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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2014年10月3日金曜日

小さな恋のものがたり

殺伐な事件や甚大な被害をもたらす自然災害のニュースが多い中で、まるで道ばたに咲いた一輪のタンポポの花を見つけた時のように、ポッと温かみを感じるものに出会いました。
それは、最新刊「小さな恋のものがたり」第43集発売の記事でした。

遠い昔、まだ十代の初め頃、家に一冊ありまして、読んだ記憶があります。
当時は、まるでピンとも来ずにただ眺めただけだと思うのですが、そんな「小さなものがたり」が今も息づいていたことに感動を覚えました。

小柄な女の子チッチの乙女の絵日記、というのでしょうか
恋するノッポのサリーとの何気ない日常が、可愛らしい線画と乙女チックな短いセリフで綴られていたように思います。

この最新刊で、「小さなものがたり」は完結、と書かれていました。連載開始から半世紀が経っていますが、主人公の二人が暮らす世界の時間はとてもゆっくりと流れているのだと思います。今も二人は若くて純な恋人通しのままなのでしょうね、そんな二人にどんなハッピーエンドが訪れるのでしょうか?愛読者でなかった私も気になります。

2014年9月30日火曜日

ぎっくり腰の思い出

先週の土曜日、高砂球場で松陽高校野球部の紅白試合が行われました。夏に引退した三年生部員も参加し、耕太郎などは久し振りの野球を思いっきり楽しんだ様子でした。
私は仕事のため観戦することはできませんでした。が、もう一人観戦できなかった人物がいました。中條さんです。中條さんは同じ三年生部員の父母として、この一年共に楽しく観戦した間柄です。しかし前日の金曜日仕事中にぎっくり腰になってしまったことを、試合観戦に行った妻から聞きました。

夜、中條さんにお見舞いの電話を入れると、明るい声で、四日ほど安静にすれば大丈夫、と話されました。
中條さんは、私より数歳年上ですが、若い時から柔道と野球と自転車で鍛えた体は、今も引き締まり溌剌とされていますので、きっと治りも早いと思います。

私もぎっくり腰は過去何度か経験しました。その痛み、そして治るためには日にち薬しかないことを知っています。
はじめてぎっくり腰の様な症状になったのは十代の終わりです。練り子として秋祭りでヤッサを担いでいました。本宮の夜、本門の前でヤッサを差したのですが、差しきれず私が肩を入れていた側にヤッサが落ちてきました。しかし、外側には真横に灯籠があって逃げられず、内側も練り子が一杯で逃げられず、腰で重みを受ける格好でへたり込みました。グシッと痛みが走りました。すぐに一本松連中がヤッサの下から引っ張り出してくれまして、事なきを得ましたが、それから腰痛やぎっくり腰は持病となりました。

一番酷いぎっくり腰は、二十代の中頃に経験しました。
人生で一番に元気な頃でした。週中は仕事と酒にどっぷり浸かり、週末はがむしゃらにスポーツをしました。運動音痴で、スポーツの素養も知識もないのに、体力だけは有り余っていました。草野球、ゴルフ、テニス、ボウリングを良くやりました。予定がなければ、一人で、もしくは一本松連中のボーさん、タカちゅんと、打ちっ放しに行きました。ある日の事です。いつもの様に、朝一ゴルフの打ちっ放しにいってから、バッテングセンターに行きテニスの打ちっ放しに行き、そしてタカちゅんとボウリングに行きました。そして第一投を投げるべく歩き出しボールを後ろに引いた瞬間、ぎっくり腰になりました。タカちゅんが自宅まで搬送してくれ、それから数日(まるで北脇の獅子のように)ねたねたです。もう三十年前の事ですがあらためてタカちゅんに「ありがとう!」を伝えたいと思います。
三年前から長歩きを楽しむようになってから、長年悩まされてきた腰痛から解放されました。それを続けなければいけないのに、今年は夏に入って軽い気管支炎に悩まされ、すっかり出不精になっています。このままでは腰痛が再発してしまう・・・

今から少し、散歩に出掛けてきます。いってきます!

