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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2011年2月8日火曜日

短編小説2 『君なぁ、どないすんのや』 ~夏休み最終日に見た白昼夢~

夏休みも今日で終わってしまうという日の午後、すっかり昼寝が板についてしまった僕は、まだ手つかずの読書感想文に取りかかるため、学校の図書室で適当に選んで借りた本を読もうとしたが、読みつけない本を前にして、数頁めくったところでウトウトしてしまった。
今日は家族みんな出払っていて僕一人、外は残暑が厳しいものの、開けっ放しの窓からは、心地よいそよ風とつくつく法師の鳴き声が流れこんでいた・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「おい!君なぁ、どないすんのや」
語気の強い声が部屋の中に響いた。夢・・・?まだ、薄ボンヤリしていた。
「起きーっ!」
さらにでかい声で、眼が醒めた。
声の主は本だった。

エエッ、と僕はまだ夢の中にいる、と思った。が、本は
「夢ちゃあう、オレや、本や、ちゃんと読んでくれや」
と、それから続いて小言を言い始めた。
「君なぁ、わかってるか、もう夏休み終わりやでえぇ」
「また今度も書けず終いで、夏休みの宿題”0”点になってもええのんかあぁ」
「オレなぁ面白いでぇ、頑張れやぁ」
「おとついは7頁、昨日は5頁、今日は3頁やん」
「オレなぁ46頁から面白なんねん、でもなぁ最初からちゃんと読んでくれんと、その面白さも半減やん、オレ可哀想やん」
「なぁ頑張ろ」

怒ったりすかしたり、本の小言は全く止む気配がない。
僕は本をカバンの中にしまってやろうと本に手を伸ばした。
突如、本は開き僕の手を噛んだ、いや、挟んだのだ。
「痛たっ!」
僕は手を引っ込めた。
「オレに勝とう思とんか、100万年早いわ!」
「君みないな子、よう知っとんねん、おとなしぃにオレの言うようにせぇ~」

僕は諦めた、口答えするのを諦めた。でもやっぱり本読みは辛い・・・。
僕は本に正直に話した。すると本は、
「もう-、しゃあないなぁ」
「ほんだらオレが読んだるさかい、しっかり聴けやっ」

それからトイレ休憩を挟んで4時間、姿勢を正して本の朗読を聴いた。
さすがに本だけあって、上手に朗読する、僕は聴きながら感心した。
本は朗読の途中、何度か止まって、
「どや、ここ面白いやろ」とか
「なぁ、泣けるやろ」とか
僕の表情を見ては話しかけてきた。
4時間はあっという間に過ぎ、本は最終ページまで読み終えた。
時計の針は5時を指していた。

「さっ、ほんだら読書感想文、書こか」
と、本は僕に指図した。
でも、本の朗読があまりに上手かったので、僕はしっかり物語を堪能できていた。それで、忘れぬうちに書いてしまおうと、本に従い、原稿用紙を取り出し読書感想文を書き始めた。
驚くほどにスラスラ書けた。
書き終わると、本は
「見してみいっ」と上から目線で僕に言った。
僕は仕方なく、原稿用紙に書き上げた感想文を本が見えるように、本の前に開いて見せた。
「君なぁ、ちゃんと聴いとったんかぁ・・・」
まずイヤミを聞かされた。
「でも、まぁそこそこ書けと-やん、ほんだらこれくらいで許したるわ」
本は、開いた頁を閉じ、もう僕に喋りかける事はなかった。
静寂が訪れた。
僕は、開放された安堵感で眠ってしまった・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぱっと眼が醒めた。時計の針は7時を指していた。
朝の7時だった。
僕は飛び起き、
「あっ、やってもたぁ」
と悔やんだ。
でも、始業式から遅刻すると恥の上塗り、覚悟を決めて身支度をし、大急ぎで机の上に散らばっているワークなどの夏休みの宿題をカバンに詰め込もうと机の上を見ると、夢と思っていた読書感想文があった。
その下に本があり、しおりが挟んであった。
僕はしおりの頁を開いた。
その頁には小さな紙片がたたんで挟んであった。
ひろげると紙片にはメモ書きで、次のように記されていた。

