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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2012年11月29日木曜日

今朝、ちょっとしたミステリーがありました。


今朝、ちょっとしたミステリーがありました。
母が、「朝から歯医者の予約があるので車で送って欲しい」と言います。
今日は仕事日なので、歯医者まで送るけど迎えにいかれへんから、帰りはタクシーでも呼んで帰ってくる様話しました。
そして仕事に出かける時間が近づき、車の鍵の置き場所に鍵を取りに行きました。でもありません。あれっ?と思いました。
妻に「鍵は?」と尋ねますと、
「昨日はお父さんが車を使ったでしょ」と言われました。
それで、慌てて昨日着ていた服を探して、ポケットの中を見ましたが鍵はありません。部屋の中も探しましたが鍵は見つかりませんでした。昨日も母を乗せて病院に行き、薬局に行き、スーパーに買い物に行き・・・、でも家に帰ってからの、その後の行動がまったく思い出せないのです。
鍵もなく、記憶も無い、あれっ、俺大丈夫か?と不安になりました。
妻に「鍵持ってへん?」ともう一度尋ねますと、
「私は昨日使っていない」ときつく言われてしまいました。
いよいよタイムリミットが近づいてきました。
トイレに入りました。便座に座り、もう一度昨日の行動を思い返してみました。
母を乗せ病院に行き、薬局、そしてスーパーに立ち寄って、家に戻り・・・、そして私は机に向かっていました。はたっ、気づきました。母を病院に連れて行ったのは一昨日でした。そして昨日は一歩も外に出ずに机に向かっていたのでした。
そしてもう一度妻に「一昨日夕方車使わんかった?」と尋ねますと、
「使った」と言います。
「お母さんのカバンに鍵入ってへん?」と尋ねますと、
「あった」、と返事がありました。
内心『あんたが忘れてるやないの、しっかりせえ!』と思いましたが、朝から口喧嘩するのもなんなんで、
「あったか、ほな貸して~」と言って借りました。
朝忙しい最中のおおぼけミステリーは、ようやく謎が解けたのでした。

今回のミステリーの謎解きには、実は先日読んだミステリー小説が大いに役立ちました。そのミステリー小説は、東川篤哉さんの烏賊川シリーズ第3弾『交換殺人には向かない夜』です。
今回も、さくらが読み終えた後、机にほったらかしにしていた本を拾って読みました。
東川さんが紡ぎ出すミステリーは『抱腹絶倒の本格ミステリー』と言われますが、これまで手にした小説は、抱腹絶倒:本格ミステリー=8:2の割合で楽しみ、思いっきり笑った読後は、大笑いした記憶しか残らないという有様でした。
でも今回の『交換殺人には向かない夜』に仕込まれたトリックには感嘆しました。タイトルにも使われている『交換殺人』が三次元のトリックとするならば、さらに深淵な四次元のトリックが仕込まれていて、それに気づいた時には、いや参った、と思いました。本当に鮮やかでユーモアたっぷりの本格ミステリー小説でした。

すでに出版されて何年も経つ小説ですが、あえてキャッチコピーをつけますと
『あれ、ひとり少ない・・・あれれれ、ひとり多い・・・ミステリー』
まだ読まれていなければ、是非とお薦めする一品です。

2012年11月28日水曜日

冬の夜空です。


おはようございます。
5時前新聞を取りに外に出ますと、西北西の夜空の低い位置でまんまるい月が輝いていました。星々の光も鮮やかに輝いていました。冬の夜空です。澄み渡っていました。そしてとても冷たい冷気が世界を支配していました。
いつもなら夜空に向かって長々と、願い事や感謝の気持ちを話すのですが、今日は一言『ありがとう』とだけ言って家の中に引き込みました。

2012年11月26日月曜日

”太陽の下でも読書、月明かりの下でも読書”しなければいけないの?ネェKindleくん


紙の新聞に、Kindle(Amazonの電子書籍リーダー)の広告が大きく掲載されていました。

”太陽の下でも読書、月明かりの下でも読書”

ペーパーホワイトのマットなスクリーンと、高解像度、高コントラストの文字表現で、野外でも光の反射を気にせずに読書を楽しめ、また、フロントライト技術(下からライトが照りつけるのではなく、上からスクリーンを照らす)と均等な明るさによって、目の疲れを抑えて、また周囲に気兼ねすることなく夜でも読書を楽しめる。何より省電力で、内蔵バッテリーで約8週間も使用し続けることができる。うん、なかなかの代物だ、と思いました。

そして一押しの技術”独自のフロントライト技術”が図式で解説してありました。
上から、ライトガイド→タッチスクリーン→PAPERWHITEディスプレイの三層構造です。でもふと思いました。それならいっその事、PAPERWHITEディスプレイを透明の液晶ディスプレイに置き換えて文字だけを浮かび上がらせ、第四層に紙を配置すればよいではないか。さすれば、紙の書物と同じになるではないか、と。そして、暗がりでは文字など読まず寝ることだ。だからライトなど無くてよいではないか、と。さすれば、もっと構造が簡素化されてバッテリーの持ちはさらに長くなるではないか、と思いました。

