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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2013年5月7日火曜日

映画『アンドリューNDR114』、あるロボットが人間に恋する物語です。


私、SFが大好きです。海外SF小説の巨匠アーサー・C・クラーク、そしてアイザック・アシモフの作品はよく読みました。
このアイザック・アシモフの短編作品を原作とした、とても大好きなSF映画があります。
1999年アメリカ作品『アンドリューNDR114』(原題:The Bicentennial Man)です。
久しぶりにDVDで観ました。

あらすじです・・・
そう遠くない未来、あるNDR114型召使いロボットに創作力とユーモアが宿ります。購入者の家族はこのユニークな特性をもつロボットを好ましく思い、やがては家族とロボットの間に絆が芽生え愛情が育っていきます。
家族から人間というものを学び、自ら人間の歴史を、人間の文明を学びます。
家族から名アンドリューを与えられ、姓マーティンを与えられます。
そして、服を着ることを許され、財産を持つ事を許され、ついには自由な身分を許されます。

彼は潤沢な財産とポジトロン頭脳に蓄積された広大な知識、そして創作力によって、自らの姿を人間に近づけます。
彼は、骨格、筋肉、感覚器官、内蔵を次々とデザインしては、自らを無機物の金属体から有機体に近づけます。そして次に神経組織をデザインし、味覚や快感をも手にします。

彼は人間に近づくにつれ、彼の中に耐えがたい苦しみが募っていきます。 彼の愛するマーティン家の家族がひとり、またひとりと彼を残して死んでいくのです。彼のデザインした人工臓器は、人間に健康と長寿をもたらしますが、不死を与えることはありません。
そして彼はポジトロン頭脳が維持される限り不死身でありました。

彼は、ついに完全なる人間になることを決心します。死の受け入れです。
彼はポジトロン頭脳がじょじょに機能低下を起こし、やがて機能の回復が望めない完全な停止に繋がる処置を自らに施します。

集中治療室、彼は愛する人間の女性と並んでベットに横になっています。
その日は、彼のポジトロン頭脳が、工場で起動を始めてから200年の節目(誕生日)でした。人間社会は、この日、彼をキリスト以後のもっとも長寿となる人間して、また女性との正式な婚姻を、認め祝福します。
年老いた妻は、彼の手を取り微笑みを送ります。ですが、彼はこの喜びを受けとめることなく、息を引き取っていました。
end

アシモフの短編は、米国社会の中で、自分を擁護してくれる家族の愛と、家族以外の人間社会から受ける偏見の間を彷徨いながら、社会に訴え、ひとつひとつ人間らしい権利を勝ち取っていく物語です。70年代初期の作品で、人種差別問題、マイノリティ差別問題に風を吹かせる人権活動家の顔もあったアシモフらしい作品だなぁと感じます。
ですが映画作品は、現代において、人間というものが根源的に有する尊厳について気づかせてくれます。
年老い臨終を迎えた家族たちが、永遠の命を宿すアンドリューに語る言葉です。
-私たち(人間というものは)は、自然の摂理に従い、自然に帰するのだ-
-神の手から生まれ、神のもとに帰す-
そして家族たちは、表情に威厳をたたえながら、死へと旅立ちます。

映画では、原作にはない、マーティン家の末の娘リトル・ミスとアンドリューとの永遠の友情と、そしてリトル・ミスのDNAをそのままコピーしたような孫娘ポーシャとの恋愛が描かれます。
そしてSEXについての行がとても興味深かったです。
まだロボットの身なりのアンドリューに、主人リチャードがSEXについて語ります。
しかし論理的思考のアンドリューには、何千万という一斉に放出された精子の唯一ひとつだけが生き残り卵子と結びついて人間が作られるという話に不条理さを漏らします。
しかし、頭脳だけを残して心も体もすっかり人間と化した後年のアンドリューが、次に快感を授かろうとするとき、リチャードがほんとうにアンドリューに語りたかったSEXの喜び、期待を口にします。
愛する人と一緒に何度も何度も天国に登っていきたい・・・
そばて聞いていたアンドリューの支援者ルパード・バーンズは、その詩的で甘美な表現にすっかり感心します。

最後にトリビアをひとつご紹介。
この映画のサウンドトラックを記したのはジェームス・ホーナーです。ジェームス・ホーナーはタイタニックでアカデミー作品賞を受賞した現代米国の優れた作曲家のひとりでありますが、この映画作品のオープニング楽曲が、ある作品のオープニング楽曲と酷似していることに、気づきました。その映画は、『ビューティフル・マインド』です。この映画のサウンドトラックを記したのもジェームス・ホーナーでした。
機会があれば一度聞き比べて下さい。ほんとうにそっくりです。