『できるやん、なぁ。これからはもっと自信持って、本好きになってな・・・ほなさいなら。 本より』

短編小説1 『野球小僧に逢ったかい?』 ~僕はタイムトラベルで勇気に会った~

7回裏、1点リードで最終回の守備についた。
僕は遊撃手、親友でエースの豊は6回まで強豪浜中を0点に抑えてきたものの、この回疲労から制球を乱し、一死から三者連続四球で満塁、一打逆転のピンチとなった。
僕と二塁手の勝弘は前進守備隊形をとった、頭に一年前の試合がよぎった。
あの試合も、まさに最終回の守りで一打逆転のピンチを迎えた。痛烈な打球が僕の左脇辺り目がけて襲ってきた。一瞬の恐怖が体を凍らせ、打球をはじき、誰もいない方向にボールは転がり逆転負けを喫した・・・。
頭から振り払おうとした、でも悪夢はますます鮮明に甦り、目の前の試合に集中できない。
その瞬間、また強烈な打球が僕の左側を襲ってきた。普段なら十分に処理できる打球、しかし、始動が遅れ僕のグラブの数センチ先を抜けて左中間を破り、二者が返ってまたもや逆転負けを喫してしまった。

試合後、監督から居残り特守ノックを言い渡された。
学校に戻り、監督の厳しい檄の後、特守ノックが始まった。
けれどますます萎縮し、消沈した気持ちに支配され、つい目を切った瞬間、顔面、鼻先に強烈な打球を受けて、僕は真っ暗になった・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

遠くから僕に呼びかける声が聞こえた。意識が次第に戻ると同時に、鼻の辺りに強烈な痛みを覚えた。ゆっくりと目を開いた、鼻血が左頬を濡らしていた、生暖かかった。
僕の鼻先10センチの所に見知らぬ顔があった、その顔は心配顔から僕のびっくりした表情を確認した後、安心した笑顔に変わり、持っている濡れタオルで顔を冷やしてくれた。
「もう大丈夫やな、けどビックリしたで・・・急に現れてぶっ倒れて、鼻血流して・・・おもろいやっちゃなぁ」
僕は彼が顔に当ててくれたタオルを右手で掴み、それを見た。
「ワイの手ぬぐいや、ちーと汚いけど勘弁してや」彼は笑いながら、彼が手ぬぐい?という代物を僕の手から受け取り、もう一回濡らしてくるわと言って、駆けて行ってしまった。

鼻血も止まり、顔面の痛みも和らいだので、体を起こして周りを見渡した。そこはいつもの見慣れた学校の風景ではなかった。木造二階建ての粗末な校舎らしき建物が目に入った。その建物の前に広がる空き地?校庭?で僕と同い年くらいの連中が、変わった風体で野球をしていた。ぶかぶかで薄汚れたユニフォームを着ていた。足、足にはストッキングではない別のもの、そう包帯の様なものを巻いていた。
ひとりが僕に気づき駆け寄ってきた、彼だった。
「もう大丈夫やろ、こっちきいや、今隣町の中学と試合してんねん、お前も野球しとんのやろ・・・、でもお前アメリカ人か?ええユニフォーム着てるやんかっ」
エエッ、と頭が混乱しながらも、立ち上がって彼の後ろについて一塁側のベンチの横まで移動し、そこで地ベタに座り込んだ。後ろには、よく陽に焼け、ガッシリとしたおっちゃんとおぼしき数名がランニングシャツ一枚の格好で、先ほど僕を介抱してくれた彼が持っていたものと同じ、手ぬぐい?という代物を首に巻いたり、頭に巻いたりして、試合を観戦していた。

僕達の試合ではいつも母親達が付き添い、お茶出しや冷やしたタオルで介抱してくれたりと、世話をしてくれるのだが、ここには母親らしき人はいなかった。けれどサザエさんみたいな髪型をした、綺麗な顔立ちの女性が、真っ白な傘で日差しを避けながら、花壇の低い石垣に腰掛けて試合を観戦していた。ぼーっと見ていた僕に、顔を向けてニッコリ微笑み、また試合観戦に戻った。
僕はカーッと顔が熱くなり、顔を左右に何度も振り、そしてすまし顔を取り繕って、僕の左隣に座っている彼に向かって尋ねた。
「あの人は誰?」
彼は恥ずかしげに相手を確かめてから
「ワイの組の担任、夕紀先生や、べっぴんやろ」
僕と同じく顔を赤くしながら言った。
「今日は、夕紀先生が応援しにきとってやから、絶対勝ちたいねん!」
「けど、前の試合でエラーしてもて、今日は補欠や、けど絶対出て先生にエエとこみせたんねん!」
彼は試合に顔を戻して、真顔で言った。

