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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2012年2月14日火曜日

絵本朗読『たいせつなこと』


日曜日、仕事を終えた後、絵本コーナーで一冊の絵本を買いました。
それは今回朗読した『たいせつなこと』です。

絵本『たいせつなこと』(原題:"The Important Book")は、1949年初刊のマーガレット・ワイズ・ブラウンさん作、レナード・ワイズガードさん絵の、豊かな心象風景と根源的なものへの愛情が溢れた絵本です。日本語翻訳本は2001年内田也哉子さん訳で出版されました。朗読ビデオでは、押尾コータローさんのギター演奏をBGMで使わせて頂きました。

ブラウンさんが紡ぎ出した詩は、とても優しくてリズミカルで、そして愛情が溢れていました。

そして、最後のメッセージ
”あなたが あなたで あること”
大切な君に贈りたいと思います。

2012年2月12日日曜日

感激!!!エベレスト頂からの風景を眺める事ができました。


”神の住む頂”、エベレスト頂上から観る360度のパノラマをようやく堪能しました。

昨日夕食中、テレビはバラエティー番組が掛かっていました。
何気にリモコンを奪って、ピコピコとチャンネルを変えますと、顔の焼けた山男の絵と『エベレスト ~世界最高峰を撮る~』の番組タイトルが目に飛び込んできました。
おおっ!これは昨年見逃した
”グレードサミッツ エベレスト ~世界最高峰を撮る~ 後編”
ではないか~!!!と感嘆し、子供らのブーイングも我関せずに、ラッキーとそのまま最後まで見続けました。

たしか前編は、エベレスト街道の風景と町並み、そして撮影隊をサポートするチベットのシェルパ達を紹介するドキュメンタリーが主軸であったように思います。
よく”前人未踏”を成し遂げた探検家、冒険家が後生までその名を残しますが、その後ろで、命がけでサポートする現地の民がいること、そこにスポットライトが当たる事はあまりありませんよね、ですから前編で、”エベレスト頂上から最高の絵を撮る”がどれほどに偉大なサポーターによって成されたかを、しっかり描いていたのは感動でした。
昨年夏は、この後編を見逃していました。ですから悔しい思いを持っていたのです。

8000mの世界はまさしく”デスゾーン”、あるいは”神の住む領域”ですね。
極寒、希薄な空気、紫外線、剛風が荒れ狂う中、撮影隊は、氷原、クレパス、荒野、断崖を超え、一ヶ月を超えるエベレスト行のゴール、その頂に立ちました。
頂上でカメラマンが持ち込んだハイビジョンカメラで360度ののパノラマを撮影しました。そこに映し出された世界は、人などが存在し得ない、悠久の”静”、そして”動”が刻まれた美しい世界でした。
シェルパ達が、登頂の感謝をエベレストの女神に捧げました。
私たちが生きる世界は、神々の栄光に満ちあふれる、そう実感したシーンでした。

2012年2月10日金曜日

青春の旅


店で知り合った青年が今、旅をしています。
青年は高校三年生で、卒業式までの数週間、
『山陽路を一人旅する』といって、二月一日に旅立ちました。

昨日夕方、青年の友達が店に訪れ、
『”Y”、もうすぐ帰ってくるそうです』
『元気です』
と伝えてくれました。

青年は、若かりし頃の”みなみらんぼうさん”や”南こうせつさん”を彷彿させる風貌で、朗らかで彼の周りはいつも和やかな笑いが起こります。聞くと、ギターの演奏活動もしている、との事でした。
そんな青年が、一月のある日、旅に出る話をしてくれました。
『宿はどうするの?』
『ユースホステルかお寺に泊めてもらいます』
無銭旅行ではないにしろ、とてもストイックな旅を求めているのだな、そう感じました。

私は、彼のような長い旅をしたという経験はありませんが、時々半日から一日かけて、ふらっと足の向くまま気の向くまま、プチ放浪することはあります。
持ち物は、『カメラ』と『本』と『水が入ったペットボトル』、それを詰め込んだリックサックが一つです。

たとえば見慣れた町、通りなれた道でも、好奇心満載で歩めば、ささやかな、でも新たな発見がきっとあります。そしてそれが、初めての町、初めての土地ならば冒険心を満たしてもくれます。行き止まりもあれば、予期せぬサプライズと出会えもします。そしてまた、自分自身を知らしめてもくれるのです。
それが”旅”だと思うのです。それが”旅する”動機そして目的だと思うのです。

