ言って家の中に引き込みました。
2012年11月26日月曜日
”太陽の下でも読書、月明かりの下でも読書”しなければいけないの?ネェKindleくん
紙の新聞に、Kindle(Amazonの電子書籍リーダー)の広告が大きく掲載されていました。
”太陽の下でも読書、月明かりの下でも読書”
ペーパーホワイトのマットなスクリーンと、高解像度、高コントラストの文字表現で、野外でも光の反射を気にせずに読書を楽しめ、また、フロントライト技術(下からライトが照りつけるのではなく、上からスクリーンを照らす)と均等な明るさによって、目の疲れを抑えて、また周囲に気兼ねすることなく夜でも読書を楽しめる。何より省電力で、内蔵バッテリーで約8週間も使用し続けることができる。うん、なかなかの代物だ、と思いました。
そして一押しの技術”独自のフロントライト技術”が図式で解説してありました。
上から、ライトガイド→タッチスクリーン→PAPERWHITEディスプレイの三層構造です。でもふと思いました。それならいっその事、PAPERWHITEディスプレイを透明の液晶ディスプレイに置き換えて文字だけを浮かび上がらせ、第四層に紙を配置すればよいではないか。さすれば、紙の書物と同じになるではないか、と。そして、暗がりでは文字など読まず寝ることだ。だからライトなど無くてよいではないか、と。さすれば、もっと構造が簡素化されてバッテリーの持ちはさらに長くなるではないか、と思いました。
昔は、何か新しい代物がでると、すぐに買っていました。ですからKindleにも興味はあります。手にとって触ってみたい。使ってみたいとも思います。
それでもきっと、それは一過性に過ぎず、すぐに飽きてしまうと思います。紙の本に優ることがないからです。紙の本は、落としても壊れないし、踏んづけても壊れない。破れてもセロテープで貼り付ければよいし、破れて欠けても、読み続けることができます。傷みは味となっていくのです。そして時には枕にもなるし、非常時には焚き物となってくれます。
おはようございます。
おはようございます。
昨日は天気が良かったですね。空からは燦燦と陽光が振り落ちて、風もなく、ホント小春日和でした。私は仕事でしたが、休憩時、ショッピングセンターの駐車場の上に大きく開く空を見上げて、その心地よさをしばし味わいました。
次男耕太郎は、この秋最後となる練習試合で汗を流した様子でした。帰って顔を合わすと、疲れと気持ちよさがないまぜになった表情を浮かべて音楽を聴いていました。
GReeeeNの曲でした。
そして今日は、天気予報通りのなかなかの雨降りですね。でも夜半からの雨降りのおかげで気温が余り下がっていないので、躊躇なく起きることができました。
今日はゆっくりとして、明日はどこかに散歩でも出かけられたらと思っています。
2012年11月24日土曜日
北脇子ども会野球部の試合を観戦しました。
昨日の朝です。店に入ろうとした時、馴染みの子供たちが自転車に乗ってやってきました。
そして「今日はハルトも一緒や」と教えてくれました。見るとハルト君が一人駈けてきます。家からここまで走ってきたん?と尋ねると「ハイ!」と応えてくれました。
そして明日(つまり今日です)、小学校最後の大会があります、と教えてくれました。
そして今日です。
今日は、鹿島中学校野球部は加西球場で8:30から試合です。でもまだ酔っ払い状態でしたので観戦には行けませんでした。
酔いがだいぶんと治まった10時前、北浜小学校にソニー生命杯(学童少年野球大会)を観に行きました。1試合目は阿弥陀東が戦っていました。久しぶりに不断さんと会いました。試合が終わった後一度家に戻り、11時過ぎに再び学校に行くと、北脇子ども会野球部が試合の準備をしています。ハルト君がいました。”10”のキャプテン番号を背負っています。そして、耕太郎が6年生時、ハルト君とともに最年少コンビで可愛らしかったショウタ君が”1”のエース番号を背負っていました。他の子供たちもなかなかの若武者でした。
曽根西との試合が始まりました。先攻は曽根西です。
ショウタ君はなかなかの速球で無難な立ち上がり、1回を0点に抑えます。
その裏の北脇の攻撃は鮮やかでした。
1番SSのハルト君がレフト前ヒットで出塁し、すかさず二盗三盗を決め、次打者の内野ゴロの間にホームを駆け抜けました。3回裏も四球で出塁した走者を三塁まで進め、エラーやヒットで2点を加点し、3-0とセーフティリード。
しかしここから曽根西の猛追が始まりました。4回表、ショウタ君の球を見極め次々に四球を選び、満塁。そして押し出しとヒットで2点を返すと、5回表にも1点を入れて同点となりました。
