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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2015年4月17日金曜日

利他主義的な精神科医「Dr.倫太郎」

先日始まったドラマ「Dr.倫太郎」、個性派でかつ演技派の堺雅人さんと蒼井優さんが主演されるドラマということで、始まるのを楽しみにしていました。

どんなドラマなのかといえば、ミステリーでしたね。登場人物はそれぞれが闇を抱えて生きている。伏線も沢山張り巡らされていて、今後の展開や紐解きに興味津々となりました。

キャラクターの造形も深かったですね。
堺さん演ずる日野倫太郎は、彼の代表的なキャラクターの一人である古美門研介と真逆のキャラクターでした。利己主義(エゴイズムegoism)の権化が古美門研介であるならば日野倫太郎はさしずめ利他主義、愛他主義(アルトルイズムaltruism)の権化ではないかと思います。利己主義者は裏を返せばサディストといえるかと思います。また利他主義・愛他主義者はマゾヒストです。
どちらも過ぎれば恐ろしいキャラクターです。
蒼井優さん演じる新橋の売れっ子芸者夢乃は一目見て、龍馬伝で同じく蒼井優さんが演じられた長崎は丸山妓楼の売れっ子芸者お元を思い浮かべました。抗う事が出来ぬ力に翻弄されながら、時には狡猾に振る舞い、でも本心にはただならぬ愛を秘めている。
こちらも、可愛らしくも恐ろしいキャラクターだと思います。


そして今朝の朝日新聞天声人語には、ドラマの今後を予見させる様な事件について書かれていました。
引用させて頂きます。
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付き添いで病院の精神科に何度か行ったことがある。驚いたことに担当の男性医師は患者の顔をほとんど見なかった。パソコンの画面とにらめっこだ。これで患者の状態がわかるのかと不安になった。
通院先を小さな医院に変えることにした。診察ぶりは一転、女性医師は時間をかけて丁寧に患者の反応を見ていた。薬の処方も慎重になった。状態は明らかに改善した。医師によってこれほど対応が違うのかと感じ入った次第だ。
心の中をのぞくことは難しい。精神科医の大野裕さんはうつ病について、その原因や仕組みが完全に解明できているわけではないと語っている。「患者の数だけ治療法があるといってよい」。医師は患者の生まれや育ち、生活の背景まで知る必要があるという。
そんな細心な臨床をこの人たちに期待できるだろうか。川崎市の聖マリアンナ医大病院で重大な不正が発覚した。精神科医11人が、自分では診察していないのに診察したかのように偽った症例リポートを提出していたそうだ。
「精神保健指定医」になるためである。重度の患者を強制的に入院させるかどうかを判定できる重い資格だ。先輩医師のリポートの内容を引き写すことが常態化していたというから驚く。指導医を含む20人の資格が取り消されるのは当然だ。
誤診や失敗をしたことのない名医などこの地上には一人もいなかった。精神科医の故なだいなださんはかつてそう書いた。名医でなくていいから、せめて誠実な医師に診てもらいたい。
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天声人語が触れた、聖マリアンナ医大病院の「精神保健指定医」資格の不正取得は常態化していたと云います。そして不正に関わったとされる医師が強制的に入院させた患者は100名を上回ると云います。
病院側は謝罪の席で、強制入院の判定が妥当だったかどうか、専門家による検証を行いたいと答弁していますが、憤懣やるかたない思いです。
病院が何よりも先に遣らなければならない事は、不正に関わった医師の診断や判定など顧みる事無く、不幸な目に遭った患者や家族全員に誠心誠意の謝罪を行い、かつ一人一人の患者に対して、最善の診療、治療を行う事です。
そして、不正に関わった医師にはもっと重い処分を下すべきであり、また病院にはさらに重い代償を負わさなければならないと思います。そうでもしないとこの様な不正は、いつになっても止むことはありません。


ドラマの主人公であるDr.倫太郎がそうである様に、また天声人語で触れられた患者に向き合う医師がそうである様に、精神科医というものは、患者の心の深部まで入り込んで病の原因を探り、そして患者と二人三脚になって快方を手助けする存在であるのが理想だと思います。ですが、他人の心の深部を探査するという行為はとても危険な行為だと思います。患者の心の闇が余りにも深く大きい時、その闇に取り込まれてしまわないかを心配します。尚且つ医師には守秘義務があります。こうなればミステリーを通り越し、スリラーです。

2015年4月15日水曜日

頑張れ阪神タイガース!

