大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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パンデミックと戦うことを考える
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...
2012年8月6日月曜日
真夏の夜の夢~ロンドンオリンピック100m決勝~
早朝、そしてロンドンでは真夏の夜
ロンドンオリンピック100m決勝を見ました。
堅強な偉丈夫達の中でも首一つ抜きん出ているボルト選手は、やはり桁違いでした。
まるでサラブレッドの様に、筋肉が躍動するそのフォームは力強く優雅さがありました。
そしてオリンピックレコードで連覇を果たしました。
2012年8月5日日曜日
少々夏バテ気味なのです。。。
おはようございます。
朝起きると、朝日の長く赤く強い光が町を貫いていました。
光とともに少々強めの東風も町を貫いてゆきました。
空は真っ青です。西の空に透明な月がありました。
金曜日、健康診断を受けに行き、諸処の検査の後、医師から
「どこもかしこも健康です」なるような言葉を頂きました。
喜んで、午後長歩きを楽しみました。
12時過ぎに家を出て、
浜国を八家まで歩き、
小赤壁→福泊→八家→大塩、と海岸線を東に歩き
天川を渡って、合宿中の松陽高野球部の様子をのぞきに行き
すき屋でニンニク牛丼を食した後、
中筋から再び天川を渡って
牛谷→馬坂→北浜一本松ハイキングコースを巡って
6時前に自宅に帰り着きました。
心地の良い長歩きでしたが、その後のクールダウンを失敗したようです。
これまでは風呂に入って汗を流し、風呂上がりさっと涼風を頂いて
その後はまた外気温に身を置いて、水分補給しながらじっくりと体のほぐれを待ちました。
しかしこの日は、長く冷房に身を置いたのです。
当然ながら、気持ちも肌もさらさらになってとても気持ちよかったですが、
疲労した足の疲れは、翌日になっても取れませんでした。
昨日は、夕涼みがてらTom'sのナイターゲームを観戦するのを楽しみにしていたのですが
仕事から帰っても足の疲れ、しびれは収まらず、外出せずに寝ることにしました。
そして今ですが、
まだ足の疲れは完全には取れていません。快適さの代償はなかなか厳しいものとなりました。
2012年8月4日土曜日
蚊に感謝です、なでしこジャパンの勝利見ました。(*^_^*)
蚊に感謝です!
蚊に何カ所も咬まれてやむなく起きました。時計を見ると二時半頃でした。
あっ、なでしこ戦っている、っと思い立ちテレビをつけました。
後半です、そして一点リード、やったーと思いきや、攻められ続けています。
日本の陣地でボールを支配しているのはブラジル、そして矢継ぎ早にシュートが飛んできます。日本は懸命に堪えています。そしてゴールキックを放ってもブラジル陣地に届く前にボールを奪われてしまいます。
まだ時間だいぶんあるやんと心配しかけていたところ、カウンターから左ラインでボールを受けた大儀見選手が、中央に走り込む大野選手に絶妙のロングパス、ゴール手前でブラジルディフェンスを一人抜いた大野選手は左足でシュート、ドライブ掛かったボールはゴール左に吸い込まれました。決定的な二点目でした。
その後も、ブラジルの猛攻は続きます。日本は耐え続けます。
試合後、解説者が話をしていましたが、ブラジルは個人技で攻め続け、日本は組織で耐えるという構図でした。やがて時間が押してブラジルの個人技は精度を失い、そして主審の笛が鳴り響き、日本が勝利しました。
やったー!です。
そして蚊に感謝です!
2012年8月3日金曜日
本当の『未来への責任』
町歩きをしていますとさまざま情報が目に留まります。
そして最近特に気に障るのが国会議員のポスターに添えられた文句です。
民主党議員も自民党議員も、顔写真に添えられている文句が
『未来への責任』
なのです。
『未来への責任』
とてもシンボリックな物言いです。
国会議員には自惚れのなにものでもない、心地よいアドバルーンなのかもしれません。
『未来への責任』というならば、
これまでご自分がやって来た(もしくは何もやって来なかった)事柄の責任にまず清く向き合ってほしいと思います。
国会議員それぞれは、公約を唱え選挙を経て、公約を実現する責務を与えられました。
血税を報酬とした大いなる仕事が与えられたのです。
仕事には、明示的なPDCAサイクルが必要です。そして雇い主への報告・連絡・相談の義務も発生します。
そして、何より期日には成果を示さなければなりません。
それができなければ、その責任を清くとらなければなりません。
その清い行動こそが、『未来への責任』の第一歩だと思います。
そして彼らに仕事を与えた私達国民も『未来への責任』を果たさなければなりません。
自分ができないから、不誠実さに寛容になるのは、無責任のなにものでもありません。
たとえ自分ができなくとも、不誠実さは厳しく咎め、誠実さにこそ寛容になるという責務を果たさなければなりません。
ある国会議員のホームページに『未来への責任』というタイトルの記事がありました。
そのシンボリックな記事を読むと
現在の政治の混乱は与党の体たらくと、ある大物国会議員の不誠実さが原因であるとして、国政運営の障害とならないようにしかるべき行動をなすべきだろうと締めくくられ、それが『未来への責任』だと述べられていました。
あまりに評論的で、自らの意思や行動はまったく書かれていませんでした。
現在の政治屋が言う
『未来への責任』はこの程度のものかという、げんなり感を覚えました。
『未来への責任』というキャッチコピーはいつ頃から使われ出したのでしょうか?