最終回となった5回裏、二死からハルト君がヒットで出塁しました。そして二盗し、さらにチャンスを広げようと三盗を試みましたがあえなく刺殺となりゲームセット。試合は引き分けで終わりました。
チーム 123 45
曽根西 000 21
北脇子 102 00
低温で、また冷たい風が時折吹き抜けるグラウンドでしたが、少年達の歓声(そして父母の応援)がとても熱かったです。北脇子ども会野球部の4名の6年生は、明日からAリーグチームに参加すると聞きました。監督は熱血漢の松井さんです。彼らがこれからどんな野球選手に成長していくのか楽しみになってきました。
昨日、旨い酒呑みました。
またやってしまいました。ふっと気づくとコタツに足を入れて大の字に寝ていました。
明け方でしたが、それでも目が開けられません、まだまだ酔いの真っ只中でありました。
昨夜は、仕事を終えた後、イチャサン宅にお邪魔して旨い酒をしこたま頂きました。
午後7時前、まずはワインで乾杯、そして奥方が運んでくれた熱燗としゃぶしゃぶ鍋を頂きました。いつもながらの旨い酒と肴に舌鼓をうちながら饒舌になって語りました。
友にもいろいろな型があります。
心の軽やかさで、皆を導いてくれる者
まるで鏡の様に、こちらの心を映す者
そして
どうと云うわけではないけれど、心を軽くしてくれる者
です。イチャサンは、そういう者を”輩(やから)”と呼び、そして『お前は輩や』と言ってくれます。
イチャサンはなかなかの愛妻家であります。一昨日の夫婦に日に、奥方が嗜むワインを買って夫婦で飲んだと話してくれました。私など寝転んでテレビを観ていて、さくらに『お父さん、今日は夫婦の日やで』と言われたものの、あ・そう、と素っ気なく済ませてしまいました。妻にイチャサンのこんな話をしたら、さぞや羨むだろうなと、ちょっと心が痛みました。
話はどんどんと展開して、否、あっちやこっちにどんどん飛んで、そして不可解にもこんな話になりました。
イチャサンが、
人が夢を見ると書いて”儚い”
私もそれに呼応して、ハムレットの一説から
”人は死してどんな夢を見るのか”
人にはいろんな生き方がある。そしていつか死ぬ。その死が、夢をもたらすならば、最高に望む夢を見たいし、描きたい。そのためにも、今をしっかり生きないといかんなぁ、なんていう話をしていました。
おばちゃんが部屋に入って来てくれて、話をしました。そして朗読を聞いてもらいました。目をつむってうんうんと頷きながら聞いてくれるその姿が、とてもあったかかったです。
ワイン、熱燗、どぶろく、そして焼酎と続き、イチャサンが娘アスカちゃんのパソコンがどうのこうのと言っていたので、訪問時見てみようと思っていましたが、すっかり出来上がってしまい、それどころではありませんでした。そしていとまごいし、イチャサンが辻まで送ってくれ、そこで別れました。夜空の眺めが最後の記憶となりました。
2012年11月22日木曜日
突然ですが、西脇の話をします。
今日の新聞の地方欄【姫路】に、
『西脇市出身脚本家・池田政之さん作 (西脇ロケドラマ)来月3日放送』
という記事がありました。
池田政之さんは、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」などで知られる脚本家だそうで、昨年、西脇市から文化賞を贈られたその古里への恩返しとして、今回のドラマの脚本を仕上げられたと書かれていました。
ドラマのタイトルは、「さすらいのプラチナワゴン~歌手・美波丈太朗」で、主演として里見浩太朗さん、その娘役として中越典子さんが出演されています。
12月3日の午後9時から毎日放送で放映されます。
西脇市は、昔は繊維の町(播州織り)として有名でしたが、昨今では、スポーツ施設やレクリエーション施設が充実して北播磨の素晴らしい行楽地となっています。
また、播州ラーメンがご当地グルメとなっています。少し甘め、でもとても旨みのあるスープとゴテゴテしない具材が盛りつけられたラーメンは、そう昔ながらの中華そばという雰囲気がピッタリで、何杯でもいけてしまうラーメンなのです。
私は二十代の頃、西脇市にある西脇大橋ラーメンの開店に偶然立ち寄り、その美味しいラーメンを食しました。実を言うと、イチャサンの車に乗って、当時から有名だった中華そば大橋を探しに北播磨を目指したのですが、まぁ準備も何もない。地図もない。当てずっぽうに、あっちやこっちやと指示を出し、道に迷い、気がつけばすっかり陽が落ちていました。そして目にした提灯に”大橋らーめん”と書かれているのを見つけて、その開店間もない店に入ったのです。
一番最近西脇を訪れたのは、11月4日です。秋季東播・淡路地区親善野球大会の準決勝・決勝を観戦する為、黒田庄ふれあいスタジアムに出かけました。
