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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2016年5月26日木曜日

週末は、半年ぶりの絵本朗読会担当の日です。

お早うございます。若い頃から変わらずに五時過ぎには起床して、新聞を読んだり食事をしたりetc.etc.で朝の時間を過ごしています。
週末、半年ぶりの絵本朗読会担当の日ということで、書棚から数冊絵本を取り出して朗読の練習を始めました。
BGMを掛けながら絵本の絵と文字に気持ちを入れて読みました。久し振りでしたので何度もつっかえひっかえしてしまいました。舌もなかなか回りません・・・
そして、「ずーっとずっとだいすきだよ」では老犬エルフィが亡くなったところから嗚咽しそうになって声がつまってしまいました。
あと二日しかありませんが、子供たちに楽しんでもらえるようにもうちょっと練習したいと思います。


2016年5月25日水曜日

考える人

朝ラジオを聴いていると、パーソナリティの子守康範さんが「オバマ大統領の迎え方」について話をされていました。子守さんは”謝罪はしない”という米国の姿勢に個人的には釈然としないと話した後で、朝日新聞に掲載された塩野七生さんの意見を紹介されました。

イタリア在住の作家塩野七生さんが語られた意見には、じんとくるものがありました。
塩野さんは、謝罪を求めぬ日本を評価すると共に
「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを印象づけることになる」と語り
「『謝罪は求めない』は、『訪れて自分の目で見ることは求めない』ではありません。米国大統領オバマの広島訪問は、アメリカで心を痛めている人たちに、まず、自分たちが抱いていた心の痛みは正当だった、と思わせる効果がある。そうなれば、感受性の豊かな人びとの足も、自然に広島や長崎に向かうようになるでしょう」
そして
「ここイタリアでも、原爆投下の日には、テレビは特別番組を放送します。毎年ですよ。あれから70年が過ぎても、犠牲の大きさに心を痛めている人が少なくないことの証です。心を痛めている人は、アメリカにも多いに違いありません」と語られていました。

現代の私たちは、話すことが大事であり、言葉を尽くすことが誠意という風潮に駆られて、雄弁な人、多弁な人、声高な人に惹かれるようになりました。また、誠意を見せる時も謝罪をする時も、言葉を尽くし、謙虚で低姿勢を貫かなければ許されなくなりました。
それも大切な事かとは思いますが、本当に大事な事は、それが見せ掛けで終わるのでは無く、本心であること、そして実践される事だと思います。

そして、本心を揺さぶるものは、なまじの言葉などでは無く、知ること、見ること、感じることだと思います。
オバマ大統領には、平和記念公園を訪問される時、是非に平和記念資料館を訪れて原爆がもたらした悲劇の遺物をその目で見て感じて欲しいと思うと共に、70年間を掛けて平和な町へと復興を遂げた広島の町と人びとを知って欲しいと思います。
後、今回は叶わぬとも、日本画家丸山夫妻が残された「原爆の図」を是非にその目で見て欲しいと思います。

考える人、という有名なロダン作のブロンズ像がありますね。考える人は、地獄の門の上で熟慮するダンテを描いているといわれます。
原爆投下直後の広島や長崎は、さも地獄の様相であったと思います。オバマ大統領には、その地に立って、是非に70年前の風景に思いを馳せて、熟慮して欲しい、そして本心から核の廃絶と和平を決意し、そのために行動して欲しいと思います。

2016年5月24日火曜日

ちょっとだけ・・・怖い話

昨日の夕暮れの事です。大塩別所線の姫路ジャンクション高架下で右折の方向指示を出しながら信号が青に変わるのを待っていました。前方には対向車が数台連なっています。
信号が青に変わって対向車が行き過ぎるの待っていたその時です。甲高い原付バイクの騒音がトンネル内に響きました。たしか対向車線にはバイクはいなかった筈、とっさに後ろから来るのかと左右のミラーを確認しました、でも近づくバイクはありません。そしてしばらく続いた甲高い騒音は止みました。
バイクを見落としていたのか、それとも消えたのか、そもそもバイクなど実在しなかったのか・・・暫く走りながらそんなことを考えていると、背中がぞくぞくしてきました。