開幕カード、中日との京セラドーム3連戦を三連勝で飾った時には、「今年こそ優勝や!」と期待が膨らみました。でも、その後のカードは全て負け越し、昨日の中日との第二ラウンド初戦でも、好投の岩田投手に援護点を与えられずに降板させて、その後は中継ぎの今年絶好調松田投手に2イニングを投げさせて、最後は代打ナニータにヒットを打たれサヨナラ負けを喫しました。

特に8回表の攻撃にはイライラが爆発しました。
1-2のビハインドで迎えた8回表阪神の攻撃は9番岩田投手の打順からでした。
今年代打で結果を出している狩野選手が登場し、中日先発で好投のバルデス投手からヒットを打って出塁します。終盤にきて、ようやく阪神に勝機が巡ってきました。
そして1番西岡選手の打席の時に、冷静沈着なバルデス投手が一塁牽制悪送球という考えられないミスを犯し、狩野選手は一気に三塁まで進塁します。
中日のリズムが狂い出したこの期に流れを切らずに一気に同点、逆転と怒濤の攻撃を期待しましたが、阪神ベンチは何とタイムを取って三塁走者に代走を送ります。
チャンスを広げた持っている男狩野選手に代えて、俊介選手を代走に送り出します。
何で!?でした。俊介選手が悪いわけではないですが、わざわざタイムを取って、中日バルデス投手に一息つかせる必要があったのか?代えるなら狩野選手がヒットで一塁に出塁した直後だろうと、イライラが募ります。
でも西岡選手が、どうにかして最低でも同点にしてくれていたら、このイライラも少しは緩和したでしょう。でも、制球のよいバルデス投手に追い込まれ、最後は苦し紛れのスイングで内野フライに打ち取られます。イライラが諦めに変わります。
2番大和選手にも代打が送られました。いつしか代打の神様という嫌な称号を贈られた関本選手です。ここで関本選手はヒットを放ち、何とか私は平静を取り戻しましたが、ここでは阪神ベンチ、何の動きも無いままに3番鳥谷選手を送り出します。そして、良い当たりでしたが二塁手正面のゴロでゲッツー、最後のチャンスも活かす事が出来ず、岩田投手に白星の権利を付ける事も出来ないままに、8回表の攻撃が終わりました。

阪神ベンチの行き当たりばったりに見える采配に、また主軸のどうにかして得点を取りに行くという気迫が見えないプレーに、すっかり興ざめを覚えます。

阪神が、どのようにして奈落に落ちたかははっきりと分かります。
繋ぎの役割を担うべき打者が、小技が出来ないという事です。
スクイズを空振りした大和選手。
好機を広げる送りバントができない藤浪投手。
これでは、何時までも点のまま、(打)線にならず、得点は遠のくばかり。
そして主軸は、ヒット狙い、本塁打狙いで、無理をしたバッテングを繰り返すばかりで調子がまったく上がらない。
これでは、勝てないし、見ていても淡泊で、味気ない、面白みが無いのです。

ということは、やはりベンチがしっかりとゲームの呼吸を掴み、まずはしっかりとセオリー通りにゲームを運ぶ事です。攻める時はしっかりと攻め、辛抱する時はしっかりと辛抱する。そして、小技を求められた選手は、一球で小技が決められる様に、もっともっと真剣に勝負する。そして主軸にお膳立てをするのです。楽に得点チャンスを与えるのです。
きっとゴメス、マートンは調子が上がってくる筈です。彼ら外国人選手の方が、厳しいファンの目にさらされています。彼らが調子が上がる様にもっともっとお膳立てをする事が大事です。彼らが本来の調子を取り戻せば、昨年の様な勝負が出来ます。

頑張れ阪神タイガース!諦めず、応援しています・・・・


p.s.
今日も昨日とまったく同じ展開であった様ですね・・・
二夜連続で悔しいサヨナラ負けを喫しました。
悔しい・・・です。

2015年4月13日月曜日

昨日は、統一地方選の投票日でしたね。

我が町は選挙運動の最中とても静かで、投票日前日に、ふと明日は投票日だったと思い立ち、でも投票券が見つからずにオロオロしてしまいました。我が町が無投票当選区であった事、すっかり忘れていました。
今統一地方選の道府県議選総定数のなんと21.9%が無投票で当選したという事です。兵庫県議選も17選挙区が無投票当選でした。我が町はその一つでありました。