そのように考えれば、”生きること”、この基本的な営み自体”旅”なのだと思います。

日本の旅のことわざから
『旅の恥は掻き捨て』すべからず、
ただ『謙虚さ』と『感謝』と『憧れ』を抱けば
さすれば
『旅は情け人は心』が身に染みる

『旅は憂いもの辛いもの』、
時にはまさしくそうではあるが
心をひらけば
『旅は道連れ世は情け』、旅の仲間も支えよう

そして外国の旅の名言から
『旅人よ、道はない。 歩くことで道は出来る。』

『幸せは旅であり、目的地ではない。』

『長生きするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る。』

今日は休日、東川篤哉さんの小説を読んでます。


朝から、コタツに入ってまったりとくつろんでいます。

でも、目覚めはいつもの通り5時半でしたよ。
居間に入ると、耕太郎がすでに起きていました。
耕太郎が自分で早く起きるのは野球に関しての時だけでしたのに。。。
そう朝練、そして公式戦当日です。

『早起きやな』
と声をかけますと
『今日はいくさやから』
威勢のよいことをいいました。
6時、一緒に朝食を食べ、
6時半、耕太郎は身支度を調え、家を出ました。
その後、続くようにさくらが出て行きます。さくらは今日は試験会場の手伝いだそうです。
そして妻は朝食を片付け、私は洗濯物を干してから、8時頃まで『おは朝』を見ながらコーヒーを飲み、たわいもない会話をしてました。

一人になって、ふとコタツの上にあった本を手に取りました。
東川篤哉さんの探偵小説『はやく名探偵になりたい』でした。
さくらは東川篤哉さんの小説を好んで読んでいるようなのです。
そしてペラペラめくりました。
『烏賊川の市街地から遠く離れた山の中腹。。。』
で始まった鵜飼杜夫探偵のボケ味が秀逸な本格的推理&喜劇の始まりです。
クククっ、と笑いを漏らしながら読み進めますと、すぐに三時間が経過しました。
長編というよりも主人公が決まった短編、ショートショートという呼び方があっているかもしれません。

この本の前にもさくらが置きっぱなしにしていた
鯉ヶ窪学園探偵部副部長の霧ヶ峰涼ちゃん主演『放課後はミステリーとともに』を読みました。
東川篤哉さんというのは後書きでも書かれていますが、『本格ミステリー』志向派。ですからトリックがとても凝っていておもしろいのです。ですがそれ以上に、共感できる笑いがちりばめられているのです。東川さんは広島出身で大のカープファンです。それもあるのでしょうが、昭和の野球ファン(アンチ巨人ファンというべきでしょうか)には、ククク、とこみ上げる笑いを誘うエピソードもいっぱいです。
『放課後はミステリーとともに』では、怪しげな容疑者の名字は皆往年のジャイアンツの選手、そして涼ちゃんの友達はカープの選手といった具合。そして、『八時半の男』や『空白の一日』などのプロ野球のエピソードが何気に挿入されているのです。

そして何より涼ちゃん、可愛い女の子なんですよね。前半部、気ばかり先に立ったヘンテコな男の子として読み進めていましたが、女の子と判明してからは、その言動や行動がとても可愛くなりました。こんな娘がいたら楽しいだろうな、なんて夢想しながら読み進めた事思い出します。

私が中高生の頃、進んで読んでいたのは、赤川次郎さんの初期作品である学園推理物、そして星新一さんのショートショート、もう一つが映画のノベライズ(原作本もしくは派生本)でした。
東川篤哉さんの作品というのは、それら三つの作品群のエッセンスをうまくミックスされているように感じています。そして何より『押しが強くない』作風がいいです。

耕太郎とさくらが帰ってきたら一緒に昼飯でも食べに行って、晩はまた、続きを読みたいと思います。

2012年2月9日木曜日

-4℃、再びです


お早うございます!でもワーッ寒っ!
目覚めた時より、今の方が寒いのです。現在6時半
姫路の6時観測気温を見ると”-4.2℃”、そしてどんどん下がっています。
陽が昇れば、気温は上がるでしょうが、でも日中でも5℃という予報で、低温の一日となりそうです。そして明日も同様、週末まで厳しい寒さが続くようです。