彼につられて、僕も試合に目を向けた。
監督らしき人はいるものの、僕と同じようにただ試合を見つめていた、そのまなざしは優しかった。
それに比べて、選手達はみんな笑顔で、チームメートには檄を飛ばし、相手チームには汚い言葉でヤジを飛ばしていた。
みんな大声を発していた。
「さあワイのとこ打ってこい!アウトにしたる」
「さあこい、ワイが一発かましたる!」
攻守とも、目を閉じればケンカをしているようなありさまなんだけれど、みんな笑顔で上を向いている、集中している、楽しんでいる、その晴れやかな清々しい熱気が、先ほどまで僕の心を支配していた弱気を吹き飛ばしてくれた。

試合は最終回、同点で彼のチームの攻撃となった。
一死から四球で走者が出て、次打者の内野ゴロの間に二塁に進塁した。
監督が立ち上がり、代打を告げた。こちらに向かって
「耕太郎!かちましてこい」
心臓に響くほどの大声だった。
彼は両手で頬をおもいっきり叩いて、よっしゃーっの一声を発して立ち上がり、バッターボックスの方へ駆けていき、バットを受け取り、バッターボックスに入った。
彼を見た。僕のように前の失敗を全く引きずることのない、真っ直ぐな顔で、相手投手を睨みつけていた。
「耕太郎、頑張れっ」
涼やかな美声が喧騒を溶かし、僕の耳にも届いた。夕紀先生だった。
彼は、夕紀先生の方を振り向き、また顔を真っ赤にして、一度バッターボックスを外した。
仕切り直して、バッターボックスに入った。

後ろで観戦しているおっちゃん達が歌を歌い出した。
「野球小僧に逢ったかい
男らしくて純情で
燃える憧れスタンドで
じっと見てたよ背番号
僕のようだね 君のよう
オオ マイ・ボーイ
朗らかな 朗らかな 野球小僧~」
その時だった、カキーンという音が聞こえた瞬間、顔を音の方向に向けた、ファウルの打球がライナーで僕の顔面を直撃した、また僕は真っ暗になった・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

声が聞こえた、懐かしい声・・・。強烈な痛みを堪えて目を見開き立ち上がった。
「やれるか」
監督の安堵した表情が目に入った。
「やれます。もう1本お願いします!」
自分でも驚くほど、素直に、大声を発していた。
心の中で何度も叫んだ、野球小僧になる、野球小僧になったるっ!と・・・

2011年2月7日月曜日

スーザン・バーレイさんの絵本『わすれられないおくりもの』の朗読ビデオをYouTubeにアップしました。

約二ヶ月ぶりの書き込みとなります。

一昨日から制作に取りかかり、今日出来上がった、絵本朗読ビデオ(絵本題名『わすれられないおくりもの』)、YouTubeにアップしました。


この絵本は昨年11月に中古書店で購入したものです。
作者であるスーザン・バーレイさんが美術学校の卒業制作として創作された作品で、1984年に刊行、日本では1986年に初版が刊行されています。現在でも、スーザンさんの代表作品となっています。

原題は、"BADGER'S PARTING GIFTS" 直訳すれば『アナグマの分かち与えた贈り物』とでもなるのでしょうか、物語は、森の賢者というべき年老いたアナグマの死から始まり、森の仲間達の悲しみ、そしてそれぞれが、アナグマとの思い出、アナグマから授かった知恵や工夫を語り合い、アナグマを失った悲しみの冬を乗り越えて、互いに助け合い、励まし合って、アナグマとの楽しかった思い出と共に歩み出す春を迎えるまでが綴られています。

西洋の童話の多くに見受けられる神秘的なお話しではなく、文明の継承という哲学を物語の主軸に置かれている点で、他の童話とは一線を画す物語です。

また、死は悲しみばかりではなく、共に過ごした楽しかった思い出や、与えて貰った様々な事柄、この物語の表現を借りれば、大切な贈り物、忘れられない贈り物によって、私達は思い出や記憶と共に豊かに歩むことができる、という作者スーザンさんのメッセージが心を癒してくれます。