隣の町は、選挙が行われるとみえ国道を行き交う選挙カーをよく見かけました。昼間は滅多に渋滞する事など無い道なのですが、前方に車が無くても、信号が青になっても、道行く人の姿が見えなくても、ひたすらノロノロと運転し、「○○が参りました」「○○が手を振っております」「○○を宜しくお願いします」と連呼し続け、後ろで気を揉む自動車の事などお構いなしでありました。
朝一、車が忙しく行き交う交差点の角に立ち、車に向かってひたすら「○○です、お早うございます」を連呼し続ける候補がいました。
夕暮れに、マンション群の真ん中に車を止めて、締め切られた窓に向かって大音量で公約を演説する候補者もいました。
大変だなぁと同情するとともに、見境無いなぁと嫌悪感を感じる事もしばしばでした。

公約、そして志や夢というものは本来、有権者と顔を突き合わせて語り訴えるものだと思います。ほとばしる情熱と誠意、そして自信と真心で直接に語り訴える事で、有権者の心を揺り動かすと同時に、有権者に示した約束の重さ、責任の重さをしっかりと自覚できると思うのです。
有権者は、本音では公約や志や夢というものは、一朝一夕に叶えられるものでは無いという事を理解しています。でも「誠意を持って仕事をする」「責任を持って仕事をする」という約束は、必ず全うできるし、全うしなければ裏切りと捉えます。
ですから、立候補する者、当選して政治家として活動する者は、少なくとも有権者に約束した「誠意」と「責任」を決して違わしてならないし、違わす事は大罪である事を自覚しなければいけません。

最近、政治家は何をしても身分が守られいるとか、大義の前では何をしても構わないとうそぶく者がいますが、それは勝手な解釈です。それは現法の不備や抜け道であるだけで、必ず正されるべきものです。有権者が、国民が本気で怒れば、そういう輩はいずれ失脚を免れず、また重い罰を背負う事になる旨を肝に銘じなければなりません。それほどに権力を持つという事は大きな責任を背負う事なのだと、自覚しなければなりません。

それにしても思います。
無投票で当選出来てしまうポストなんて、本当に必要なのでしょうか?
選挙制度改革で、
無投票選挙区は、対抗馬がいない選挙区は、候補者も有権者も権利と義務を放棄したものと見なし、次回選挙まで欠員扱いとする。
また国政選挙などの比例代表で当選したものは
所属する党を離れれば、無条件で失職する。また、党が解党した場合も失職するとして、
次の選挙まで欠員扱いとする。
それで次回選挙まで、全く不都合がなければ、欠員数を定数から削除する。
定数の適正化が推し進められて、良いのではと思います。

2015年4月11日土曜日

何やら、不穏な情報をキャッチしました。

Facebookを開くと、友だちの書き込みが目に留まりました。

ゲリー・ボーネルという米国の予知者が、「明日、東海大地震が起こる」と予知していたと云うのです。
ゲリー・ボーネルという人物、私は全く知りません。
でも、阪神大震災も9.11同時多発テロも、そして東日本大震災も予知していたと云います。ホントかなぁ~というのが本音ですが、さてさて、明日はどうなるか
やはり若干心配です。

トム・クルーズのベストムービー「ザ・エージェント」について

先日、テレビで映画「ザ・エージェント」が放映されていました。残念ながら見る事ができませんでした。

この「ザ・エージェント」(原題:Jerry Maguire 1996年米国映画)も、私のとてもお気に入りの映画作品です。公開当時、梅田の阪急北野劇場で観ました。ゴージャスな北野劇場の中央、白いシートの掛かった指定席で見た様に記憶しています。
当時人気絶頂のトム・クルーズ主演映画であるというだけで予備知識も無く観ました。

あらすじです
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Jerry Maguireは、プロスポーツ選手を牛耳るエージェント会社のやり手エージェントです。数多くのプロスポーツ選手をクライアントに持ち、彼らを大金に換える術にとても長けていました。
大学を出たてでこのエージェントという仕事を始めた頃は、ファンに愛されるプロスポーツ選手を育てるという夢がありました。でも今は、クライアントをファンではなく大金を出すスポンサーに売り込んで、上前を撥ねることに腐心する毎日です。