早朝から妻と二人で、車に乗って(私が運転して)目指しました。私は一度、黒田庄ふれあいスタジアムにいったことがあるのです。それで、まかしとけ、とばかりに記憶を頼りに車を走らせました。黒田庄は西脇よりさらに北、加古川の上流の町です。西脇市街に入り一度川から離れました。そして川を探して、さらに北を目指したのです。あれ、なんか川幅が細ないか?なんて思いながらも北を目指して走りました。道路標識を見ると多可町と書いています。まぁエエかと思いそのまま車を走らせていて、ふと気づいたのです。昔、大阪で働いていた時、先輩を実家に送り届けたことがありました。そこは中町でした。私はまた中町まで来てしまったのです。でも、道を戻るのが嫌で、たまたま通りかかられたおばちゃんに、山越えする道がないが尋ねました。そしたらトンネルがあって黒田庄に抜けられると教えてもらい、無事スタジアムに到着することができました。
初めて家族で、この西脇を訪れたのはずいぶん昔です。さくらがまだ一歳くらいと時でした。日本へそ公園を訪問しました。へそ公園にはとても長い滑り台がありまして、私はさくらを膝の上に載せてすべりました。でも余りにスピードつき過ぎて、着地した瞬間に勢いよく空中一回転してしまいました。でもさくらも私も無傷でした。
当時は、家族新聞なるものを作っていました。その一紙を紹介します。
19960320西脇ぶらり旅
2012年11月20日火曜日
鹿島神社に紅葉を見に出かけました。
今日は、昼から妻を伴い鹿島神社に紅葉を見に出かけました。
一人じゃないので、鹿島神社までは車です。
そして参道を進み、鳥居の前の美しい紅葉風景を写真に収めました。
本殿に進み、それから裏山の展望台まで登りました。
落ち葉が敷き詰められた小道がとてもカラフルで美しかったです。
そして展望台に着きました。
昨年一月、大山火事でこの辺りの山は禿げ山と化しましたが、あれから二年が近づいて、山は緑を取り戻しつつあるようです。
帰り道、柏餅でも買って帰ろうかと思いましたが、昼飯を腹一杯食べて満腹状態であったこと、それから、数軒茶店は開いてましたが蒸し器はすっかり冷えて、たぶん堅くなっているだろう餅の包みが店先に数点あるだけでしたので、買って帰るのはやめました。
今度は、午前中に参りたいと思います。
生体認証システムの脅威
「ビッグデータ事業におけるNECの強みは、独自技術をベースに開発した世界トップレベルの分析エンジン群にある」(NEC 保坂岳深 執行役員)
NECが11月7日、ビッグデータ事業の強化として、独自の先進技術を用いた分析クラウドサービス3種を発表しました。
顔認証技術活用マーケティングサービス
画像から自動的に人の顔を検出し、高精度に同一人物を特定するもので、店舗などに設置したカメラに映った人物の年齢・性別を推定し、来店日時と合わせて継続的に蓄積することで来店客の傾向を分析する
不審者監視セキュリティサービス
顔認証技術を活用し、カメラ映像からリアルタイムに人物検出して自動的に特徴をデータベースに登録することで不審者を検索する
テレマティクスサービス
蓄積されたプローブデータ(自動車に組み込まれたセンサーが収集するデータ)からユーザーごとの行動パターンを分析。時刻・ユーザーの位置などを組み合わせて、ユーザーの行動を予測する
2002年公開のスピルバーグ監督作品『マイノリティ・リポート』の世界が実現する。なんていう脅威を、恐怖を感じました。
『マイノリティ・リポート』は近未来SFスリラーです。
三人の予知能力者を使い構築された”殺人予知システム”によって殺人事件は未然に防がれ、殺人発生率が0%になった世界が訪れます。
人は町中に張り巡らされた網膜スキャナーによって瞬時に居場所が特定され、どこに居ようが犯罪予防局の刑事に、未遂の罪で拘束され、幽閉されます。そんな完全監視社会で、監視する側、取り締まる側が引き起こす恐怖が描かれた物語です。
アメリカやヨーロッパでは、2001年のアメリカ同時多発テロ以来、町中に監視カメラが設置され、それはインターネットに繋がって、監視局、諜報局が逐一監視しています。
ですが監視カメラの映像データは秒単位で膨大に膨れあがり、それが監視のネックとなります。しかし、この膨大なデータから、ビックデータから瞬時に、特定の人物を検出する事ができる様になるのです。いつも誰かに見つめられ、そしてもしかしたらある日突然、見ず知らずの罪で拘束される事だって有り得るのです。
日本でも昨年サイバー法が整備されました。いわゆるコンピュータ監視法です。昨今のコンピュータ犯罪の激増で必要悪と見なしはしますが、治安維持が拡大解釈されれば、恐ろしい世界が訪れることになります。