2016年5月23日月曜日

カメラ、修理に出しました。

FINEPIX HS50EXR、購入してもうすぐ三年目を迎えます。
買ったその年の秋祭り、マー君の家でおよばれしていた時に酔っ払ってカメラを落とし、プロテクトフィルターをあっけなく割ってしまいましたが、それ以外は大切に使ってきました。そして野外のハードな撮影に三年間堪えて堪えてくれました。
今年になって、カメラ後部に装着されているバリアングル液晶が少し角度を変えるだけで映らなくなりました。接触不良を起こしたものと思われます。グリップのゴムも伸びてきて、だらしなく垂れ出しました。
購入時の書類を見ると、三年保証に入っている事が分かりましたので、昨日購入した電気店にカメラを持ち込み修理に出してきました。
丁度よいオーバーホールになるなぁと思っています。カメラが直って帰ってくるのは二三週間後です。そしたらまた、球場に足を運んで野球観戦、野球撮影を楽しみたいと思います。

2016年5月22日日曜日

ルール改定が、野球をつまらなくしてはならないですね

今年からNPBでもコリジョンルールを採用する事になりましたね。本塁でのクロスプレーの際に起こりうる捕手と走者の衝突事故を防ぐための衝突防止ルールです。でも昨年からこのコリジョンルールを採用したMLBでは本塁上でのクロスプレーの面白さが失われていました。イチローがその名を全米に轟かせたレーザービームによる捕殺や、忍者のような生還などアメージングなプレーは影を潜めてしまいました。
日本でも開幕早々、コリジョンルールの不可解な適用によって完璧な捕殺プレーによるアウトが覆されて、試合の勝敗に影響する事態を引き起こしました。それは、5月11日(水)の阪神巨人戦三回表巨人の攻撃で、二死二塁からヒットで本塁に突入した小林を、中堅の大和から完璧な返球を受けた捕手原口がコリジョンルールに則って走者の走路を空けながら余裕で刺殺したプレーが、巨人側からの抗議によってビデオ判定に持ち込まれ、そして走塁妨害として認められてセーフとなった一件です。

こんな不可解な判定が認められてしまうコリジョンルール以上に、さらに野球をつまらなくするであろうルール改定の合意がMLBで成されたというニュースを見ました。
守備側が敬遠の意思を示せば、四球ボール球を投げずとも敬遠が認められるというルールです。敬遠というのは、強打者との対戦を避けるという手段であるとともに、試合の終盤に駆け引きとして使われる手段でもあります。駆け引きには、時に思わぬプレーが起こります。投手が暴投したり、捕手が後逸したり、はたまた打者が敬遠ボールに飛びついて強打したり、怒りで空振りしてみたり・・・。敬遠は、たかが四球のプレーですが、その中で球史に残るプレーも生まれてきたのです。そんな思わぬプレーが観られるかも知れない機会が失われてしまう事は決してあってはならないと思います。

MLBは試合が決するまで何回でも何時間でも戦うという崇高なルールを守り続けているのですが、そのためか遅延に繋がる行為は一切排除する方向にルール改定が行われてきました。今回の認定敬遠もその一環だと想像しますが、勝負の駆け引きやきわどいプレーまで排除されてしまうとすれば、それは改悪でしかありません。

そしてもう一つのルール改定が、ストライクゾーンの見直しです。ストライクゾーンの下限を膝頭下部から膝頭上部に変更するというものです。ようはストライクゾーンが狭くなるということです。MLBは来年以降、ますますパワーヒッター天国となり、速球だけで勝負する正統なパワーピッチャーはますます受難の日々を迎えます。
フェアプレーを引き出すためには本来、打者にも投手にも公平なルールでなければをいけないと思います。NPBは闇雲にMLBに追随して野球をつまらなくするのでは無く、野球の面白さの真髄をいつまでも追い求め、そして日本の野球の素晴らしさを発信し、世界の野球ファンおも唸らせて欲しいと思います。