でもある日、そんな毎日に疑問を覚えます。
スポンサーの商品ではないプレーヤーカードを差し出してサインを求める少年に、そのカードにはサインができないと断るクライアントの姿を見ます。
また、プレー中に大怪我をした選手の子供から「もうパパを止めて(ゲームに出さないで)」と頼まれても、「(契約があるから)パパは止められない」と冷たく言い放つ自分を見ます。
そして彼は一晩で「このままではプロスポーツは駄目になる、エージェントはもっとクライアントに寄り添って、そしてファンに愛される選手を育てなければならない」とする改革案を書き記し、コピーして、会社の同僚全員に配布しました。
そして彼は・・・首を言い渡され、同僚に有望なクライアントを全て奪われます。

でも一人、彼の考えに共感し、彼と共に会社を辞めて、彼の秘書となって支えてくれる女性が現れます。Dorothy Boydです。彼女はシングルマザーでしたが、以前から彼に密かに恋心を抱いていました。

Jerry Maguireは、有望なクライアントを失い、またとても美人で野心家の恋人とも別れる事になりました。でも彼には、誰も手を出さないクライアントが一人残っていました。Rod Tidwellです。Rodは、テキサスの弱小アメリカンフットボールチームのワイドレシーバーでした。Rodはレシーバーとしての非常に高い才能がありましたが、体が余り大きくないために怪我を避ける消極的なプレーに終始し、またビックマウスであったためにチームからもファンからも扱いにくい選手となっていました。
でも本当のRodは、家族思いで愛情が細やかな、とても気持ちのよい男でした。Rodはフットボール選手としては体が小さく、また黒人であるために損をしていると思い込んでいました。それが消極的なプレーやビックマウスに現れていたのです。

Jerry Maguireは、Rodをファンに愛される一流のプレーヤーに育て上げる決意をして、私財を投げ打って彼のエージェントを引き受けます。でもRodはなかなかJerryに心を開かず、Jerryはその度に誤った選択をしたのではと悩み苦しみます。そんな彼を、Dorothyとその一人子である幼いRay少年が癒やし勇気付けてくれました。
やがてJerryとDorothyは一夜を共にし、そして結婚しました。

JerryとDorothyの献身は、やがてRodと彼の妻Marceeの心を開き、二組のカップルはとても良い友人となりました。
JerryとRodは親友となり、ある日、本音をぶつけ合う事になります。
JerryはRodに
「何故に家族を愛する様に、ファンに向き合わないのか。全力でプレーしないのか。だから君は認められないし、大金が稼げないのだ」とぶつけます。
RodはJerryに
「何故に俺にばかりかまけて、Dorothyと向き合わないのか。」とぶつけます。
Jerryは、結婚したものの、どの様にDorothyと向き合えば良いか分からなかったのです。そしてDorrthyの愛情に応える事が出来ず、彼女を苦しめていました。

Rodは、Jerryの言葉に発憤し、怪我を恐れない積極的なプレーでチームの勝利に貢献しました。そしてチームを二十年ぶりにプレーオフに導きます。
プレーオフのその日、Jerryは記者席で、またMarceeは家族と共に自宅のテレビでRodの活躍を見守ります。ただ、そこにDorothyの姿はありませんでした。Dorothyは、Jerryのために身を引く意志を固めて自宅に引きこもっていたのです。

Rodは、この日も何度も敵チームのタックルの標的となりますが、それでも積極的で献身的なプレーで得点を重ねていきます。そして逆転のタッチダウンを決めた時もタックルを浴び、空中を舞って頭からフィールドに激突しました。
Rodはフィールドに倒れ込んだまま、身じろぎもしません。
Jerryは記者席から飛び出して、Rodの側に駆け寄りました。そして不安になっているだろうMarceeに電話を入れます。
しばらくしてRodは目覚めました。そしてスタジアムに集う何万ものファンやチームメイト達が、固唾を飲んで見守っている事に気付きます。
Rodは起き上がり、ハイテンションでファンに応えます。愛していると応えます。俺はやったと応えます。

試合が終わります。Rodは時の人になりました。大勢の記者がRodを囲み成功者と称えますが、Rodは彼らを押しのけてJerryの元に駆け寄り、固い友情の抱擁を交わします。
そしてJerryは気付きます。この喜びを分かつ相手が側にいない事に気付きます。JerryはDorothyのもとへ駆け出します。