昨年末に、古い友人が逝きました。新入社員として同期入社し、数年後、互いに紆余曲折な人生を歩むことになり、二十歳代の終わりから会ってはいませんが、ただ葉書や手紙で細々と便りは取っていました。
昨年春、腫瘍が見つかり手術を行ったことを手紙で伝えられました。その後、根治治療を続け9月の始めに届いた手紙には希望が書かれていました。しかし、10月の終わり、最後となった手紙には、転移の事実と、家族にこれまでの又、現在の苦しみを吐きだしたことなどが綴られていました。

年が明けてから、訃報を受け、腹を割って話せる大切な友人を失ったことに、思う以上に落胆してしまいました。
暫くしてから、もうひとりの古い友人にメールで知らせました。
共通の思い出を持つ友人に伝えた事で、楽しかった思い出が遠い記憶の淵から甦りました。
また、生と死についても、改めて身近な事象として考える切っ掛けとなりました。
この絵本はその貴重なテキストの一つとなりました。

昨年末から体調が優れなかった事もあって、呆けた期間が長くなりましたが、ここに来て体調も安定し、また弱々しいながらも前に歩み出すその証として、また亡き友人への感謝を込めて、この朗読ビデオを作成しました。

今の私には何の背景もありませんが、これまでに学んだ事、探した事、考えた事を、精一杯、絞って記したい、伝えたい・・・、改めて始めます。

閲覧してくださる方へ、またどうぞ宜しくお願い致します。



追伸。
不死について、私のバイブルと呼ぶべき司馬遼太郎著『竜馬がゆく』、文庫本第四巻、物情騒然の章、86頁に次の記述があります。

不穏になってきた京の都で活動する竜馬を案じるおりょうとのやりとりです。
以下本文を引用------
「死ぬ? おれは死なんよ」
竜馬は起きあがった。
「でも、人間はみな死ぬものでしょう?」
「いやおれもだんだんこのごろわかりかけてきたのだが、つまりこういうことではないか」
竜馬は自分に話しているらしい。
「大和の三上ヶ岳という山は千何百年か前に役ノ小角という男がひらいた山だそうだが、その上に蔵王権現をまつるお堂があって、そこに役ノ小角がともして以来、千数百年不滅という燈明がともりつづけている。人間、仕事の大小があっても、そういうものさ。たれかが灯を消さずに点しつづけてゆく、そういう仕事をするのが、不滅の人間ということになる。西洋では、シビリ、シビリゼ・・・・・・」
竜馬は、文明(シビリゼーション)という言葉をいおうとしているらしい。
以上------

司馬遼太郎は、竜馬の口を通じて、人が起こす不滅なるものを記しています。
『文明』という燈明は、常に点し続ける人が在って不滅・不死となる、司馬さんは、短文『洪庵のたいまつ』でも同じメッセージを記されてきます。
私達、人の在りよう、在り方の答えが、希望がここに在るのだと思います。

2010年12月3日金曜日

O.Henry 作『賢者のおくりもの』の朗読ビデオをYouTubeにアップしました。

近代のクリスマスの物語として最初に浮かぶ物語は、
ディケンズ作『クリスマ・スキャロル』ではないでしょうか。
お金持ちだけれども強欲で誰にも心を閉ざしたスクルージのところに、
3人の精霊が次々に現れます。
最初の精霊は過去、まだスクルージが暖かい心を宿し、貧しいけれども家族や友人に囲まれて幸せであった時代へ導きます。
そして第二の精霊は、現在、お金に心を病んだスクルージの非情により、クリスマスの寒空の中で苦しみ悲しむ家族や友人達の姿を垣間見せ、スクルージの罪を指摘します。
最後、第三の精霊は、未来、天罰が下されるスクルージを予言し、
そしてスクルージは、悔い改め、本当の幸せ、人を愛し愛される者として導かれるのです。
この様な物語だったと思います。

とてもファンタジックな物語であると同時に、ディケンズの解釈によるキリスト教的な死生観、道徳観が溢れている作品だと思います。また、想像力を掻き立てられる物語であるため、数多くの映画やドラマ、アニメ等々で、数多くの映像作家が題材として作品を作り続けています。昨年、ロバート・ゼメキス監督そしてジム・キャリーでモーションキャプチャー映画として公開された作品が記憶に新しいです。

