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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2012年2月2日木曜日

笑っちゃうほど、寒いですね


『寒いっ!』
朝起きて、口につくのはこの言葉ばかり、笑っちゃうほど寒いですね。
昨夜から時折、剛風の怒声が響きます。何もかも氷尽くすぞと叫んでいるようです。
でも家族と顔を合わし、
『お早う』と声かけすると、暖かいものが点ったように思います。

昨日は明石に行ってきました。
そして用事を済ませ、暫しジュンク堂で新書探訪しました。

福岡伸一著『フェルメール 光の王国』、
入り口に平積みされていました。
美しい写真のカバーにくるまれた本です。
手にとって頁をめくりました。
序章で著者は、
『100年前にアインシュタインは『光は粒子』、つぶての集まりと説きました。
ですが、それよりもさかのぼる500年前に、フェルメールは『光を粒子』としてとらえ、陰影をつぶてで表現していたのです。
そして私はフェルメールの作品を辿る旅に出ました。。。』
と云う様な言葉を書いていました。
旅はオランダから始まり、フランス、イギリスそしてメトロポリタンのあるニューヨークまで、足かけ四年にも及ぶ旅です。
美術館に展示されている絵の写真が幾つか掲載されていました。陰影の解説では、特に接写した写真が掲載されていました。
それを見ると、ひとの驚異的な『観察眼』、『記憶力』そして『描写力』に驚きます。当時、カメラなどなかった時代、優れた才能と訓練を授かった者が写真を描いていたのだと実感しました。

その後は、雑誌コーナーへ進みました。いつもの進路なのです。
ニューズウィーク日本語版を立ち読みし、
それからカメラ雑誌、フォトコンテスト雑誌をペラペラめくりました。
それからパソコン雑誌。。。
ですが、ちょうど店の方が棚整理の最中でしたので、雑誌コーナーから撤退して新書コーナーへと進みました。

『書店で働いている者なのに、立ち読みして帰るだけでは不味い』、
ふとそう思いました。それから買って読みたい本を探しました。
そうなると結構、タイトルや装丁は重要なのですよね。ひとつのテーマでもそれを論じた本は何冊もありますから、すべてをペラペラ当たりをつけるわけにもいかない。
そして、特に気になるテーマ『グローバル化』について書かれた本を探しました。
『経済』の棚に、赤紫のカバーに包まれた『ショック・ドクトリン』上・下巻がありました。そしてその隣にあったのが、
スーザン・ジョージ著『これは誰の危機か、未来は誰のものか』
でした。
最初に『日本の読者のみなさんへ』という文章がありました。
東日本大震災で傷つき、原発事故で大きな代償を背負った日本への、復興と民主的な社会システム実現へのエールが述べられていました。
そして、この本を買いました。
まだ読み始めたばかりです。完読したら感想を述べたいと思います。


それから、
土曜日に朗読する本決めました。
『おひさまがいっぱい』
『ずーっとずっとだいすきだよ』
『わすれられないおくりもの』
です。子供たちと一緒に楽しみたいと思います。

それからそれからもう一つ
ある冒険の切符に応募しました。
もしもそれが叶ったら、その時またここでお話ししたいと思います。


さぁ、いまから仕事に行ってきます。
寒風何するものぞ
今日も大切なチームメイトと一緒に、お客様をお迎えしたいと思います。

2012年1月31日火曜日

『僕のグラフィティー♪』


♪深夜ラジオに耳を傾け
流行の歌を聴いたものさ
歌の文句をそのままかりて
初めて書いたラブレター。。。

南こうせつさんの『僕のグラフィティー』です。私の青春の一曲です。


二日前、仕事を終えてから暫し若いチームメイト達と談笑しました。
そしたらひとりが、14歳くらいまでだったかなぁ、大阪の枚方、楠葉に住んでいたと話してくれました。
チームメイトが生まれた?ばかりの頃、私は枚方、牧野に住んでいました。
NECの男子社員独身寮があったのです。そこで1983年から4年間お世話になりました。

