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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年5月21日土曜日

「グッドパートナー無敵の弁護士」を観て、やるせない気持ちになりました。

竹野内豊、松雪泰子W主演のドラマ「グッドパートナー無敵の弁護士」が面白いですね。毎週録画して欠かさず観ています。
最近ニュースで話題となった経営者親子の骨肉の争いや、法律を逆手にとって行われる悪事、そしてパワーハラスメントやセクシャルハラスメントという問題を、法律の力と正義心、そして人間力を駆使して解決していく様は観ていて痛快に思います。

しかし今週の第五話、ある病院に根深く巣くうパワーハラスメントとセクシャルハラスメントの問題解決は、少し後味が良くなかったです。
何人もの女性看護師を毒牙に掛けて、苦しめて退職に追い込んだ、横柄で横暴なエースドクターが病院を追い出されるところまでは良かったですが、まだこの病院の膿は出し尽くされていないのにこれで終わり? というのが正直な感想です。
この病院の本当の悪は、遂に悪事が露見して糾弾されたドクターではなく、経営者である院長です。人間失格であるのに手術の腕だけはなまじっかあるドクターの悪事を正す事無く、隠蔽し、尚且つ被害者である看護師に悪事の責任を押しつけて病院から追い出し続けてきた院長が信奉してきたのは、「大金を稼ぐ事」そして「ドクターの威光」です。口では患者の為とか、社会的責任を唱えるも、それは患者の為に献身的に働くナースやドクターを病院に繋ぎ止める鎖の呪文でしかありません。こんな院長が経営者として居座り続ける限り、悲劇はいつかまた繰り返されるのだろうな、というやるせない思いが残りました。

それは、安全や高品質、高性能という神話にあぐらをかいて、いつの間にか厚顔無恥になりさがってしまった大企業の経営者や首長、政治家の顔を見る度に、募る思いと同じです。

最近、社会不安を引き起こした企業が掲げている、企業理念・経営理念を調べてみました。
三菱自動車は、ホームページ
http://www.mitsubishi-motors.com/jp/corporate/philosophy/philosophy.html
で、顧客第一主義を掲げ、顧客に満足と安心と価値を提供し続ける事を唱えていました。
また三菱自動車は、2001年10月に過去のリコール問題を踏まえて「三菱自動車企業倫理」という文書を公開していました。
http://www.mitsubishi-motors.com/jp/social/csr/pdf/rinri3.pdf

東洋ゴムは、ホームページ
http://www.toyo-rubber.co.jp/company/vision/
で、独自の技術を核として新たな価値を創造し、人と社会に求められる企業であり続けることを唱い、また断熱パネルの性能偽装が明るみになった後の2012年12月に行動規範を公開していました。
http://www.toyo-rubber.co.jp/pdf/news/2012/121227_pdf02.pdf

両社が肝として掲げているのは、「顧客第一主義」と「法令遵守」ですが、それが形骸化されてしまっていたことは明らかです。さらにいえば、企業の一番の財産でありファン(一番の顧客といっても過言ではない)であるべき従業員や子会社、関連会社、下請け会社について言及した見解が何ひとつ書かれていない事にも注目しなければいけないと思います。

すこしステレオタイプな意見となりますが、創業者経営者の場合は、ワンマン経営に陥りやすいものの、良いも悪いも責任の所在はハッキリとしています。しかしサラリーマンが企業のトップに登り詰める場合、その人物の経歴と実績に加え、社内力学の精通と世渡りの巧さが必要です。平たくいえばどの派閥に入るか誰に組するかという事です。そしてめでたくトップに登り詰めてからも保身のために派閥を優遇し、たとえ企業にとって必要な人物であったとしても、それが敵対する派閥に組する者であれば冷遇する。そこには「顧客第一主義」とか「法令遵守」とか、さらに言えば「従業員や子会社、・関連会社・下請け会社を守る」という信条を差し挟むスキなどありません。

詐欺や横領まがいな行為に耽る東京都の首長や、選挙時の平身低頭とは一転して厚顔無恥に変貌する政治家などはなおさらです。憲法は彼ら権力者の行動規範となるものですが、違反した場合の罰則規定がありません。法律家でもある彼ら権力者はその点をよく承知しているのです。さらにいえば、権力者や有力者の力、政党の力によって、崇高な目標もなく公僕としての矜持もなく、意地も無く責任もない者が政争の道具として民意とかけ離れたところで選ばれて政治家になるのです。そんな彼らが免罪符となる議員バッチを手にすれば、どうなるか火を見るよりも明らかです。彼らが利殖に耽り、権力を乱用し、悪行に手を染めるのも致し方ないのかも知れません。そして有権者である私たちにも大いに責任があります。権力者や有力者に大変弱いのです。彼らを頼ろうとする下心があるから彼らの好き勝手を黙認してきたのです。それは子供時代に学ぶ道徳や躾とは真逆の行為です。私たち大人と称する者が、子供に対し「これはしてはならない」と言葉にする行為を舌の根が渇かぬ内からしているのです。

アメリカには国軍以外に州軍が存在します。州軍は日本の自衛隊の様に災害救助や治安維持という役割の他に、日本には無い役割が合衆国憲法で認められています。それは政府が独裁化したり国民に刃を向けた場合に、国民が集結し武器を取って政府と戦うための軍隊という役割です。目には目というのは前時代的な行為ですが、国民にとって憲法が無力化されて生命が脅かされる様な非常事態が訪れた時、最後の戦うという選択が残されている事は、権力者の暴走を抑止する事に繋がると考えられます。
日本の、特に自由民主党の政治家や支援者たちは憲法改正を党是として唱えますが、私も憲法改正には賛成です。ただし、その改正は権力者の行動規範に対しての罰則規定の明記です。
国のトップの権力者が、憲法という行動規範を厳粛に受け止めながら、公約を果たすために日々努力する姿こそが、今この国に蔓延る様々な不正を正していく端緒となるのだと思います。そうして公約を成した権力者が心から国民の尊敬と賞賛を受ける時、この国は、本当の正しい国へと生まれ変わるのだと思います。その時、私のやるせない気持ちが解消されるのだと思います。

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