彼女の家のドアを開きます。
戸惑う彼女に、
今日二人の会社は成功への道を歩み始めた。なのに君がいない。
君がいたから、二人でいたから、ここまで来る事が出来た。
君がいなければ、僕はこれからどうすることもできない。
愛している。
と告白します。
彼女は、
あなたが部屋に入って来た時から、分かっていたわ。
と応えます。

Rodは、チームと大型契約を結びます。
Rodは、家族とファンとチームに、そして親友Jerryに感謝の言葉を贈ります。

しばしの休日、JerryとDorothyは息子Rayを真ん中に公園を散歩です。
幸せの風が包みます。

end
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私は、この映画でトム・クルーズはきっとアカデミー主演男優賞を獲得するものと思っていました。でも伝記物の映画「シャイン」で変幻自在の名優ジェフリー・ラッシュにその栄誉をさらわれました。でも間違いなくこの映画は、トム・クルーズのベストムービーだと思っています。

共演者も素晴らしかった。
Dorothyを演じたレニー・ゼルウィガーが、とてもチャーミングでした。彼女はけっして美人ではないけれど、日本人女優蒼井優さんに似て、天然さを醸し出しながらも、時にてきぱきと行動し、時に物事をはっきりと話すという、そのギャップの魅力に引き込まれます。彼女が出演した「コールド・マウンテン」(Cold Mountain 2003)、そして「ミス・ポター」(Miss Potter 2006)も彼女の魅力が全開の作品です。
Rodを演じたキューバ・グッディング・Jrは、類い稀な身体能力とコミカルな演技でこの物語の肝である破天荒なアメリカンフットボール選手を演じきりました。彼の出演した「奇蹟の輝き」(What Dreams May Come 1998)、そして「ザ・ダイバー」(Men of Honor)も絶品です。
そしてRay少年を演じたジョナサン・リプニッキが本当に可愛かった。そして全くの自然体に見える演技で、JerryとDorothyの間に流れる微妙な緊張感を、ユーモアと癒やしで解きほぐし、見ている私たちも笑顔にしてくれました。

最後に、この映画のタイトルについて
その昔、日本語タイトルはオリジナルタイトルよりも映画の本質をよく表した物が多かった様に思います。その最たる作品が、シルヴェスター・スターローンの「ランボー」ではないかと思います。オリジナルタイトルは”First Blood”、でも映画を観たら、ベトナム戦争で心に傷を負った特殊戦コマンドの帰還兵ランボーの物語というのがシックリ来ます。その後今作品はシリーズ化され、シリーズタイトルは”Rambo”となりました。
そして今作品です。オリジナルタイトルは”Jerry Maguire”、でも日本語タイトルは「ザ・エージェント」と改題されました。当時はまた、日本に馴染みの薄い主人公の職業をタイトルにしたと思いますが、エージェントはスパイという意味もありますね(英語には弱い私ですが、映画には強いのです)。なにやらタイトルに深みを持たしすぎたのではと思います。この映画を観れば、Jerry Maguireという人物の物語、というのがピッタリ合ってることが分かります。

2015年4月10日金曜日

大手前通り観光改造計画

3月27日(金)、姫路城は5年にわたる平成の大修理を終えグランドオープンしました。
でも、めでたい行事に水を差す醜聞も聞こえてきます。

ある単身の旅行者が、急きょ姫路で一泊しようとホテルを探し、ようやく一軒のホテルに部屋が確保できしました。
けれどフロントで言われた言葉に耳を疑います。
フロントマンが示した部屋は普段ならば5~6千円のシングルルームでしたが、当日は宿泊費として二万円近くを提示されました。その上、その部屋は空調が壊れていると平然と説明がありました。
旅行者は呆れたものの、仕方なく宿泊し、でも二度と姫路では泊まらないと強く思ったそうです。

以前から、姫路はお城しか観光が無いというのが通説で、旅行者は山陽路の観光地を巡りながら、宿泊は観光や宿泊施設が充実している神戸や大阪か、はたまた岡山の温泉郷を利用するというのが一般的である様に思います。
姫路には泊まる場所が無いわけではないですが、旅行者には素通りされる。そんな風潮が宿泊業者からやる気を削いで、しかも少ないイベントに便乗して宿泊料金を値上げし、大切な一見の客に悪い印象を与えてしまう。これでは益々姫路は素通りされてしまいます。