2008年公開の『イーグル・アイ』、また2003年から公開された『ジェイソン・ボーン』シリーズでは、電子の眼が、主人公を抹殺する為に、世界中を追い回します。
保坂岳深氏は続けます。
「ビッグデータ事業におけるNECの強み」は、これらのサービスを支える世界トップレベルの分析エンジン群、
大量データの相関関係やイレギュラーな動きを発見する「インバリアント分析」、
大量データ中の全く異なるパターンや規則を自動で発見することにより高精度な予測や異常検知に有効な「異種混合学習」、
画像の中から自動的に顔を検出して高精度に同一人物を特定できる「顔画像解析」、
人やモノの位置・時刻・移動履歴などを分析して行動パターンを自動抽出し予測する「行動分析」、
2つの文が同じ意味を含むかどうかを判定する「テキスト含意認識」
の5つであると話します。
個人を特定し、尚且つ個人に関わる情報を一瞬にして分析することができるのです。
驚異的に素晴らしく、そしてとても脅威です。
NECは、1982年に指紋照合システムの実用化に成功しました。そしてAFIS(Automated Fingerprint Identification System)の世界的リーダーとなりました。
現在、指紋認証は犯人割りだしから、身分証明へと用途が広がり、PID(Personal Identification System)として私たちの生活に身近なものになりました。
現在実用化されている生体認証には指紋の他に次のものがあります。
・虹彩(アイリス)
・声紋
・静脈
・顔形
等です。
ですが、映画『ミッション:インポッシブル』で活躍するイーサン・ハントならば、このどれをも偽ることが可能でしょう。
でも希代のスパイ、イーサン・ハントでも偽ることのできないものがあります。”心の声”あるいは”本性”です。
現在の脳科学はとても進んでいます。以前、人が見ている映像を脳活動から再構成して映像化に成功したというニュースを見たことがあります。生体活動も根源的には電子の活動です。ですから、電子の流れをスキミングして解読できれば、その人の”心の声”あるいは”本性”を明らかにすることも可能かもしれません。電子が放つ微弱電波を傍受して、離れた場所からスキミングする事だって夢でないかもしれません。
私たちは、いつか丸裸にされる時代が到来する日に向かって、走っているのかもしれません。
Googleのセュリティ
11月16日のZdnet.Japan(IT関連情報を配信しているニュースサイト)から届いた記事に、とても興味を引く記事がありました。
本連載「松岡功の『今週の明言』」で取り上げられた
「Googleにとってセキュリティは、企業DNAの中核である」
(米Google Eran Feigenbaum エンタープライズ部門セキュリティ担当統括責任者)
と、
「ビッグデータ事業におけるNECの強みは、独自技術をベースに開発した世界トップレベルの分析エンジン群にある」(NEC 保坂岳深 執行役員)
です。
Google幹部が語る「Googleのセキュリティ対策」
松岡功 2012年11月16日 11時38分
http://japan.zdnet.com/cio/sp_12matsuoka/35024519/1/
http://japan.zdnet.com/cio/sp_12matsuoka/35024519/2/
「Googleにとってセキュリティは、企業DNAの中核である」の記事から、
「およそ100年前に銀行が登場した当初、自分のお金をベッドの下に隠していた人々は、すぐさまそれを銀行に預けようとしなかったが、その後、銀行に預けたほうが安心・安全だという認識が広がった。これと同じことが、いま情報の分野でも起こりつつある」
1990年代、IT業界にとどまらず産業界のトップに躍り出て我が世の春を謳歌したMicrosoftですが、2000年以降急激に業績が落ち込みます。
MicrosoftがPCに固執している合間に、世の中はスマートフォンそしてタブレットの時代となったのです。もう一つの理由がクラウドコンピューティングの台頭です。
クラウドコンピューティング-Cloud computing-
インターネットをベースに、ユーザはあらゆるコンピュータ処理やデータ管理をインターネット経由でサービスとして利用するコンピュータ利用形態。
ユーザが使うコンピュータ(クライアントコンピュータ)は必要最低限のシステム資源で動作する軽装備のコンピュータ(シンクライアント)でよいのです。それがスマートフォンでありタブレットです。