2016年5月21日土曜日

「グッドパートナー無敵の弁護士」を観て、やるせない気持ちになりました。

竹野内豊、松雪泰子W主演のドラマ「グッドパートナー無敵の弁護士」が面白いですね。毎週録画して欠かさず観ています。
最近ニュースで話題となった経営者親子の骨肉の争いや、法律を逆手にとって行われる悪事、そしてパワーハラスメントやセクシャルハラスメントという問題を、法律の力と正義心、そして人間力を駆使して解決していく様は観ていて痛快に思います。

しかし今週の第五話、ある病院に根深く巣くうパワーハラスメントとセクシャルハラスメントの問題解決は、少し後味が良くなかったです。
何人もの女性看護師を毒牙に掛けて、苦しめて退職に追い込んだ、横柄で横暴なエースドクターが病院を追い出されるところまでは良かったですが、まだこの病院の膿は出し尽くされていないのにこれで終わり? というのが正直な感想です。
この病院の本当の悪は、遂に悪事が露見して糾弾されたドクターではなく、経営者である院長です。人間失格であるのに手術の腕だけはなまじっかあるドクターの悪事を正す事無く、隠蔽し、尚且つ被害者である看護師に悪事の責任を押しつけて病院から追い出し続けてきた院長が信奉してきたのは、「大金を稼ぐ事」そして「ドクターの威光」です。口では患者の為とか、社会的責任を唱えるも、それは患者の為に献身的に働くナースやドクターを病院に繋ぎ止める鎖の呪文でしかありません。こんな院長が経営者として居座り続ける限り、悲劇はいつかまた繰り返されるのだろうな、というやるせない思いが残りました。

それは、安全や高品質、高性能という神話にあぐらをかいて、いつの間にか厚顔無恥になりさがってしまった大企業の経営者や首長、政治家の顔を見る度に、募る思いと同じです。

最近、社会不安を引き起こした企業が掲げている、企業理念・経営理念を調べてみました。
三菱自動車は、ホームページ
http://www.mitsubishi-motors.com/jp/corporate/philosophy/philosophy.html
で、顧客第一主義を掲げ、顧客に満足と安心と価値を提供し続ける事を唱えていました。
また三菱自動車は、2001年10月に過去のリコール問題を踏まえて「三菱自動車企業倫理」という文書を公開していました。
http://www.mitsubishi-motors.com/jp/social/csr/pdf/rinri3.pdf

東洋ゴムは、ホームページ
http://www.toyo-rubber.co.jp/company/vision/
で、独自の技術を核として新たな価値を創造し、人と社会に求められる企業であり続けることを唱い、また断熱パネルの性能偽装が明るみになった後の2012年12月に行動規範を公開していました。
http://www.toyo-rubber.co.jp/pdf/news/2012/121227_pdf02.pdf

両社が肝として掲げているのは、「顧客第一主義」と「法令遵守」ですが、それが形骸化されてしまっていたことは明らかです。さらにいえば、企業の一番の財産でありファン(一番の顧客といっても過言ではない)であるべき従業員や子会社、関連会社、下請け会社について言及した見解が何ひとつ書かれていない事にも注目しなければいけないと思います。

すこしステレオタイプな意見となりますが、創業者経営者の場合は、ワンマン経営に陥りやすいものの、良いも悪いも責任の所在はハッキリとしています。しかしサラリーマンが企業のトップに登り詰める場合、その人物の経歴と実績に加え、社内力学の精通と世渡りの巧さが必要です。平たくいえばどの派閥に入るか誰に組するかという事です。そしてめでたくトップに登り詰めてからも保身のために派閥を優遇し、たとえ企業にとって必要な人物であったとしても、それが敵対する派閥に組する者であれば冷遇する。そこには「顧客第一主義」とか「法令遵守」とか、さらに言えば「従業員や子会社、・関連会社・下請け会社を守る」という信条を差し挟むスキなどありません。

