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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年5月25日水曜日

考える人

朝ラジオを聴いていると、パーソナリティの子守康範さんが「オバマ大統領の迎え方」について話をされていました。子守さんは”謝罪はしない”という米国の姿勢に個人的には釈然としないと話した後で、朝日新聞に掲載された塩野七生さんの意見を紹介されました。

イタリア在住の作家塩野七生さんが語られた意見には、じんとくるものがありました。
塩野さんは、謝罪を求めぬ日本を評価すると共に
「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを印象づけることになる」と語り
「『謝罪は求めない』は、『訪れて自分の目で見ることは求めない』ではありません。米国大統領オバマの広島訪問は、アメリカで心を痛めている人たちに、まず、自分たちが抱いていた心の痛みは正当だった、と思わせる効果がある。そうなれば、感受性の豊かな人びとの足も、自然に広島や長崎に向かうようになるでしょう」
そして
「ここイタリアでも、原爆投下の日には、テレビは特別番組を放送します。毎年ですよ。あれから70年が過ぎても、犠牲の大きさに心を痛めている人が少なくないことの証です。心を痛めている人は、アメリカにも多いに違いありません」と語られていました。

現代の私たちは、話すことが大事であり、言葉を尽くすことが誠意という風潮に駆られて、雄弁な人、多弁な人、声高な人に惹かれるようになりました。また、誠意を見せる時も謝罪をする時も、言葉を尽くし、謙虚で低姿勢を貫かなければ許されなくなりました。
それも大切な事かとは思いますが、本当に大事な事は、それが見せ掛けで終わるのでは無く、本心であること、そして実践される事だと思います。

そして、本心を揺さぶるものは、なまじの言葉などでは無く、知ること、見ること、感じることだと思います。
オバマ大統領には、平和記念公園を訪問される時、是非に平和記念資料館を訪れて原爆がもたらした悲劇の遺物をその目で見て感じて欲しいと思うと共に、70年間を掛けて平和な町へと復興を遂げた広島の町と人びとを知って欲しいと思います。
後、今回は叶わぬとも、日本画家丸山夫妻が残された「原爆の図」を是非にその目で見て欲しいと思います。

考える人、という有名なロダン作のブロンズ像がありますね。考える人は、地獄の門の上で熟慮するダンテを描いているといわれます。
原爆投下直後の広島や長崎は、さも地獄の様相であったと思います。オバマ大統領には、その地に立って、是非に70年前の風景に思いを馳せて、熟慮して欲しい、そして本心から核の廃絶と和平を決意し、そのために行動して欲しいと思います。

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