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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年5月15日日曜日

オバマ大統領が、広島を訪問される事が決まったそうですね。

オバマ大統領が、伊勢志摩サミット出席後、その足で広島を訪問される事が決まったそうですね。とても印象的な出来事になる、そう思います。
日米は、広島と長崎の原爆投下の出来事について、正反対の見解に分かれます。
米国では、太平洋戦争で犠牲となる米国の兵士をこれ以上増やさない為に、戦争を終結させる。原爆投下はその為の必要な行動であったとする見解が小学生の歴史で教えられています。これが一般的な米国人の見解ともなっています。
しかし、日本は複雑です。日本は、広島と長崎に原爆が投下されてから約一週間で無条件降伏を受け入れます。しかし、広島、長崎以外の多くの都市も絨毯爆撃によって破壊尽くされ、たぶん当時の感覚では広島も長崎も破壊された都市の中で特別ではなかったと思います。それほどまでに日本の隅々の都市が破壊尽くされ多くの民間人の死者が出ました。そして終戦を迎えた生き残った人々は、進駐軍を受け入れた。占領によってもたらされる平和を受け入れたのです。酷い戦争が終わった事がただただ一番であったのだと思います。
そして日本は国として戦争の総括をしないままに、米国主導の自由民主主義国家としての再建を歩み、米国の安全保障の傘の下で、一時は米国と並ぶ経済大国までに躍進しました。戦後の日本人にとって米国人は戦争で戦った鬼畜米兵というよりも、再建の師であり、また平和を与えてくれる主人の様な存在であったかもしれません。しかし、日本人が経済大国という自信を持ってからは、米国人は友人となり、ライバル、あるいは口うるさい目の上のたんこぶの様な存在に変わっていったのだと思います。
そして同時に、日米で冷静に戦争を検証する作業が行われる様になりました。そこには、日本人が許せない事実もありました。それは日本が戦前に米国の思惑によって孤立化を深めてしまった事や、原爆投下が戦争終結よりも原爆の人体実験であったり、戦後脅威となるソ連への牽制であったりという事実の報告です。
広島や長崎の人々については、戦後しばらくは原爆の直接的な被害から放射能の後遺症、そして風評被害に苦しめられたのではないかと想像します。まだまだ日本人には問題を直視するよりも隠そうとする悪癖が強かったのだと思います。しかし、そんな悪癖も徐々に改善されてきました。現在では、弱者救済や災害などの被害者に寄り添い無報酬で奉仕するボランティア精神が広がってきました。
そして日本人は、様々な思想を持ち、自由に発言する様になりました。
今回のオバマ大統領の広島訪問について、謝罪を求める声も出てきました。しかし、それは米国合衆国として原爆投下は間違いであったと認める事であり、決して米国合衆国政府が認める事はありません。またこの事で、日米の国民が相手に新たな憎しみを募らせたり、亀裂や溝を生じさせては決してならないと思います。

オバマ大統領は、アメリカ合衆国大統領に就任した2009年に訪問したチェコ共和国プラハにおいて、核保有国の大統領として歴史的な核廃絶の演説を行いました。しかし、その後の世界は、非自由民主主義の大国であるロシアや中国の台頭、中東諸国の独裁国家破綻から始まる混迷とテロリズムの躍進、そして自由民主主義国家の中の極端なナショナリズムの台頭が始まり、日米にとっても新たな安全保障上の脅威となってきました。そして核についても、廃絶は進まず拡散の脅威が広がりつつあります。
そんな時節であるからこそ、オバマ大統領の広島訪問は、大変な意義があると思います。人間が起こした数々の戦争の中で、そして戦争で使われた兵器の中でも、最強で最悪な兵器の一つである原爆が実際に使われて大被害を被った二つの都市の一つである広島に、その原爆を使った国の70年後の大統領が訪問して、核廃絶を新に宣言すると共に、世界中の人々に、戦争の人を殺し国を滅ぼす兵器が招く苦痛を知らしめると同時に、平和を作る事の大事さ素晴らしさを発信してもらえるとすれば、それは大変素晴らしい事だと思います。また、そうである事を心から願います。

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