明日は、私立高校の受験日です。耕太郎、そして鹿島中の仲間たち、子供たちへ。それから店で知り合った子供たちへ。どうかみんな、キリリとした気持ちで明日に挑めるよう、今日はしっかり休んで下さい。君たちはすっかり準備を終えたのです。だから明日のために心と体を整えて下さい。

エヘンエヘン、さくらが表彰されました。


娘さくらは、兵庫県播磨高等学校の二年生です。そしてソフトボール部のキャプテンを務めています。
そのさくらが今日、姫路市教育委員会主催の”姫路市非行防止大会”で、善行表彰なるものを受賞しました。さてさてどんな顔をして臨むのかを楽しみに、午後から、会場である文化センターに出向きました。

入り口で冊子を受け取りました。頁をめくると表彰受賞者は10組です。
さくらは友達とふたりでの受賞です。下校途中に携帯電話を拾ったのです。そしてそれを適切な手続きを踏んで持ち主にお返しした。それだけの事です。当たり前の事をしただけなのですが、それが表彰の対象となったのです。
そして、受賞者全員が壇上に上がり、受賞の順番を待ちます。さくらは9番目でした。
さくらの名が呼ばれ、中央に進んで一礼、そして賞状を受けました。
その時の、すーつと立った姿勢が、またお辞儀までもが、とても美しかったのです。
その動作はとてもたおやかで、しかも指先まで神経が行き届いていました。びっくりしました。
家では、特に私に対してはおっさんみたいな態度しか見せないので、別人かと思いました。
”県播”の接遇指導、恐るべしと感心しました。

そして夕方、帰宅したさくらに突っ込みを入れました。
『この別人28号!(鉄人28号の駄洒落です)』
『おまえ、何人おるんや?』
『五人』
『おまえ、ゴレンジャーか!』
『壇上に上がってたんは何色や?』
『青』
『そしたら、今のおまえは何色や?』
『赤』
『ほかに何色がおるんや?』
『黄色と。。。銀色、それから白』
『おとうちゃんにやさしいんは何色や?』
『おらへん』
『・・・』
少し寂しい顔をすると、さくらはすかさず
『緑や』
『でもなぁ、もう卒業したん』
結局、おられへんといういう事でした。

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姫路市非行防止大会は三つのプログラムがありました。
第1部 講演ライブ
姫路出身のバンド”THE NEUTRAL”のボーカルしげるさんによる
ミニライブ
第2部 善行表彰
第3部 非行防止啓発劇
    劇団野火の会 小林育栄さんによる一人芝居
    『仮面の少女・愛 ~それでも私を愛してくれますか』
です。
すべてしっかり鑑賞してきました。

姫路市非行防止大会パンフレット
www.city.himeji.lg.jp/var/rev0/0032/4370/hikoubousi.pdf

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ロックバンド”THE NEUTRAL”ボーカルしげるさん(三木茂さん)のミニライブ

『駄目人間だった僕がどのようにしてプロ歌手になったか』、
ライブで鍛えられた語りで時にユーモアも交えながら話されました。
そして4曲を熱唱、ギター一本と生声による、とてもパンチの効いたソウルフルな歌声でした。声質はそう、坂本九さんを彷彿させ、包む様な優しさと伸びのある強さがありました。
1曲目の題名は忘れてしまいましたが、後の3曲は
『ちびとふとっちょ』
『空飛ぶ本屋さん』
『フレーフレーフレー』
どのタイトルもとてもユーモラスなんですが、歌には愛が溢れていました。

またプロミュージシャンとして、私たちが知らない話を二つ披露してくれました。
一つは、インディーズ活動を経て、大手プロダクションからメジャーデビューを果たしたときの事です。『君たちに一億円を賭ける。君たちは価値がある』と言われたそうです。プロ野球のドラフトを連想しました。インディーズ時代の地道な、でも実力を付けファンを獲得してきた実績が評価されたのです。ですから、メジャーデビューをとても誇りとし、また責任も芽生えたと話されました。
そしてもう一つは、テレビの歌番組出演には出演料がでないという話です。
歌番組で歌うというのは、CD等を販売するプロモーション活動とみなされるそうです。いやぁ厳しい世界です。

The Neutral official web site
http://www.the-neutral.com/index.html

ちびとふとっちょの恋の話

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小林育栄さんの一人芝居
『仮面の少女・愛 ~それでも私を愛してくれますか』