昔は、何か新しい代物がでると、すぐに買っていました。ですからKindleにも興味はあります。手にとって触ってみたい。使ってみたいとも思います。
それでもきっと、それは一過性に過ぎず、すぐに飽きてしまうと思います。紙の本に優ることがないからです。紙の本は、落としても壊れないし、踏んづけても壊れない。破れてもセロテープで貼り付ければよいし、破れて欠けても、読み続けることができます。傷みは味となっていくのです。そして時には枕にもなるし、非常時には焚き物となってくれます。

おはようございます。


おはようございます。
昨日は天気が良かったですね。空からは燦燦と陽光が振り落ちて、風もなく、ホント小春日和でした。私は仕事でしたが、休憩時、ショッピングセンターの駐車場の上に大きく開く空を見上げて、その心地よさをしばし味わいました。
次男耕太郎は、この秋最後となる練習試合で汗を流した様子でした。帰って顔を合わすと、疲れと気持ちよさがないまぜになった表情を浮かべて音楽を聴いていました。
GReeeeNの曲でした。

そして今日は、天気予報通りのなかなかの雨降りですね。でも夜半からの雨降りのおかげで気温が余り下がっていないので、躊躇なく起きることができました。
今日はゆっくりとして、明日はどこかに散歩でも出かけられたらと思っています。

2012年11月24日土曜日

北脇子ども会野球部の試合を観戦しました。


昨日の朝です。店に入ろうとした時、馴染みの子供たちが自転車に乗ってやってきました。
そして「今日はハルトも一緒や」と教えてくれました。見るとハルト君が一人駈けてきます。家からここまで走ってきたん?と尋ねると「ハイ!」と応えてくれました。
そして明日(つまり今日です)、小学校最後の大会があります、と教えてくれました。

そして今日です。
今日は、鹿島中学校野球部は加西球場で8:30から試合です。でもまだ酔っ払い状態でしたので観戦には行けませんでした。
酔いがだいぶんと治まった10時前、北浜小学校にソニー生命杯(学童少年野球大会)を観に行きました。1試合目は阿弥陀東が戦っていました。久しぶりに不断さんと会いました。試合が終わった後一度家に戻り、11時過ぎに再び学校に行くと、北脇子ども会野球部が試合の準備をしています。ハルト君がいました。”10”のキャプテン番号を背負っています。そして、耕太郎が6年生時、ハルト君とともに最年少コンビで可愛らしかったショウタ君が”1”のエース番号を背負っていました。他の子供たちもなかなかの若武者でした。
曽根西との試合が始まりました。先攻は曽根西です。
ショウタ君はなかなかの速球で無難な立ち上がり、1回を0点に抑えます。
その裏の北脇の攻撃は鮮やかでした。
1番SSのハルト君がレフト前ヒットで出塁し、すかさず二盗三盗を決め、次打者の内野ゴロの間にホームを駆け抜けました。3回裏も四球で出塁した走者を三塁まで進め、エラーやヒットで2点を加点し、3-0とセーフティリード。
しかしここから曽根西の猛追が始まりました。4回表、ショウタ君の球を見極め次々に四球を選び、満塁。そして押し出しとヒットで2点を返すと、5回表にも1点を入れて同点となりました。
最終回となった5回裏、二死からハルト君がヒットで出塁しました。そして二盗し、さらにチャンスを広げようと三盗を試みましたがあえなく刺殺となりゲームセット。試合は引き分けで終わりました。

チーム 123 45
曽根西 000 21
北脇子 102 00

低温で、また冷たい風が時折吹き抜けるグラウンドでしたが、少年達の歓声(そして父母の応援)がとても熱かったです。北脇子ども会野球部の4名の6年生は、明日からAリーグチームに参加すると聞きました。監督は熱血漢の松井さんです。彼らがこれからどんな野球選手に成長していくのか楽しみになってきました。

昨日、旨い酒呑みました。


またやってしまいました。ふっと気づくとコタツに足を入れて大の字に寝ていました。
明け方でしたが、それでも目が開けられません、まだまだ酔いの真っ只中でありました。

昨夜は、仕事を終えた後、イチャサン宅にお邪魔して旨い酒をしこたま頂きました。
午後7時前、まずはワインで乾杯、そして奥方が運んでくれた熱燗としゃぶしゃぶ鍋を頂きました。いつもながらの旨い酒と肴に舌鼓をうちながら饒舌になって語りました。

友にもいろいろな型があります。
心の軽やかさで、皆を導いてくれる者
まるで鏡の様に、こちらの心を映す者
そして
どうと云うわけではないけれど、心を軽くしてくれる者
です。イチャサンは、そういう者を”輩(やから)”と呼び、そして『お前は輩や』と言ってくれます。