日本おいては、3.11の大地震が招いた未曾有の破壊と、そして原子力の安全神話が崩れたことが発端であるとは思います。
世界に目を向ければ、2009年イタリア・ラクイラで開催されたG8サミットの宣言文のタイトルが
『持続可能な未来に向けた責任あるリーダーシップ』でした。
その宣言文では特に、
『持続可能な成長』という文言が目に付きました。
『もしも地球が100人の村だったら』というある事柄を示唆した文書があります。
人種、経済状態、政治体制、宗教などの差異に関する比率を描いた文書ですが、もう一つ、『世界は有限である』ことを示唆する文書であるとも思います。
この地球にあるものはすべて有限、という事柄に私達はもっと正直にならなければなりません。資源や食料だけでなく、経済活動に必要な消費も雇用もそうです、有限です。いや実際は縮小しているかもしれません。
『持続可能な成長』という文句も、とても心地よいアドバルーンです。
しかし、『持続可能な成長』というキャッチフレーズは支配者の押しつけであり、搾取者の大義名分でしかないことに気がつかなければなりません。
有限なる地球に正直に向き合って、すべての人々がともに尊重し合って、協力し合って生きていく、その道筋を示すことが、本当の『未来への責任』であると思います。
2012年8月2日木曜日
懐かしい、我が家の宵の風景
いやぁ今日も暑かったですね
七時をとっくに過ぎたのに、陽の名残りは尽きません。
子供が小さかった頃は、よく花火をしました。
バケツに水を張って、そのそばにろうそくをたて火をともしますと、
子供らはパックにいっぱいつまった花火を思い思いに抜き取っては、花火に火をつけて
パリパリパリ
チリチリチリ
パシャパシャパシャ
と気忙しく炸裂する火花を夢中になって楽しみます。
そしてすっかり暗くなった頃、みんなで線香花火に火を点火します。
パッパッパッ
チィチィチィ
雪の結晶に似た火花はとても小さくて静かです。
そして誰の残り火が最後まで残るかをじっとじっと見守るのです。
すっかり汗ばんだ体で部屋に戻ると、
冷たい麦茶と、切り分けられたスイカがあって
それをみんなで賑やかに食します。
懐かしい懐かしい
我が家の宵の風景です。
2012年8月1日水曜日
平成24年8月1日(水) 朝の風景
おはようございます。
東方から低く陽が差し、建物の影が真横にくっきりと表れています。そして影は徐々に西下がりに角度を変えていきます。
東方から少し強めの風が吹いています、ひゅーっという風音が聞こえます。
空は真っ青で、天上から地平線に向かって深いグラデーションを描いています。
鮮やかな夏の一日の始まりです。
2012年7月31日火曜日
『上腕二頭筋腱鞘炎』
10日ほど前から耕太郎が右肩の痛みを訴え
野球部の練習が休みであった今日、加古川市民病院の整形外科外来で診察して頂きました。
ちょっと出足が遅くなり、再診受付をしたのが9時過ぎ
そして診察を終えて帰路に着いたのは14時近くになっていました。。。。
ぎょろ目で精悍な風貌の担当医は、ご自分も高校球児であったらしく息子に野球活動について親しげに質問され、上手に和まされた息子はまるで先輩に物言うように落ち着いて答えていました。
最初に現在の野球活動を話し、そして痛みの部分を示すと、
『それは上腕二頭筋の腱鞘炎である疑いが強い』と話され、レントゲン検査を経て
『上腕二頭筋腱鞘炎』と診断されました。
それでもまだまだ軽度な炎症であり、
これまで以上に練習や試合前にしっかりとストレッチで筋肉や腱をほぐし
また終わった後もしっかりとクールダウン、そして酷使して痛んだ部位(肩など)を冷却することを指示頂きました。
春先に右膝の軽度な棚障害を起こした時も、違う医師でしたが
『激しい運動を続けるのだから、上手に痛みとつき合うように』
といった話をして下さり、息子に向き合う私の指針となっています。
怪我は甘く見てはならない、けれども恐れていては、この大切な日々はあっという間に過ぎ去ってしまう。
『己をもっと知って賢くスポーツ活動に取り組む。』
それが限られた日々の中で全力投球で成長しなければならない高校球児の歩み方ではないかと思います。
p.s.
帰りに二人で、JR宝殿駅東にある長崎ちゃんぽんの美味い店で、長崎ちゃんぽんを食しました。
すっきりとした甘み旨みがつまったスープ、そして太めでしなやかな麺の喉ごし
久しぶりで食べましたが、相変わらず美味かったです。
長崎ちゃんぽんの思い出というと、遥かな昔、コンピュータSE駆け出しであった頃を思い出します。
大阪府堺市出島に初めて担当したお客様がありまして、以後10年ほど担当させて頂きました。お客様の工場がある南海湊駅から徒歩4㎞ほどの道のりの途中に、小汚いラーメン店がありまして、よく昼飯や晩飯を食べました。カウンター席しかない小さな店でしたが、昼間はサラリーマンで賑わい、夜は酒飲みで賑わっていました。調理器具は、中華鍋と中華包丁のみ、そして強い火力であっという間に美味い料理を作り上げていくのです。
料理ができる間、よく店主の調理を眺めていました。そのおかげで美味しい焼きめしやラーメンの作り方も学びました。
その店の名物が長崎ちゃんぽんでした。その店で私は初めて長崎ちゃんぽんを食し、そして虜となったのです。
懐かしくなってGoogleマップで出島辺りを表示しましたが、当時お世話になった会社は、併合、集散により栄光の名はすでにありませんでした。小さなあの美味いラーメン店もきっともう無いのだろうと、とても寂しく思います。
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