Microsoftの事業の柱は、コンピュータOS、Officeソフト群、プログラム開発環境です。そのすべてにクラウドコンピューティングが取って代わろうとしています。
Eran Feigenbaumは続けます。
「(技術の観点から)私たちは、ITシステムというのは不具合が起こるものだという前提で構築している」そして
「そこで大事なのは、不具合が起こってもユーザーに影響を及ぼさないことだ。そのために巨大でセキュアなデータセンターを世界中で展開し、それらの間でデータのレプリケーションを行うようなことも実施している」と話します。
手元にあるデータ(文書や写真画像等)は、ハードディスクの劣化や故障、ウィルスによる破壊、そして自らの操作ミス等によって、一瞬に失うことがあります。ですから最低限バックアップが必要なのですが、PC利用者の多くは、このバックアップ操作さえとても難しいのが実情です。
ビックデータを扱う巨大データセンターの、アーキテクチャー、セキュリティはこれ以上無いほどに最高の技術で武装されています。そしてインターネットの速度はとても高速です。クラウドコンピューティングのサービスは、まるで手元にあるハードディスクのような手軽さで利用ができます。いや、利用者はクラウドを利用しているという意識さえ必要がありません。
これがクラウドコンピューティングが、そしてGoogleが台頭している理由です。
ですが、それでも一抹の不安は拭えません。
データセンターが幾ら堅牢性を備えても、巨大な自然災害やテロ、戦争には叶いません。
そしてインターネット、インターネットは全くの制限がないフリーウェイではありません。ケーブルで結ばれたコンピュータが数珠繋ぎされた巨大なインフラです。そして最終的には各国家の管理化にあります。国家間を結ぶケーブル、その両側にあるコンピュータに制限が加えられればサービスは停止します。
そしてもう一つ、ケーブルから、また途中のコンピュータを通るデータをスキミングすることもできます。暗号化技術ももちろん進歩していますが、同様に解読技術も進歩しています。私たちは常に、データの喪失あるいは流出を自覚しなければなりません。
私といえば、Googleドライブを利用して、ブログ(Blogger)、写真(Picasaウェブフォトアルバム)、朗読ビデオ(YouTube)を公開していますが、元となるデータはすべて、ローカルの2台のハードディスクに二重化して保存しています。複数のハードディスクを仮想的な1台のハードディスクとして運用し冗長性を向上させる技術、手法の中のRAID1(ミラーリング)を実践しています。これでも全くの十分ではありませんが、2台のハードディスクが同時に壊れるという可能性は低い為、安価で運用できるRAID1を実践しています。
2012年11月19日月曜日
今日は紅葉を見に、書写山に出かけました。
今日は紅葉を見に、書写山に出かけました。
書写山は自宅から約18㎞北西にあります。まだ暗い6時過ぎ自宅を出ました。
二号線市川橋を渡ったところで、東洋大附属姫路高に通う知り合いの少年が勢いよく自転車で追い抜いていきました。『おはよう!』と声を掛けると、驚いた様に振り向いて、コクリと頭を下げてくれました。
7時50分姫路城前を通過しました。そのまま県道67号を北西に進みます。
そして夢前川を越えて、書写山の麓に着いたのは9時でした。
東坂参道から登りました。坂の入り口に善意の杖が置いてあり、一本竹杖を借りました。
約30分掛けてロープウエー山頂駅に着きました。播州平野が東南に見渡せる広場でしばし休憩を取りました。
それから入山料を支払って、山頂の紅葉景色をしばし楽しみました。
魔尼殿の入り口にある茶屋の店先で、あんころ餅を焼いていました。美味しそうに焦げ目がついています。よもぎを二つ、しろを一つ貰いました。袋には”弁慶修行の地書写山圓教寺・力餅”と書いてありました。焼きたての餅をその場で一つほおばりました。ほふほふと熱い餅はよく伸びそして粘りがありました。とても美味いあんころ餅でした。
帰りに、慈悲の鐘を思いっきり撞きました。良い音が響きました。
そして東坂参道を下ります。下りきり平地に入ると安堵の為か急に膝ががくがく痛みました。とにかくバス停を探し、そして書写郵便局前バス停に着いてベンチに腰を下ろしますと、足はジンジンと痺れ、そして徐々に開放感が広がりました。ふと見ると左手は竹杖を握りしめていました。杖に謝り、また感謝して、そのまま共になって頂きました。バスに乗り、電車に乗って、そして帰ってきました。竹杖にはしばらく私の散歩の共になって頂こうと思っています。
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