詐欺や横領まがいな行為に耽る東京都の首長や、選挙時の平身低頭とは一転して厚顔無恥に変貌する政治家などはなおさらです。憲法は彼ら権力者の行動規範となるものですが、違反した場合の罰則規定がありません。法律家でもある彼ら権力者はその点をよく承知しているのです。さらにいえば、権力者や有力者の力、政党の力によって、崇高な目標もなく公僕としての矜持もなく、意地も無く責任もない者が政争の道具として民意とかけ離れたところで選ばれて政治家になるのです。そんな彼らが免罪符となる議員バッチを手にすれば、どうなるか火を見るよりも明らかです。彼らが利殖に耽り、権力を乱用し、悪行に手を染めるのも致し方ないのかも知れません。そして有権者である私たちにも大いに責任があります。権力者や有力者に大変弱いのです。彼らを頼ろうとする下心があるから彼らの好き勝手を黙認してきたのです。それは子供時代に学ぶ道徳や躾とは真逆の行為です。私たち大人と称する者が、子供に対し「これはしてはならない」と言葉にする行為を舌の根が渇かぬ内からしているのです。

アメリカには国軍以外に州軍が存在します。州軍は日本の自衛隊の様に災害救助や治安維持という役割の他に、日本には無い役割が合衆国憲法で認められています。それは政府が独裁化したり国民に刃を向けた場合に、国民が集結し武器を取って政府と戦うための軍隊という役割です。目には目というのは前時代的な行為ですが、国民にとって憲法が無力化されて生命が脅かされる様な非常事態が訪れた時、最後の戦うという選択が残されている事は、権力者の暴走を抑止する事に繋がると考えられます。
日本の、特に自由民主党の政治家や支援者たちは憲法改正を党是として唱えますが、私も憲法改正には賛成です。ただし、その改正は権力者の行動規範に対しての罰則規定の明記です。
国のトップの権力者が、憲法という行動規範を厳粛に受け止めながら、公約を果たすために日々努力する姿こそが、今この国に蔓延る様々な不正を正していく端緒となるのだと思います。そうして公約を成した権力者が心から国民の尊敬と賞賛を受ける時、この国は、本当の正しい国へと生まれ変わるのだと思います。その時、私のやるせない気持ちが解消されるのだと思います。

2016年5月18日水曜日

コンピュータのプログラミング教育必須化に『反対!』です。

昨日の読売新聞に掲載された社説です。
以下、引用掲載させて頂きます。

***
題:プログラミング 必須化を想像力育てる一助に
読売新聞 平成28年5月17日(火)朝刊社説
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20160516-OYT1T50131.html

 子供たちの論理的な思考力や創造力の向上につなげることが大切だ。
 文部科学省が、コンピューターのプログラミング教育を必修化することを決めた。2020年度から小学校で実施するのを手始めに、21年度に中学校、22年度には高校で順次必修化する。
 自分の思い通りになるソフトウェアを作り上げるのが、プログラミングだ。画面上でキャラクターの動きを操ったり、ブロックを積んだりと、ゲーム感覚で楽しめる子供向けの教材も多い。
 小学校では、理科や総合学習などの授業で取り入れられる見通しだ。プログラミングに親しみながら、年齢に応じて高度化していく工夫が求められよう。
 茨城県古河市や佐賀県武雄市などでは、企業やボランティアの協力で、既に小学校でプログラミング教育に取り組む。自ら学ぼうとする意欲が高まるといった効果が報告されている。
 授業内容の検討を始めた文科省の有識者会議は、こうした先行事例を参考にすべきだ。
 中学では、技術・家庭で教えている簡単なプログラミングを、より充実した内容にする方向だ。高校では選択制を必修に改める。
 プログラミング教育への関心は、急速に高まっている。政府の産業競争力会議も、成長戦略のメニューに盛り込んだ。
 スマートフォンをはじめとする電子機器は、プログラムによって制御されている。家電製品の節電機能や電車の運行管理など、プログラミング技術は、日常生活の隅々にまで浸透している。
 子供たちが早い時期からプログラミングになじむことで、IT分野で世界的に活躍する人材の輩出も期待できるのではないか。
 海外では、多くの国がプログラミング教育に力を入れている。イスラエルでは00年から高校で必修化され、英国でも、14年から5歳以上のすべての子供が学ぶ制度が導入された。いずれも、産業力の強化を念頭に置いている。
 オバマ米大統領は今年1月、コンピューター科学教育に40億ドル(約4400億円)を投じると表明した。グーグルなどの情報関連企業も、無料で利用できる教育向けサイトを開設するなど、人材育成を後押ししている。
 教師がいかに知識や技術を習得するか。必修化に向けた日本の最大の課題だろう。IT企業やNPOが手がける講習会などは多い。民間の知見を活用し、教師のレベルアップを図りたい。
***