この長編ファンタジックなクリスマス物語と双璧な物語として、私の記憶に残る話が、今回朗読作品として制作し登録した、O.Henry作『賢者の贈り物』です。
短編小説で、ある貧しいけれどもとても愛し合っている若い夫婦が、互いに心からのクリスマスのプレゼントを贈るために、自らの一番大切な品物を売って、プレゼントを贈る、という物語です。
妻は、夫の大切な金時計に見合う高雅なプラチナの時計鎖を得るために、豊かな美しい髪の毛を手放します。
夫は、妻の美しい髪に似合う、美しい櫛を得るために、大切な金時計を手放します。

物語の中で、作者O.Henryは読者に対して、『週8ドルと年百万ドル-その違いはなんぞや』と問いかけてきます。
唐突な問いかけです。またその金額にもさして意味があるとは思えません。
ただ、持たざる者、でも愛情に溢れる者同士だからこそ、見方によっては愚かな行為、しかし愛ある心で見れば、それはとても高貴でとても素敵な行為であることが分かります。

この『賢者の贈り物』も、聖書の『マタイの福音書』第二章、救い主イエス様の誕生と東方の賢者による最初の高雅な貢ぎ物のエピソードが題材となっています。

私は、この物語を約40数年前に教科書か絵本で読み、大切な物語としてずっと覚えていました。
今年の夏か、古書店周りをしていて、冨山房出版 リスベート・ツヴェルガーさん挿絵、矢川澄子さん訳による、絵本『賢者の贈り物』を求めました。挿絵はとても繊細で、登場人物の心情を見事に描いています。また日本語訳の文章も重厚で読み応えがあります。

本題からはそれてしまいますが、色々な読書、様々な楽しみ方、読み方、観賞の仕方があると思います。
これしかない、という硬直した見方ではなく、自分らしさで読書を楽しめばよい、そう思います。
また、面白い、とか大切、と思った本は何度も読書を繰り返すうちに、作者と心を通わせる事ができると思います。
それは、私だけの、貴方だけの作者との心の繋がりです。そういった繋がりを幾つも繋いで、心の豊かさを養いたいと思います。



2010年12月1日水曜日

絵本朗読『クリスマスのおくりもの』をYouTubeで公開しました。

絵本朗読を、YouTubeにアップロードし、公開しました。
本の題名は、『クリスマスのおくりもの』、もくしは『いちばんすばらしい贈り物』です。

この物語は、新約聖書『マタイの福音書』2章に記されている、救い主イエス様の誕生と、東方の博士達が夜空に輝く星に導かれて、幼子イエス様に拝礼する記事を、幼き王子イレーヌスの3つの勇気と愛に溢れるエピソードを交えて、描かれた物語です。

残念なことに、聖書にはキリストの誕生を12月25日とは明言されていません。当時のイスラエルの関わる記事などから、イエス様の誕生は、春頃ではないかという説もあります。
キリスト降誕際は、後に北欧の太陽神を祀り感謝する祭事を、時の教会が取り入れたものだと言われています。

ただ、そういった歴史の歪曲、補完は大した事では無いのです。
救世主がお生まれになった、そして救世主を信じる事が大切なのだと思います。
どんな世情であっても、毎年12月25日は訪れます。世界中の人々が、共に喜び合える、その事実が大切なのだと思います。

Merry Christmas to You !
普段、言葉足らずで伝えきれない、感謝と貴方を思っている誠実な気持ちを、クリスマス、主への感謝と共に伝えられたらと思います。

2010年11月29日月曜日

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~

岩崎弥太郎の視点、回想として描かれた大河ドラマ『龍馬伝』は、11月28日、最終回『龍の魂』で完となった。

幼少の頃より、泣き虫、夜ばあたれと悪口をたたかれ、実母が病で逝った後、剣術に目覚め、下士の次男坊、また裕福な家庭という環境も手伝って18歳で、江戸へ剣術修業。江戸中期、太平の頃なら、せいぜい道場主として生き、名もなき一藩士として歴史に刻まれる事なく一生を終えたであろう。

しかし、時代は時の統治組織である徳川幕府の凡庸さでは対応できぬ、産業革命を経て富国強兵を成し遂げた列強国の襲来、開国の突き上げに、日本国の志あるものは、尊皇攘夷また開国の二極に分かれ、やがて対立は国家を二分した
内戦へと突き進み、それぞれの組織を後押しする格好で、搦め手で日本への侵略・占領を図ろうとする列強国が舌なめずりして機会を覗っている・・・