2013年5月6日月曜日

今日の散歩はプチ冒険?となりました。


今日は播磨の海岸を巡ってきました。そしてプチ冒険?もしました。
天川に沿って大塩海岸東澪に出、大塩、的形、福泊の海岸線を歩きます。

福泊海岸から小赤壁を望むと、フリークライミングをする一行の姿が見えました。
小赤壁の海岸を歩いて一行に近づき挨拶を交わします。
一行は岡山からで、小赤壁に挑むのは初めてとのことでした。
安全確保のロープに身を預けて、手と足先でルートを探り、慎重に登っていく。
技術と共に、知力と精神力、そして体力と勇気が試されるスポーツだなと感心しました。
彼らを見ていて、思わずお調子者根性が沸沸とわき出しました。
彼らの様に壁面を垂直に登る勇気はありません。もちろん技術も道具もありません。
彼らに別れを告げて海岸を西に歩くすがら、岩場の切れ目に上方に登れそうな箇所を見つけました。そしてこそこそと這いつくばって上へ上へと登ります。途中、開けた箇所があり下を見下ろすと、初めて見る赤壁の美しい風景がありました。
フリークライミングするクライマーを上から見ました。私など、ただ闇雲に上へ上へと登っただけですが、彼らは時間を掛けて慎重に慎重にルートを確保しながら登っていました。

小赤壁の上には展望公園があります。このまま登れば、そこにたどり着くだろうと予測を立てながら岩場の隙間を這い上りますと、峰を東西に貫く小路に出ました。初めて歩く小路です。公園の方向に歩を進めますと、開けた場所でパラグライダーを準備する一行に会いました。そのリーダーとおぼしき年配者としばし会話を楽しみました。
『パラグライダーは、元々登山者が登頂を極めた後、楽に地上に戻る手段として始めたものだけれど、赤壁周辺には安全を確保して着陸する場所がない(今日の砂浜は人出があって着陸できない)ために、ここに(離陸する山頂)着陸しなければならないため、しっかりとした上昇風が流れ込むのも待っている』
ということで、彼らは風を待っていました。
赤壁近くの海上をトンビが漂っています。すると氏曰く
『鳥たちは飛ぶのが巧い。奴らは、楽に飛ぶ為に(羽ばたくことなく)、ああして風を(上昇風)を探している』
『グライダーで飛び立つと、奴らは近づいてきて追い抜いてゆく。そしてちらりと振り向く。仲間と思っているようだ』
氏は鳥人間なんだなぁと感心しました。そこでひとつ質問しました。
沖に向かって飛ぶことができますか?
『陸地付近では、水平方向、そして上昇への風があるから、風を捉えて長く飛ぶことができるが、海上では水平方向の風しかないため、すぐに海に落ちてしまう。沖にはいけない』
と答えてくれました。

峰の小路を東に歩きます。
福泊漁港を見下ろす山頂に静かな公園がありました。しばし公園で一休みして、山を降りますと福泊神社の前にでました。

今日の散歩では、涼風と風光を満喫することが出来ました。
あ~気持ちよかった!

2013年5月4日土曜日

H.D.ソロー著『森の生活』 -孤独を解く-


H.D.ソロー著『森の生活』を読んでいます。この本の【孤独】の章に次の文がありました。
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「自然」のまっただ中で暮らし、自分の五感をしっかりと失わないでいる人間は、ひどく暗い憂鬱症に取り憑かれることなどあり得ない。かつては、健康で汚れのない耳には、どんな嵐も風神アイオロスの音楽のように聞こえたものだった。単純な、勇気のある人間は、何があろうとむやみに低俗な悲哀に打ちのめされたりはしない。四季を友にしているかぎり、私は何があろうと人生を重荷に感じる事はないだろう。
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19世紀のアメリカ東部に生きた思想家H.D.ソローは、地元コンコード市のウォールデン池畔に丸太小屋を建て、二年間自給自足の生活を送ります。その地は数キロ四方に民家がないというだけで、対岸には鉄道の路線が見え、時には近くの村から友人が訪ねてくるという、まったくの文明や人を拒絶した生活ではなかった様子です。
それでも彼は、自然の中で糧を得、思想を深めていきます。森の生活を始めたころ「孤独」に不愉快さを覚えますが、ある時「自然が」-雨だれや、家の回りのすべての音や光景が-とても優しい、情け深い交際仲間であることに気づきに、たちまち筆舌に尽くしがたい無限の懐かしさがこみあげてきた、そして二度と「孤独」に煩わされることはなかったと語っています。その心境が、先の文章に込められているのだと思います。