姫路の市街地は、この十年で見違えるほどに町並みが変わりました。
JR姫路駅周辺は再開発事業でどんどんと整備され、新しく東西の道路が出来て、その側には新しい商業ビルがどんどんと立ち並びます。JR姫路駅から姫路城の大手前に通じる大手前通り(通称50メートル道路)は車線が減少し、歩道の幅が拡張されて、歩行者に優しい街作りも進んでいる様子です。

けれども、市街地の観光は姫路城しかないというは変わりません。十二所線から北の大手前通りの両翼の景色は、昔のままで寂れた町並みが続きます。
旅行者の足として、城周辺観光ループバスが走っています。一日乗車券を利用すれば、JR姫路駅と姫路城周辺に集中する観光施設までの間の約1㎞を、歩く必要もありません。
益々、間が取り残されている様に感じます。

大手前通りは、1955年に完成しました。当時は、こんなバカ広い道路と揶揄されたそうですが、現在ではこの広い道路があるお陰で、姫路城が新幹線姫路駅からも真北に美しく眺める事が出来、姫路城のPRに大変役立っています。
しかし、姫路城のPRには役立ったとしても、姫路市街の観光資源にはなり得ていないのが実情だと思います。

そこで、大手前通り観光改造計画のお披露目です。
先にも述べた通り、姫路駅周辺は再開発の真っ只中で、改造計画は空論でしかありませんが、あえて夢を語ろうと思います。

大手前通り全体をお祭り広場にするのです。
自動車やバスを閉め出して、歩行者専用のお祭り広場にするのです。

広場の中程に、ヤッサや獅子舞の常設練り場を設け、毎日時間を決めてヤッサや獅子舞でお祭り広場を盛り上げるのです。露店を常設し、祭りの幟旗をはためかせ、提灯で飾るのです。大太鼓を打ち鳴らし、笛で祭り囃子を奏でるのです。
日本でも指折りの播州の秋祭りが、ここに来れば、いつでも楽しめる。そんな最高にクールなお祭り広場にするのです。

また両側の建物は、現在大手前家老屋敷跡公園にある土産物の建物と同様に、瓦屋根と白壁に統一するのです。高さも統一できれば尚良いです。一階には土産物屋、食事処、休憩所、案内所、ギャラリーなどを配置して、二階より上は宿屋や食事処、芝居や漫才落語などの劇場を配置します。
夜にはヤッサや獅子舞を練り上げて、宿泊客に祭りの絶景を提供するのです。
姫路だけでなく播州一円の祭り関係者が協力し合って、このお祭り広場を盛り上げるのです。

そしてあと一つ、
お祭り広場を縦走する交通機関として、LRT(次世代型路面電車システム)を導入するのです。観光客の足として、無料で運行するのです。JR姫路駅から再開発地域を通り、お祭り広場を通り、大手前から姫路城周辺をぐるりと回ります。美術館、図書館、城郭研究センター、シロトピア記念公園、文学館、千姫神社、好古園を巡るショートコースもいいでしょう。また、競馬場から增位山随願寺、広峰神社の麓を巡るロングコースもあれば尚良いと思います。

姫路城の次の100年が、世界中のどんなテーマパークよりも華やかで優れた「城と祭り」のシティパークとなったらどんなに素晴らしいでしょう・・・そう夢想してしまう私です。

子供を持つ親の監督責任を問う裁判の判決が、昨日最高裁判所で出ました。

11年前の出来事です。放課後、学校の運動場でサッカーをして遊んでいた子供たちのひとりが蹴ったボールが、フェンスを越えて学校外の道に出てしまった。
そこに、高齢の男性がバイクを運転して通りかかり、道に転がっているボールを避けようとして転倒し足を骨折した。
その男性は入院し、その後に認知症と診断され、1年後に亡くなった。
という事故で、
3年後、被害者遺族が親の監督責任を問い、高額な賠償金請求の裁判を起こし、一審二審では親が監督責任を怠ったとして裁判所から高額の賠償金支払いを命じられた。
そして本件は、最高裁まで争われることとなった。賠償に相当する事故か、また親の監督責任が認められる事故か、それが争点であった。
そして昨日、最高裁は、どちらも認められないとして、遺族側からの請求を棄却した。


一昨日、この事件の事を知りました。11年前の出来事ですから、当時のニュースを見ていたとしても全く覚えてはいません。被害者遺族にとって、また加害者とされた少年や家族にとって、とても辛く長い11年であったと思います。そして加害者とされた少年の父親が判決後に出されたコメントで、「我々の苦悩が終わる事はない」と吐露された言葉に言いようのない痛みが凝縮されていた様に思います。