丁度、江戸剣術修行中に、黒船の来航に遭遇し、幕府の狼狽え振り、凡庸さを肌で感じ、剣術を通じて知り合った諸藩の若き闘士と交わる中で、龍馬の中に眠っていたあるものが目覚めたのだと思う。
それは、狂気じみた『愛国心』や列強国への『恐れ』ではなく、開かれた世界への『憧れ』と、どうすればそこへ辿り着けるかを知りたいという『探求』である。

そして、龍馬がその強い衝動に駆られて走り始めた第一歩が、国抜け『脱藩』である。
険路、韮ヶ峠~榎ヶ峠~泉ヶ峠を越えて伊予の国に入り、船で長州へ、片道切符の出奔である。

龍馬には天分がある。
ドラマ『龍馬伝』第一回の中で龍馬を回想する岩崎弥太郎が吐き捨てるように言う龍馬評である。

『
龍馬はのう・・・
わしがこの世で一番嫌いな男やった!
あんな脳天気でっ
自分勝手でっ
人たらしでっ
おなごに好かれてっ
あれば腹が立つ男は
どこにもおらんのじゃき!
』

そう、龍馬が行くところ、龍馬が成そうとするところ必ず有志が集まる。
志が高く、また優秀なる人材が集まる。
また、龍馬は必要ならばどこへでも出かけていく。
幕府側では松平春嶽、勝海舟、永井尚志、ともに大大名である。
動乱の時代でなければ、近づくことなどできぬ、身分が違う。
しかし、彼らの方が龍馬を遇した、可愛がった。
真っ直ぐに夢を語り、度胸も腕も立つ。雄弁ではないが、例えが面白く、聴き手をグイグイと龍馬の夢の支援者に引き込んでいく。

そして、一触即発、日本国存亡の岐路の険路を悠々と渡り歩いて人類が文明を築いてから、誰も成し遂げたことのない、『大政奉還』、時の統治者が、権力の座から退くという無血革命を成し遂げた。

龍馬には多くの友がいた。武市半平太、以蔵、饅頭屋長治郎、他土佐勤王党の面々、そして龍馬が旗揚げした亀山社中、その後の海援隊の隊士達、その多くが龍馬の立った夢の頂きを共に踏みしめることはなかった。
それぞれの道、志半ばで斃れ、野に散った。

そしてまた、龍馬を敵視するもの、その数多く・・・
『龍馬伝』最終回で、龍馬の潜伏する近江屋に乗り込み、これまでの龍馬への複雑な感情を露呈した弥太郎が、最後に龍馬に告げる予言である。

『
けんどのぅ龍馬・・・
人が、みんなぁ自分のように・・・
新しい世の中を、新しい世の中を
望んじゅうと思うたら大間違いじゃぞ。
口ではどういうちょたち、いざ扉が開いたら
戸惑い、怖じ気づくもんは山のようにおるがじゃき
恨みや妬みや、恐れ、保身・・・
その内、怒りの矛先はオマンに向くろ
わしにはわかる。
眩しすぎる陽の光は
無性に腹が立つことを、知っちょうきのう。
』


もし、もしも龍馬が暗殺されずに、明治を迎えたとしてその後の、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争は起こらなかっただろうか

欧米列強に並ぶ、富国強兵の振興、近代化、欧米化、そしてアジア諸国を巻き込んだ侵略、植民地政策の強行そして太平洋戦争は起こらなかっただろうか・・・

龍馬は、天性の外交官、であったと思う。それも大局を見て謀ができ、また商才にも長けている。
それまでの、またそれ以降を見ても龍馬ほどの世界の列強国と渡り合える外交官を日本は輩出できてはいないと思う。

しかし、またそこが龍馬の限界であったと思う。

大政奉還までの道筋を描き、実現に奔走し、各藩の有力者を説き、また幕府の重役を説き、彼らを動かした。共感を与え働かせたのである。
そして『大政奉還』を成した。
ただ、『大政奉還』が成したとて、明治という時代が開かれたとして、すぐに龍馬が描く、志ある者が、学び、そして国民に選ばれて国の運営を司る、という仕組みが受け入れられて、この国に馴染むには、果てしない時間を要する事業なのである。