私は思想家でも旅人でもないですが、ただ長歩き、散歩を楽しむものとして、とても共感を覚えます。私はひとりで歩きます。目的地を決めて歩き始めますが、ルートはその時の気分次第、鳥のさえずりや深緑を浴びるのか、または波音と陽光をいっぱいに浴びるのか、という欲求によってもルートは変わります。ルートは平坦な道ばかりではなく、車が右往左往する幹線道もあれば、岩場、獣道であることもあります。ですから全身がひとつの感覚器官のようになって歩くのです。一歩、歩を進めれば、新しいことに出会う、全身を包む大気が、音が光りが常に心地よい刺激を与え続けてくれるのです。ですから憂鬱に取り憑かれる暇などないのです。

私たちは《人間らしく生きるために》、多くのものを身に纏い、身に背負い、身を繋ぎます。しかし、時にそれが為に、心が重くなり、憂鬱を招いて苦しみます。ソローの様に、すべてを一度に捨て去ることなど出来ないにしても、身軽な装備で、数時間、大気の中を彷徨うことで、心は軽くなります。「自然は私を拘束しない、ただ無償で与え続けてくれる」、ということが実感できるからです。そうして私たちは、心の荷を解き、心を軽くして、また人間世界に戻ればいいのだと思います。

2013年5月3日金曜日

富士に初登頂した人物


おはようございます。
富士山が世界文化遺産に登録される見通しになったというニュースを、喜んでいるひとりであります。この富士山に関するコラムの中で、懐かしい人物の名を読みました。

役ノ小角(えんのこずぬ)

この人物の名は、司馬遼太郎『竜馬がゆく』の文中、竜馬が《人の不死性》についてお竜に語り聴かせる場面に登場し、知りました。
この役ノ小角が、「世界登頂年代記」なるもので富士に初登頂した人と記されているそうです。7世紀のことです。
『3776メートルの富士より高い山はそれこそ山とあるが、これほど高い山に登ったのはこれが世界最初』、しかもこの記録は900年ほども保持されたらしい
と書かれていました。
役ノ小角は、飛鳥時代から奈良時代に実在した人物で、様々な霊場、修行の地を開いた行者、呪術者です。
『竜馬がゆく』で、この人の名を知ったとき、仙人か?と印象深く記憶しましたが、まさに天上をすみかにする仙人であったと確信をした次第です。

あっぱれ富士のお山!
あっぱれ役ノ小角!

2013年4月29日月曜日

風薫る



季節が変わった、そう実感します。
夜、空を見上げると、朧を脱ぎ捨てた月がくっきりと輝き、夜景に光りを注いでいました。
暁、空は濃紺に染まって、東の空に朱に燃えた太陽が昇ってきます。
そして陽光に照らされた地上では、草木が萌え立ち、深い緑が山々を彩ります。
海は穏やかに碧さを讃えています。
風薫る五月の季節の到来です。


昭和の日


今日は”昭和の日”です。
この日にあらためて思います。
私たちの国は、”和の国”です。
平和を願い、調和を良しとし、融和を図れる、
和みを愛する日本人の国だということを思います。

日本列島は全長3000㎞で、大小7000あまりの島々が北東から南西に弓側に連なり、北は寒帯、南は亜熱帯に達します。この種々様々な変化に富んだ自然環境が、各地で気質の異なる人々を育んできました。
災難もありました。
争いもありました。
それでも、神世の昔から続く皇室を頂いて、この安寧な皇室が要石となって、日本人は”和”を継承し続けてきました。

”和”は、波紋の如く、ゆっくりと、でも幾十にも連なって力強く、遠くまで広がります。たとえ障害物があったとしても、それをゆっくりと包み込み、石庭に描かれた文様の如く美しい航跡を残します。

”和”には、忍耐が必要です。ですが、そのもとには五常がなければなりません。
”仁”、”義”、”礼”、”智”、”信”の五常です。
この五常を信条として、私たちは”和”を広げ努めなければならない、そう思います。

2013年4月24日水曜日

ニオイの話


私、最近こそどの感覚器官も機能低下が甚だしく、どんどんと鈍感に成り下がっていますが、昔は結構、聴覚、味覚そして嗅覚が鋭敏でした。

聴覚について、
若かりし頃、健康診断の聴覚検査で、ヘッドフォンの内外を間違って装着して、検査医が送る微音量のシグナルをことごとく当てたことがありました。あれ一体なんだったのだろうと思います。