寮には気が置けない同期の仲間が沢山いました。
亀ちゃん(亀田さん)、加藤さん、森岡、佐々木、星ちゃん(星野)、八百ちゃん(八百谷)、稲ちゃん(稲場)、平木そして竹ちゃん(竹谷)です。まだ数名いるのですが名前忘れてしまいました、ごめんなさい。
そしてよく部屋に遊びに来ていて、いとこいのこいしさんによく似た寮長に寮生と間違えられていたのがポチ(竹内)と竹嶋そして野口です。
週末ともなると、金曜日の夜から徹マンで、早朝から一階にある洗濯機を回し、そして寮の庭(テニスコートほどの広さがありました)で日が開けぬうちからキャッチボール、ホント休憩なし、昼は一リットル入りのコーラで済ませ、陽が落ちるまでずっとキャッチボールに興じていました。
同期の女の子が寮を訪ねることがあって、そしたら私らが皆ランニングシャツ姿ではしゃいでいて、そして各部屋には紐に吊された洗濯物が窓の外からもよく見えた、と会社で会ったとき話してくれました。
夜は夜で、仕事が終わると皆集まって、『今日は雨が降ったから』『風が強いから』『暑いから』と理由をつけては飲み歩いていました。寮生だけでなく、男子も女子もなく、100名を超える同期生ですが、ホント仲がよかった、そしていつも集まって騒いでいました。
その中心が『枚方寮』だったのです。
私たちの同期が集まると、私は歌を歌いました。
二十歳の頃に北脇の一本松連中、イチャさん、ボテ、タクロウさんと私で作った歌『麻呂がゆく』です。よくもまぁ二十歳そらいらであんなへんてこな歌作ったものだと感心します。
往年の『歌う映画スター』高田浩吉さんの『大江戸出世小唄』の出たしをもじった『麻呂がゆく』の歌詞は次のようなものでした。

利根の柳は風任せ
カワイあの娘は口任せ
今日もきました六本木、明日は新宿か・ぶ・き・ちょうおお(歌舞伎町)

今日もデスコでフィーイバ
カワイあの娘にウィンクすれば
腰をフリフリ寄ってきて
返す返事は、あっあかんんベ~(あっかんべ)

所詮、姫路の田舎者
みゆき通りがにああってる

だけど、だけど、だけど~
麻呂はゆく、麻呂はゆく。。。

ちゅうな歌です。へんてこな歌詞でしょ、節をつけるともっとヘンです。でも楽しい歌で、皆も覚えてくれて一緒に歌いました。

ボテが東京の大学にいって、まぁあった事なかった事を話してくれて、そして皆で歌詞を紡ぎました。出だしの部分はタクロウです。タクロウのおっちゃんはクラシックギターの名手で、タクロウも出会ったころからギターめちゃめちゃ上手かった。そして声が子供離れしたほどに渋く、まるで流しのおっさんでした。

私には『青春のグラフィティー』が三編あります。
一つ目は一本松連中(幼なじみ)とのグラフィティー
二つ目は、石川県金沢で過ごした大学時代のグラフィティー
そして三つ目が、今回辿った枚方寮時代のグラフィティーです。
当時の寮の仲間とは、もう数名しか交流を持っていません。とくに二代目ちびっ子ギャングこと竹ちゃんとは、二十代の終わり、竹ちゃんが退職して以降、全く消息が分かりません。竹ちゃんはこんまかったけれど気骨のある男でした。そして可愛い顔とは裏腹なとてもひどいだみ声で、また枝雀師匠の『スミバセン』が口癖でした。淡路の男で、よく家からビワが送られてきて、よく美味いビワを頂きました。夏、寝苦しい夜など、ふたりで外に出て、牧野から楠葉界隈を明け方までクネクネ歩いたものです。
『竹ちゃん、会いたいよ~』

枚方寮編では、まだまだ寮生それぞれとの友情厚い思い出が沢山あります。それこそ本が一冊書けてしまうほどにです。笑い話あり、切ない話あり、書ける話、書けない話ありです。

また、他の編も辿ってみたいと思います。

僕、ドラえもんです。。。


最近、家で『ねずみ騒動』がありました。
こどもらが一人でいるとき、『ねずみを見た』というのです。
遼太郎曰く
『外があまりにも寒いから暖房の効いた部屋に現れた』、冷静な分析です。
でも耕太郎が捕獲しました。小さなゴミ箱の中に落ちてもがいているねずみを見つけ、ゴミ箱にサランラップでフタをしたのでした。でも本人曰く
『ちゃんと空気穴は開けておいた』、なんとも心根の優しい奴です。