龍馬には、日本を指導する強力な権力も、盤石な地盤も財力さえ無いのである。

国の中枢に巣くう政治屋には到底なれず、また岩崎弥太郎の様に、現代に残る大企業『三菱』を興す祖たるに相応しい人物でもない。

龍馬には野心がない、いや日本に留まる程度のこんまい野心は持ち合わせていなかったのであろうと思う。

だから、もし龍馬が命を長らえ明治を迎えていたとしても、その後の歴史は、なんちゃあ変わる事はなかったと思うのである。

天は、龍馬を用いて、日本から侍の世を葬り、開かれた国へと日本を導びかれた。龍馬の使命は終わったのである。


最終回、弥太郎がもう一度吐く。

『
龍馬・・・龍馬・・・龍馬・・・龍馬
龍馬はのう-!
脳天気で
自分勝手で
人たらしで
おなごに好かれて
あれば腹が立つ男は
どこにもおらんかったんじゃき!
あんな男は・・・あんな・・・
あんな龍は
どこにもおらんぜよ!
』

龍馬が残したモノは、志ある者、才能ある者、勇気ある者に希望を繋いだことである。

明治以降、在野から多くの卓越した人物が出現した。
それは、国家が推し進める富国強兵よりも、日本の文化・文明を清く高めるに大いに貢献した。

龍馬の辞世の句として語り継がれている言葉がある。

『
世の人は
われをなにとも
ゆえばいへ
わがなすことは
われのみぞしる
』

この言葉は、龍馬の青春時代、希望の見えない土佐暗黒の時代に読んだ詩とも言われている。

明治維新の西洋文明の導入期、また太平洋戦争からの復興、そして成長期において、先進国、戦勝国に追いつけ追い越せ、を掛け声に、物を真似て製造し、他国から『猿まね』と揶揄されながらも、学び、工夫・改善し、いつか世界一の品質の証である "Made in Japan"の称号を日本製品は勝ち得た。

日本人は、自分たちのそれぞれの夢を信じて、われのみぞ知る、頂きに到達したのである。


現在、世界はこれ以上無いほどに密接し、しかも様々な思想に支配される国々とより一層関係を密にしなければ、一国では立ちゆかない時代に入ってしまった。
そして日本は、1980年代から1990年代にかけての『陽いずる日本~Rising Sun~』『世界一安全な国』と称された時代から一転、凋落し、内外の問題が噴出し、政治も経済も停滞し、日本から夢や希望がどんどん失われていく喪失感に苛まれている。

今、私達に必要な事は、それぞれが天から与えられた唯一無二の天分に従って現状の枠組み・ルールの中で自分を活かし、争わず笑顔で、学び、働き、楽しむ事ではないだろうか。

また、国、社会を運営する任を与えられし者は、それぞれの個性、パーソナリティーを尊重し、活かす社会システムの再構築(イノベーション)をもたらすことではないだろうか。

それが、龍馬の描いた『夢』なのだと思うのである。
それが、私の、私達の『必要な夢』なのだと希望する。


『坂本龍馬』考

『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html

『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/11/3.html

『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/11/blog-post_20.html

2010年11月11日木曜日

クリスマス絵本『ポーラーエクスプレス』の朗読ビデオをYouTubeにアップしました。

初めに、
本日11/11、10日振りの投稿となります。暫く調子を崩していました。先週末は、鹿島中野球部の練習試合が土・日、両日で4チームを迎えて行われましたが、大好きな野球観戦も写真撮影も休みました。漸く調子が戻ってきました。
野球部員のお父さんで、写真撮影の相棒(元ラガーマンのサユリスト)も体調を崩されているとの事、共に調子を戻して、今週末に行われる『中上雅文記念 第12回高砂市招待中学校軟式野球交流会』でお会いしたいと思います。

では本題に入ります。m(__)m

先日、中古書店で、絵本『The Polar Express - 急行「北極号」 -』を見つけました。
『ポーラーエクスプレス』といえば、最初に、2004年公開の、ロバート・ゼメキス監督そしてトム・ハンクス(CGキャラクターと声)出演のCGアニメーション『ポーラーエクスプレス』を思い出します。
この映画の原作が、この絵本です。
1985年に、クリス・ヴァン・オールズバーグさんが創作された絵童話です。日本では、翻訳者が村上春樹さん、また映画公開などもあって、ある時期、多くの方が読まれた事と思います。