私は、コンピュータのプログラミング教育必須化に『反対!』です。
プログラミングとは、コンピュータのプログラムを作成することです。
プログラムとは、コンピュータに情報処理を行うための動作手順を指定するものです。
プログラミング教育とは、平たくいえばコンピュータを動かすための技術教育です。
①コンピュータを動かす目的に応じた手順を作成し(基本設計、概要設計、そしてプログラム言語に応じた詳細設計)、
②プログラム言語でコーディングしてプログラムを作成し(プログラム製造、バグ修正)、
③コンピュータを正確に動作させる(単体テスト、総合テスト、本番移行)
までの一連の手順と技術を学ぶ教育です。
私は、”IT分野で世界で活躍できる人材を輩出する”とか”論理的な思考力や創造力の向上を育む”ためとかの教育をコンピュータに特化して行うことに反対なんです。
さらにいえば、コンピュータに特化することでコンピュータという制約に阻まれて、自由な発想力や想像力が制限されてしまうことを恐れます。

子供たちには、ある固定した目的物のための論理的思考や創造力を学ぶまえに、好きな事柄や興味を持つ事柄、そして普段の生活において、さらに活き活きと向き合い行動できるように、発想力や想像力を豊かにすることこそ重要だと思います。
発想力や想像力を豊かにするための学びのもとは、身の回りすべてにあります。学校の教科がそうですし、読書や音楽観賞、美術や写真・映像観賞、自然に触れ合う事、運動する事、家事一般もそうです。

たとえば・・・『洗濯をする』という事を考えてみましょう。
目的は、汚れ物を洗濯してきれいにすることですね。
そして、一般的な行動は、
①洗濯機に汚れ物を入れて、
②洗剤を入れて回し、
③洗濯が終わったら取り出して干し乾かす
まぁその後は取り込んでたたんでしまうと続くわけですが・・・
③をもう少し発想力と想像力を豊かにして考えてみると

洗濯機から洗濯物を取り出す時、無造作に洗濯カゴにそのまま入れてしまうと、後干す段になって洗濯物がこんがらがって干しにくいですよね、というのが想像です。
そして発想ですが、洗濯カゴに入れる前に、
・バスタオルなどの大物と、衣服は一枚一枚裏表を正して、またタオルと下着も別々に、仕分ける
・そして干す順番を考えて洗濯カゴに入れる
後の洗濯物を干す時間が短縮できるというよりも、洗濯物を干す時のイライラが無くなります。毎回手際よく干す事ができる。これが強いては時短につながるかもしれない。ちょっとした手間をかけることで、後々の作業が効率よく行えます。

また洗濯竿の準備ですが、そのまま野外に放置したままにしておいたとすると、前夜雨が降って濡れているかも知れない。すると、洗濯物をそのまま干すと汚れが付いてしまう。そのために濡れた洗濯竿を洗濯物を干す前に、水滴を拭き取らなければならない、これが想像です。
そして発想ですが、ならば毎回洗濯物を干した後は、軒先の雨のかからない場所に洗濯竿を取り込んでおくことです。そして、早く乾かすためには、太陽の軌道を考えて、干し場をあらかじめ陽の当たる場所に変えておく事です。想像力と発想力が、洗濯物を効率よく乾かす事に繋がるのです。

いかがです?
想像すること、発想すること、そして行動すること、それがルーティーン化できれば、そして、少しずつ見直し良くしていく事が出来れば、たとえちっさい事柄でも自分に自信を持つ事ができます。ちっさいことを積み重なれば、それが大きな事柄に繋がることになるかもしれない。それが苦も無く行える体質こそが、生きる力となるのではないかと思います。