インターネットが使えなくなりました。

朝起きると、インターネットが使えなくなっていました。そしてパソコンのタスクバーにあるネットワークアイコンは不通を示すアイコンに変わっていました。
とりあえずブロードバンドルーターと光終端装置の電源スイッチを入れ直してみましたが、それでもネットワークは復旧しません。

障害の切り分けをして、ブロードバンドルーターに問題があると判断しましたが、取扱説明書(マニアル)が見つかりません。焦りました、それ以上調べようにも、メーカーに問い合わせようにも、マニアルがないと何もわからないのです。
以前は、コンピュータ関連のマニアルや設定情報などはひとところにしっかりと保管していましたのに、最近はすっかりとずぼらになって、どこにあるのか(あるいはないのかさえ)わかりません。もうエエかと投げ出しそうになりました。

そしてふとスキャナーの上に無造作に積んでいる資料の山に目をやりますと、その一番下に欲していたマニアルがあるのがわかりました。
そして何年か振りにマニアルをめくります。ネットワークの知識などもうすっかり枯れ果ててしまっていますが、感はまだ働いていました。めくったページに復旧するための答を見つけ、ブロードバンドルーターを再設定することで、復旧しました。所要時間は2時間余りでした。機器のハードウエア故障でなかったことが幸いでした。
マニアルと設定情報をひとつの袋にいれて保管しました。でも、次はないかなぁ(もうわからなくなってしまっているだろうなぁ)と思います。

2014年9月25日木曜日

花子とアン、今週が最終週となりましたね。

忙しい朝、もう朝ドラはいいか、と始まりの頃は見なかったのですが・・・
花子さんが甲府に戻り、小学校の先生になった辺りの回を見て、魅了され、それから欠かさず(ある時はビデオで観ました)観ています。

その回というのは、「想像の翼」の回です。
花子さんの教え子である一人の少女が、家の事情で奉公に出る事になり、学校を止めることになりました。その少女は、花子さんの少女のころにとてもよく似ていました。利発で好奇心旺盛で、そしてなにより読書が、物語が大好きだったのです。また家が貧しく、学校に行く余裕などないという家庭事情も似ていました。でも花子さんはおとうの勧めで優れた教育機会を得ることができました。しかしその少女にはそんな機会は与えられなかったのです。
花子さんは、その少女に創作した楽しい物語を語り聞かせ、夢を見ること、創造力を羽ばたかせること、そして希望を持ち続ける事を伝えて送り出します。それは少女への「想像の翼」という大切な贈り物となりました
・・・
という様なお話しであったと思います。
この回を観て、私は映画「二十四の瞳」のある場面を思い出しました。
小豆島で小学校の教師をしている大石先生の教え子の一人の少女が、修学旅行を前にして家の事情で急きょ学校を止め、奉公のため島を出て行ったのです。少女は、大石先生が女学校を出て先生になり、島の分教場ではじめて受け持つことになった12名の一年生の少年少女の一人です。六年近く、共に島の学校で過ごした大切な生徒であったのです。
修学旅行は、船で金比羅詣りでした。この金比羅宮の参道の茶店で偶然にも大石先生は少女と再会しました。少女は大人びた格好で忙しく店で働いていました。短い会話さえ許されず、大石先生は不憫に思いながらも少女と別れ、船に乗り込み港を離れます。少女は店の女将の目を盗み、一人港に走り、先生そして友達の乗る船を涙で見送ります・・・
今、この文面を書いているだけで涙が出るほど、とてもやるせない物語でした。

この「想像の翼」の回で、戦前の時代の緩やかな時間と、その中で繰り広げられる何気なくも新鮮に思える日常風景の暖かさ、そして切なさに魅了され、欠かさず観てきました。

この花子とアンが心地よいのは、
とてもゆったりとした静かな物語であること、そして美しい日本語が使われていることです。
美しい日本語は、上品さを醸しだします。戦時という動乱の時代の最中であっても、品位を崩さない姿勢が、悪しきものに動ぜぬ力となることを教えられた気がします。
そして美輪明宏さんのナレーションが、さらに物語に品位を添えられました。
毎回最後に告げられる「ごきげんよう、さようなら」という一言に、豊かに感情が込められていて、この一言を聞きたくて、見続けていたようにも思います。