物語は、
愛という少女が主人公です。
愛は高校生で、才色兼備。また毎夜自宅の屋上で亡き祖母の面影を星に宿して語りかける優しい少女です。ですが彼女にはもう一つの顔がありました。
仮面を被り、夜な夜な不良グループのリーダーとして、廃退した問題行動を起こしていたのです。

愛の両親は二人とも出会った頃は芸術家の卵でした。ですが父は、生活のために芸術家の道を断念し就職しました。そして母は結婚した後も創作活動を続け今や世界的に認められた仮面彫刻家です。そんな母に父は嫉妬し、酔っては暴力を振るうのでした。DVです。
愛は、家庭内の不条理を抱えながらも、まじめに勉強に向き合っていました。

ある日の事です。愛が勉強していると、獣が現れ
『何をしても無駄な事だ、どうせ死ぬのだから』とささやき始めます。
それからは四六時中、彼女から離れなくなりました。
愛は、獣から逃れようとして彷徨います。そして行き着いた場所が不良グループのたまり場でした。獣もそこでは沈黙します。そして愛は退廃に身を落としていきました。

そんな愛を、担任の菊川は、以前の愛に立ち直らせようと献身的に関わります。
でも愛は、大人の身勝手と取り合わず、侮辱を繰り返します。でも、それでも菊川の献身は揺るがないのです。そして愛が菊川の献身を信じてみようとした矢先、菊川は交通事故で亡くなります。

愛は、自宅に引きこもりました。
ある日、菊川の妻が、菊川のノートを持って訪ねてきました。
そして菊川のノートが愛の手に渡ります。
愛は自宅の屋上で、祖母に見守られながら、静かにノートを開き読み始めました。

『教室で君を始めて見たとき、僕の”愛ちゃん”がいると思った。』
『僕の娘”愛”は、小学生の時に白血病で死んだんだ』
『その”愛”が言うんだ。”愛さん”には長く幸せに生きてほしいと』
そして、
『君は”何をしても無駄だ、どうせ死ぬのだから”と言うが』
『その通りだ、もしかしたら明日蜂に刺されて死ぬかもしれない』
『命とははかないものだ』
『だからこそ、今日を大切に生きるのだ』
『僕はいつまでも君を見守るよ』
そして最後に
『とはいっても、僕が先に死ぬかもしれない』
『でもそしたら僕は、君のおばあちゃんの星にいって、おばあちゃんと一緒に、いつまでも君を見守るよ』

愛は、星に誓います、今日を大切に生きていく事を誓うのでした。
end

一人芝居を見たのは初めてでした。
そしてプロの演技を見て話す事ではないかもしれませんが、朗読を学び一人芝居のようにして朗読を実践している経験から、小林育栄さんの一人芝居を見て、ボディーの演技をし、BGMに合わせ、複数の役をこなさなければならない。開演から終演まで一時の油断もできないこの芝居を、小林さんと一緒になって、緊迫した面持ちで見つめていました。
小林さんは、まるで仮面を取り替えたように、別人になって喜怒哀楽を表現されます。芝居が進むにつれ、それは私の感情を揺り動かして、物語の深部に引きづり込んでいきました。そして一番に感動したのが、終幕のノートの読み語りでした。
きっと白紙のノートなのでしょう、なのに慈しむようにしてノートの頁をめくり、そして目で文字を追うのです。それはまさに真実の演技でした。

この物語では、終幕の直前まである疑問が晴れませんでした。それは、何故に愛の中で獣が生まれてしまったのかという事です。父のDVは、愛の深部にこれほどの深い闇を宿す理由としては弱かったからです。
でも芝居をすべて見終わって後、次のように理解しました。
”死が突然に訪れるように、心に宿る闇も不条理に広がる”と。
私にとっては些細な事柄でも、ある人にとっては非常に重い苦悩となる事があります。
ですから私たちは杓子定規ではいけないのです。大切な人の、ほんのかすかな変化もくみ取れるよう、私自身が大きな愛を満たしていなければいけない、そう物語は語っているのだと理解しました。

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久しぶりに、充足しました。
しげるさん、そして小林育栄さん
有り難うございました。

2012年2月8日水曜日

新幹線を見て、はしゃいじゃいました。


YouTubeでおもしろい投稿を見つけました。
”【TV On Air】外国人、新幹線の速さにびっくり大興奮!”というものです。
2010/10/22にアップロードされたもので、
新幹線姫路駅が、最速で突っ切る新幹線を数多く観ることができるスポットとして、外国からの訪問者に人気で、その多くが興奮した様子をYouTubeに投稿し、ネット上で話題となっている、というニュースショーの映像でした。