イチャサンはなかなかの愛妻家であります。一昨日の夫婦に日に、奥方が嗜むワインを買って夫婦で飲んだと話してくれました。私など寝転んでテレビを観ていて、さくらに『お父さん、今日は夫婦の日やで』と言われたものの、あ・そう、と素っ気なく済ませてしまいました。妻にイチャサンのこんな話をしたら、さぞや羨むだろうなと、ちょっと心が痛みました。

話はどんどんと展開して、否、あっちやこっちにどんどん飛んで、そして不可解にもこんな話になりました。
イチャサンが、
人が夢を見ると書いて”儚い”
私もそれに呼応して、ハムレットの一説から
”人は死してどんな夢を見るのか”
人にはいろんな生き方がある。そしていつか死ぬ。その死が、夢をもたらすならば、最高に望む夢を見たいし、描きたい。そのためにも、今をしっかり生きないといかんなぁ、なんていう話をしていました。

おばちゃんが部屋に入って来てくれて、話をしました。そして朗読を聞いてもらいました。目をつむってうんうんと頷きながら聞いてくれるその姿が、とてもあったかかったです。

ワイン、熱燗、どぶろく、そして焼酎と続き、イチャサンが娘アスカちゃんのパソコンがどうのこうのと言っていたので、訪問時見てみようと思っていましたが、すっかり出来上がってしまい、それどころではありませんでした。そしていとまごいし、イチャサンが辻まで送ってくれ、そこで別れました。夜空の眺めが最後の記憶となりました。

2012年11月22日木曜日

突然ですが、西脇の話をします。


今日の新聞の地方欄【姫路】に、
『西脇市出身脚本家・池田政之さん作 (西脇ロケドラマ)来月3日放送』
という記事がありました。

池田政之さんは、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」などで知られる脚本家だそうで、昨年、西脇市から文化賞を贈られたその古里への恩返しとして、今回のドラマの脚本を仕上げられたと書かれていました。
ドラマのタイトルは、「さすらいのプラチナワゴン~歌手・美波丈太朗」で、主演として里見浩太朗さん、その娘役として中越典子さんが出演されています。
12月3日の午後9時から毎日放送で放映されます。

西脇市は、昔は繊維の町(播州織り)として有名でしたが、昨今では、スポーツ施設やレクリエーション施設が充実して北播磨の素晴らしい行楽地となっています。
また、播州ラーメンがご当地グルメとなっています。少し甘め、でもとても旨みのあるスープとゴテゴテしない具材が盛りつけられたラーメンは、そう昔ながらの中華そばという雰囲気がピッタリで、何杯でもいけてしまうラーメンなのです。
私は二十代の頃、西脇市にある西脇大橋ラーメンの開店に偶然立ち寄り、その美味しいラーメンを食しました。実を言うと、イチャサンの車に乗って、当時から有名だった中華そば大橋を探しに北播磨を目指したのですが、まぁ準備も何もない。地図もない。当てずっぽうに、あっちやこっちやと指示を出し、道に迷い、気がつけばすっかり陽が落ちていました。そして目にした提灯に”大橋らーめん”と書かれているのを見つけて、その開店間もない店に入ったのです。

一番最近西脇を訪れたのは、11月4日です。秋季東播・淡路地区親善野球大会の準決勝・決勝を観戦する為、黒田庄ふれあいスタジアムに出かけました。
早朝から妻と二人で、車に乗って(私が運転して)目指しました。私は一度、黒田庄ふれあいスタジアムにいったことがあるのです。それで、まかしとけ、とばかりに記憶を頼りに車を走らせました。黒田庄は西脇よりさらに北、加古川の上流の町です。西脇市街に入り一度川から離れました。そして川を探して、さらに北を目指したのです。あれ、なんか川幅が細ないか?なんて思いながらも北を目指して走りました。道路標識を見ると多可町と書いています。まぁエエかと思いそのまま車を走らせていて、ふと気づいたのです。昔、大阪で働いていた時、先輩を実家に送り届けたことがありました。そこは中町でした。私はまた中町まで来てしまったのです。でも、道を戻るのが嫌で、たまたま通りかかられたおばちゃんに、山越えする道がないが尋ねました。そしたらトンネルがあって黒田庄に抜けられると教えてもらい、無事スタジアムに到着することができました。

初めて家族で、この西脇を訪れたのはずいぶん昔です。さくらがまだ一歳くらいと時でした。日本へそ公園を訪問しました。へそ公園にはとても長い滑り台がありまして、私はさくらを膝の上に載せてすべりました。でも余りにスピードつき過ぎて、着地した瞬間に勢いよく空中一回転してしまいました。でもさくらも私も無傷でした。
当時は、家族新聞なるものを作っていました。その一紙を紹介します。
19960320西脇ぶらり旅