最近というか、以前から感じていた事ですが、書籍、絵本、映画、音楽等々、近年その発表される作品数は膨大で、しかし一部の話題を獲得したコンテンツ(商品)のみが、短期的に話題を独占し、その他の大多数は、記憶に残ればよい方で、遺産にもならず、過去の大量の記録物の中に消えていきます。

この『ポーラーエクスプレス』、発売当初は全く感心無く、映画もそして絵本にもタッチしませんでした。でもどうでしょう、現在、新刊書店に置いてあるでしょうか。
一時期、ベストセラーとなった作品は、その凋落振りも甚だしいです。

話はそれますが、
新刊書店に行けば、新刊書籍が大量に並べられ、書店側も様々な戦略を講じて、本をどうにかして売ろうしています。
ですが、新刊(新刊は単行本で値段が高い)は、少ない情報(新聞や雑誌の書評)しかなく、これまでの自身の作家や過去作品に触れた経験・感想を踏まえて、購入するか否か判断します。(まぁそれ以上に、財布の中身とまず相談なのですが)そして、当たり外れが大きいという難があります。
しかし、過去作品、文豪作品は、私にとっては宝石の山(というより知識の泉)です。未読作品は膨大です。また、読み継がれ、語り継がれた作品は十分に批評されていて、当たり外れがありません。しかし、そういった作品を新刊書店で見つけるのは至難です。売れ筋と書棚スペースの兼ね合い、書店側の販売方針が蔵書目録に色濃く出ます。
そういう時、Book-off等の中古書店です。中古店は、様々なジャンル、また様々な刊行時期の作品が置かれています。ですから、思わぬ作品に出会える楽しさがあります。また新刊よりも圧倒的に安い。一種、宝探しの趣向があります。

さて、『ポーラーエクスプレス』、約15分くらいで作者の創作世界を堪能しました。
物語は・・・
あるクリスマスイブの夜、自宅の前に汽車が停車し、僕はサンタクロースの町、地上で最も北にある町に汽車に乗って旅をし、その町でサンタクロースからサンタのソリについた銀の鈴をクリスマスプレゼントとして貰います。それは、僕が1番欲しかったプレゼントです。
ですが、帰りの車中で、無くした事に気付き落胆しますが、翌朝、クリスマスの日、プレゼントの中に、サンタからのプレゼントとして銀の鈴が届きます。
その鈴の音は、これまで耳にした事がない素敵な音色でした。
ですが、その音色は、何故かお父さんお母さんには、沈黙としか伝わらない不思議さがありました。
時が経ち、僕は大人になりました。昔、一緒にサンタの鈴の音を楽しんだ、妹や友だちには、もう沈黙の鈴になりました、しかし僕は聞こえる、サンタを、夢を心から信じているから・・・

という行の物語です。

信じればいつもそこにあり、信じればいつも叶う、夢心地の子どもの呪文の様ですが、この気持ちをいつまでも持ち続ける事が、本当に大切な事なのだと思います。
この思いは、純真さや優しさ、畏れといった心から生まれるものです。
恐れを知らぬ、恐れを忘れる、恐れを伏せる、それが大人なのでしょうか、と作者は子どもたちに問いかけている、そう感じました。私もその疑問に常々感じている者の一人であります。

人は、これまでの数千年間で文明を興し、科学や技術を発展させてきました。でもそれは、海岸の砂浜に子どもが作った砂の城と同じであると気付くべきです。
打ち寄せる波を避けて築いたつもりでも、いつか予想もしない波に崩され、流されます。
私達は、そういう大いなる自然、この世界を司る大なる存在を畏れ、また感謝しつつ日々を送る、今では過去となった精神性の高い生活に立ち戻る時なのではないかと思っています。

投稿した、朗読『The Polar Express - 急行「北極号」 -』どうぞ、ご鑑賞下さい。
バックミュージックは、これも20数年前、ワゴンセールで買ったクリスマスソングCD(輸入版)の曲です。余り日本には馴染みのない楽器で演奏されていて、どの曲も大好きです。私にとって貴重な音楽です。

※制作した朗読動画は、YouTubeで削除されましたので、音声だけの動画をアップしました。