今事故のこれまでの裁判を振り返り、ニュースでは、被害者とされた少年や家族にすべての責任を負わすというのは如何なものであったかという論調とともに、学校にこそ責任があるのではないかという論調が多く見受けられました。
でも私はそうは思えないのです。

一言で言えば、今事故は、誰かが責任を負わされるべきものでは無く、全くの不慮の外の事故ではないかと思うのです。
学校の運動場の中で少年が蹴ったボールが不幸にも学校の外に出てしまった。そのボールを避けようとして不幸にも男性が転倒し骨折をした。
少年やその親にあるとするならば道義的な責任です。少年は、事故があった直後、一人警官に囲まれて泣きじゃくっていたといいます。この時点で、少年は深い道義的責任を感じていたのではと推察します。また親も損害保険等を使って事故対応に当たられようとしていたといいます。私の感覚では、十分な道義的責任を果たされようとされていたのではないかと思うのです。
その後に何があって、物事がこじれて、裁判することになったか、という経緯は分かりません。無責任な事は言えません。ですが今事故は、不幸な偶然が重なった誰の所為でもない事故と思えて仕方がないのです。

では、学校の責任でしょうか?これにも疑問符を覚えます。
学校は放課後、子供たちの安全な遊び場として運動場を開放していたのだと思います。当然ながら、子供たちが危険な遊びや故意に器物を損壊したり、またふざけが過ぎることについては、防止しなければなりません。でもそれは、普段の教育の中で十分に行われていた筈です。ですから、子供たちは安全に自由にのびのびと遊びに興じられるのだと思います。でも、それでも事故はやっぱり発生します。その場合も、やはり道義で計り、公正に責任を分担しなくてはならないと思います。怪我をした者、させた者、どちらにも責任があると思います。学校に必要な事は、何か事が発生した場合に、すぐに対応できる体制を準備しておく事だけだと思います。今事故では、ゴールポストの設置場所が問題では?と問題提起する声がありますが、それも”?”です。どうしても誰かをスケープゴートしなければ収まらない現代の風潮に”?”です。

今事故を教訓とし、次の3点を議論すべきではと思います。
一つは、子供に過度な負担を背負わさないという事です。
今事故では、全くの偶然による不幸の連鎖で、少年は「人に怪我を負わせ」、また「人を死に至らしめた」という重荷を一生背負わされる事になりました。それは、親とか先生とかという範疇で守れる話などでは到底無く、社会全体で子供を守るという切実な合意が必要です。

二つめは、被害者となった側のやり場の無い憤りを、暴発させないという事です。
人と人との繋がりが、もっと情に溢れ、好意的であるならば、他人の不幸や憤りを察して、訪ねて、話を聞き、共感し、慰め、癒やし、また道義に照らし合わせて諭す事もできると思います。私の悪意かもしれませんが、どうも弁護士という者は、私の求める人物では無い様に思います。ドライで打算的で好戦的な種族は、この様な場に必要ではありません。

そして三つめは、子供が安全に安心して遊べる広場を沢山作るという事です。
今事故で、万一学校に責任があると認められれば、もう学校は子供たちの物では無くなります。学校は、事故を起こさない事が至上命令となって、一から十まで規則詰めとなり、学校から子供の自由が奪われる事でしょう。
野球がしたければ野球スクールへ、サッカーがしたければサッカースクールへ、という具合に全て専門家の管理化でしか物事ができなくなるに違いなく、スクールに通うお金がなければ、家でじっとするしかありません。そんな管理社会、閉塞社会には虫唾が走ります。
子供たちは、自らの創意工夫で遊びを発展させます。その過程で様々な事柄を学び、社会で生きていく知恵や技量を身に着けます。子供たちにそんな経験ができる場所を、安全に安心して遊べる広場を作り、提供する事こそ大事です。
今事故のケースならば、学校の回りを高いフェンスで囲むという方法が取り沙汰されていますが、さらに学校外を巻き込んで、学校が活動中は周辺道路から自動車はもとよりバイクも自転車も閉め出して、子供たちの安全で安心なスペースを拡大するという議論があってもいいのではと思います。
それが本来、情と能を併せ持つ大人、政に身を置く者が、取り組むべき課題なのではないかと思います。