味覚について、
小さい頃から食べる所作を厳しく躾られました。
『だされたものは、どんなものでも綺麗に残さず食べること』、お茶碗にご飯粒一つでも残したものなら叱られました。物事をあまり深く考えられない、執着できない子供でしたが、いざ食べることに関しては考えました。
《早く綺麗に食べるにはどうするか?》
そしてたどり着いた答は、
《美味しく食べること》
でありました。
ですから、自分では意識はないのですが、子供の頃から食べる姿について
『美味しく食べるね』
『見ていて嬉しくなる』
と必ず言われ、そう言われるのがとても嬉しく、食べるときは、ますます張り切って姿勢を正して食べました。
それが良かったのでしょうか、食わず嫌いが全くなくて、どんな食べ物でも美味しさを導きだすことが出来る様になりました。平たく言えば、味覚が鋭敏になったのです。
今ではそれは、高価な食材、高級料理の信奉ではなく、身近な料理、普段の料理への愛情と感謝の気持ちが成したのだと思っています。

そして嗅覚、
こちらも味覚同様に、食べることが嗅覚の鋭敏さを成したのだと思っています。

さて、ニオイには好ましいニオイ(薫り)もあれば、不快なニオイ(臭い)もあります。
自然なニオイもあれば、人工的なニオイもあります。
最近、頓にテレビコマーシャルで目につくのが消臭剤です。消臭、殺菌がシューッとひとかけで行えるのです。臭いニオイを元から絶つのではなく、人工的なより強い好ましい薫りで臭いニオイを打ち消すのです。ニオイはより複雑となって居座ります。そして私たちはいよいよニオイの元に鈍感となるのです。
時に、私は掃除が苦手です。そして忙しさにかまけて、いよいよ鈍感を装い、ニオイや汚れに見ざるにおわず片付けず、を通します。そしてあまりに酷ければ、シューッで済まします。

古典落語に『蛇含草』という噺があります。その導入部、ある騒々しい男が、落ち着きのある友だちの家を訪ねて、掃除の行き届いたその家の涼しさ、気持ちよさを褒める行があります。その行を何度も聴くにつれ、感心しました。得心しました。涼しさ、心地良さ、そしてたぶん好ましい薫りというのは、すべての感覚器官が好ましいの感じたとき、本物だということをです。
そして一念発起し掃除しました。朝の内、すべての窓を開け放ち、敷物や布団を外に干し、敷居や廊下、階段を拭き掃除してから、掃き掃除に掛かります。最後に庭や玄関前の路を掃除した後、部屋の真ん中で大の字に寝転ぶと、すべての感覚器官が好ましいランプを点灯しました。風の通り道、光の差し込みに埃が揺れることがなく、静寂の中に、ひんやりとした空気、爽やかさが薫る風が流れ込みます。それはまるで山頂の細い峠道を流れる涼風の如くで、本物の好ましい薫りを手に入れた瞬間でした。

本来好ましいニオイが、不快なニオイに変わることもあります。
女性が身に纏う香水、あるときは若さを彩り、清潔さを醸しだし、時には性的な魅惑となるものですが、私はあることから、甘い香水のニオイがまったくダメになりました。
これもずいぶん昔の話ですが、超高層ビルの上階のオフィスで働いていたときのことです。
夏の盛り、一階から乗り込んだエレベーターには、各階のオフィスに向かう社員で鮨詰め状態でした。美しく化粧した女性達もたくさん乗っていました。扉が閉まり、上階への移動には少しばかり時間が掛かります。女性達の好ましい匂いは、閉鎖された空間の中で、混沌となり、汗や体臭も入り乱れて、それは濃密で重く、まるでべとつくほどの甘いニオイへと変貌し、私はそのニオイで息が出来ないくなりました。あれほどの不快に思ったニオイは後にも先にもありませんでした。
元来、香水とは、中世ヨーロッパで、見かけは着飾っても、入浴や決まった場所で排便する習慣のなかった貴族のご婦人が、体臭を消すために身に纏った香り、だということを読んだことがあります。そんな不確かな知識も相まって、甘い香水の匂いは、私にとって不快なニオイとなりました。

最後に、私の好ましい香りは、新緑の香り、そして柑橘類が発する爽やかな香りです。
天気の良い日、野に出でて、香りを楽しみたいと思います。