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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年12月18日火曜日

2012年12月21日


数年前から突如として騒がれ出した、古代マヤ文明が記す『2012年人類滅亡説』。
その滅亡と日とされる、2012年12月21日が近づいてきます。
ですが本当のところは不明で、石碑に刻まれたマヤの暦は長期曆で一周が約5000年、その末日が、西暦の2012年12月21日にあたるといわれています。もしそうであれば、2012年12月22日は、新しい暦の始まりです。私たち日本人の感覚に置き換えれば、新年の始まりです。そう考えれば、私たちはこの年末に、マヤ曆の元旦、クリスマス、そして西暦2013年元旦とめでたい日を三度迎えることになります。

何故に、『人類滅亡の日』を思い出したかというと、今日のワールドニュースで、中国で児童の大量傷害事件が起こったことを伝えていました。その犯人がカルトな終末論者であったというのです。終末だから何をしてもいいという論理は言語道断です。そしてもう一つは、銃社会アメリカでまたしても起こってしまった銃による無差別大量殺人の続報です。CNNのニュース特番では、死を悼む音楽が流れる中で、真っ黒なスクリーンに一人一人の名前が浮かんでは消えていきました。思わず胸の痛みを覚えました。この事件の犯人は凶行に及んだ後自殺し、その動機もまた永遠に闇に葬られました。

私たちは、明るく暖かい陽の光に包まれる時、幸福感に満たされます。その陽光はすべてに平等に降り注ぎ、明るく照らされた世界は生の喜び、実りの喜び、そして感謝の喜びに溢れます。
しかし、陽も差さぬ行き先も分からない真っ暗な洞窟に落とされたら、いつか不安、絶望、そして憎しみに心が支配されるでしょう。それはまさに醜いゴラムです。
私たちは導きによって、善人にも、そして悪人にも変身する弱さ、器用さがあるのだと思います。ですから私たちは良きもので満たされなければならないし、また悪しきものは遠ざけなければならないのだと思うのです。

私たちはきっと何気に12月22日を迎えることになるでしょう。そして終末論を一笑することになるでしょう。ですが、凶行によって奪われた命はもう二度と取り戻すことができない事を、私たちはこの機会にしっかりと心に刻まなければならないと思います。

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