妻が子供の頃に読んだという「赤毛のアン」を実家に行った時、探して持ち帰ってきました。箱には少し傷みがありますが、とてもしっかりと製本された美しい本です。
私は「赤毛のアン」は一度も読んだことがありません。
花子とアンで、この「赤毛のアン」が、どの様にして出版に至ったのかを知りました。
「赤毛のアン」、是非妻が持ち帰った本で、物語を楽しみたいと思います。

2014年9月24日水曜日

残酷が世の中を席巻しています

昨日の夜に速報されたニュースは、今朝具体的な事実を明らかにしました。
神戸で起きた事件です。深い憤りが胸を締めつけます。息苦しくなるほどの怒りです。
でも恐怖はありません。決して私たちは恐怖に陥ってはいけない、と思います。
恐怖は反撃を生み、規制を生む、ということを知っているからです。
日本の警察は、幾つかの不祥事が漏れ出て、叩かれることが多くなりましたが、それでも世界一の警察組織であると思います。市民に寄り添い、誠心誠意で働く警察官を私は知っているからです。
今回の事件も、警察は必ず事件を解決してくれると信じます。
そして私たち市民は、もっともっと隣人と助け合い、補い、互いを尊重できる関係を築かなければなりません。そして小さい者、弱き者をみんなで見守らなければいけない、そう思います。

しかし、かくも残酷が世の中を席巻していることが気掛かりでなりません。

2014年9月22日月曜日

54歳になりました。

家族がケーキとお酒を買って、祝ってくれました。
メールを開くと、学生時代の友人から、新人時代の同期から、またFacebookを通じて知り合った友人から、はたまた甥っ子から「おめでとうメール」が届いていました。
何もしてこなかった男ではありますが、
でも家族に恵まれ、友人に恵まれ、感謝の気持ちで一杯です。

家族は私以外誰も酒を飲まないので、今から一人ゆっくりと頂きたいと思います。

2014年9月11日木曜日

先週の土曜日、図書館で久し振りに絵本の朗読をしました。

私の朗読は、パソコンでボイスレスの絵本朗読ビデオを流しながら絵本を読み進めるというスタイルです。
目指しているのは「小さな映画」のような朗読です。
譜面を見ながら歌を歌うように、ボイスレスの朗読ビデオから流れる絵と音楽に調子を合わせて、物語に感情移入した心のままに声を発して物語を読み進めるのです。
ですから練習が必要です。そしてこの数日、しっかり練習して朗読会に挑みました。

それでも小さな観客の前にでると不安を覚えます。
一本が短くても5分、長いと15分くらいになるため、飽きてしまわないか、楽しんでもらえないのではないか、という不安が頭をよぎります。
ですから朗読を始める前に、少し子ども達と会話をします。たわいもない話題から始めて、名前や年齢をたずねます。そして子ども達の関心事をたずねます。子ども達が大きな声で答えてくれたらしめたものです。小さな信頼の芽生えです。そして私は、それを頼りにして朗読を始めます。

今回は、
ずーっとずっと大好きだよ!
そして
急行「北極号」
の二本を朗読しました。

始める前の会話で、ひとりの小さな観客が、メロスという名前の子犬か飼っているという話をしてくれましたので、今回の
ずーっとずっと大好きだよ!は
メロスのはなしとして、お話ししました。

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朗読会を終えた後、いつも子ども達や保護者の方の感想が気になります。
もっともっと上手にお話しができるようになるために、また新しい朗読に(そして朗読ビデオの制作に)チャレンジする意欲を出すためににも、是非感想を聞かせて頂ければと思います。
皆様、宜しくです。