姫路駅は新幹線の駅の中でも主要な駅に入ります。すべての『のぞみ』が停車するわけではないのですが、のりばは上り1、下り2とあり、通過列車は、駅の中程にある上下二車線の専用路を走ります。そのためホームには落下防止の策もなく、駅構内は広々としています。

姫路駅のホーム構造はほぼ真っ直ぐで、通過する新幹線はまるで一本の槍のようです。
ニュースの説明では、姫路駅を境に新幹線の最高速度が、東が270㎞/h、西が300㎞/hとなっており、そして観光客の昇降が多い姫路ならでは、多くの観光客がアメージングなスピードを体験できるスポットとなったと解説していました。

私も新幹線が大好きです。
子供たちがまだホント小さかった頃、当時の愛車、マウンテンバイクの後部にチャイルドシートを付けて、休日は子供を乗せて、よく姫路城や書写山を巡りました。コースは国道を避け、脇道や鉄道沿線の道路で結びました。そして姫路駅東側の新都市開発区画、まだ当時は広々とした空き地でした。そこでしばしの休憩を取り、子供と一緒に新幹線を眺めていました。

私が始めて新幹線に乗ったのは、昭和40年の事です。鎌倉そして横須賀の親戚宅に遊びにいきました。新大阪駅から乗車しました。今思えば不思議なことですが、高架駅はすごく高い場所という印象が残っています。

そして私は家族と少し離れた三人シートの窓側に座っていました。車内販売でピーナッツを買ってもらい食べていたところ、名古屋あたりで鼻血がでました。そしたら隣に座っていたお姉さん?に優しく介抱してもらった、そんなこともいまだに印象深く覚えています。

新幹線に乗るといえば、やはり東京への移動ですね。大阪で勤めていた頃はよく利用しました。車内では本や雑誌を読んで過ごしましたが、静岡駅を過ぎたあたりで手を休め、しばし窓の外を眺めます。何度かのトンネルを過ぎ、富士川を越えると富士の裾野が広がって見えます。そして『あっぱれ』の御山、富士山を眺めるのです。
富士山、ほんと何度観ても、感動しますね。

富士山、富士山を観て特に感激した事があります。
それは、ある冬の夜、成田から伊丹まで旅客機で移動中での出来事です。
最後尾の右窓側の席でした。翼に邪魔される事なく眼下の景色を眺める事ができました。
そして、砂場の中にゆったりと積まれた砂山のようにして一人たたずむ富士山を見つけました。頭には西から白い粉をまぶしたように雪を被っています。外は澄んでいて、月明かりに照らされた富士山を長く見続ける事ができました。
そして、富士山を後ろにし、お別れを告げて機内に目を戻そうとしたときです。チカチカと光を放ちながら動く糸くずの様なものを見つけました。新幹線です。
見つけた新幹線は、眼下で併走していました。
おもわず側を通っていたキャビンアテンダントに
『あれ、新幹線だよ!』と叫んでいました。
30を超えたネクタイをしたおっさんがですよ、
わーっ、ホント恥ずかしい出来事でした。


JR姫路駅のトリビアを一つご紹介しましょう。
姫路駅は、日本で最初に、幕の内弁当を駅弁として売り出した駅なのです。高校生の頃、父が持っていた『日本の駅弁』という本を読んで知りました。
そしてWikipediaで検索しますと、次のように書かれていました。
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現在のような折詰に入った駅弁は、1890年に姫路駅でまねき食品が発売したものが最初とされている。また農文協(社団法人 農山漁村文化協会)刊行の「日本の食生活全集 28 聞き書 兵庫の食事(1991)」にも「元祖・駅弁--姫路の『まねき』」と題する記述があり、そこでは1889年に姫路駅で発売された物を駅弁の元祖とし以下のように述べている。
『日本初の駅弁は、明治十八年に日本鉄道会社宇都宮駅で売り出されたものというが、これはにぎり飯二個を竹の皮で包んだだけであった。折り箱に入った幕の内風で、その後の駅弁の形をつくり出したのは、この姫路の駅弁が元祖といえる。』
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昔はこんな些細な事も、外の町で暮らしたときの私の”お国自慢”でありました。