そんな昨日の夜の出来事です。
仕事から帰って、夕飯を食べて風呂に入り、10時まで家族でテレビを観ていました。そして、
『おとうさんもう寝るけど、誰か次風呂入って』といいますと、妻とさくらが動き出します。
妻に『さき、風呂入って』といい、そして立ち上がった妻を呼び止め
『さきに、ちょっとコーヒー入れてくれる』といいますと
さくらに、『おとうさんなんか、ねずみに耳噛まれて、ドラえもんになったらええんや』といわれてしまいました。

でも私、干支でいえば『鼠』なんです。
でも『猫』ではなく、『犬』が怖いのです。
ホントに幼い頃、一緒に遊んでいた友達が犬に噛まれ、それがトラウマとなっています。
また小学5年の時のことです。集団下校の際、よく吠える大きな犬の犬小屋のそばを通りました。悪ガキがよくその犬小屋の後ろを蹴ります。蹴ると犬は、大きな吠え声とともに勢いよく飛び出してきます。そして前を歩く子供らが驚いて飛び退くのです。
ある日、私が犬小屋を過ぎて歩いていますと、誰かが犬小屋を蹴り犬がけたたましく飛び出してきました。見ると、なんと首輪が外れているのです。それから一丁ほども追いかけられました。。。

そうです、実は私『オバQ』なのです。

2012年1月28日土曜日

「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと

TFA代表ウィンディ・コップ著『いつか、すべての子供たちに ~「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと』
2009年春に刊行された翻訳本です。手元にありますが、いっぱいラインが引かれ、付箋がそこいらじゅうに張ってあります。

1989年、プリンストン大学を卒業したウィンディ・コップは米国社会における教育の不平等を実感し、『すべての子供たちに優れた教育を受ける機会を与えたい』という理想を掲げて非営利団体TFA(Teach For America)を設立しました。
アイデアはこうです。

『トップクラスの大学を卒業したばかりの人たち-専攻もめざす職業もさまざまな人たち-を集めて、都市や地方の公立学校で二年間教師をしてもらう。その後も生涯を通じて、「すべての子供たちに教育の機会を与える」という目標に向かって、率先して取り組んでもらう。』

そして
・教師の確保
・派遣先の確保
・運営資金の調達
等々の都度の試練を克服し、1995年、ついに黒字を計上、ウェンディ・コップの理想は米国社会に認められます。

本では、TFAの設立から1995年までの活動の黎明期において、数々の試練をどのように乗り越えていったかが綴られています。そこには若者の無知や軽薄さが招いた問題もありました。しかし、それ以上に『変化を起こす、起こしたい』という強烈な意思、熱意、行動がありました。

そしてもう一つは、米国社会がなぜにFTAを必要としているかも綴られています。それは、米国社会における公立の教育システムの脆弱さです。
米国は広大な国土を有していますが、辺境の町では正規の教師がおらず、高校を卒業した若者が教師を務めています。
また、大都会のインナーシティ(低開発地域)は社会の吹きだまりとなっていました。
貧しい地域に住む子供たちは、どんどん置き去りにされていたのです。

現在、TFAは米国大学生の『理想の就職先』となっています。そしてGoogleやApple、その他名だたる大企業がTFAでキャリアを積んだ若者を雇用するプログラムを実践しています。

TFAの理念は世界中に広がりつつあります。日本でもTFAの理念を実践しようとするNPO『Teach For Japan』が2009年に設立されました。
しかし、自由主義を貫く米国とは違い、日本の教育は社会民主主義のもとに構築されたシステムです。それは大きな一枚岩です。また教育の背景も抱える問題も米国とは異なります。ですから、TFJは日本の実情に向き合ったプログラムを開発しなければならないと思います。
また、TFJメンバーの『キャリア』評価についても懸念します。 現状ではTFJが派遣できるメンバーは、指導補助員、もしくはボランティアです。現場においてステータスもなく権限もなければ、モチベーションを維持することはできないと思います。そして何よりキャリアアップの問題です。『キャリア』の考え方が米国と全く異なる日本では、TFJでのキャリアは次の就職へのアドバンテージにならないと思います。魅力的な就職先を目指すならば、先の二つの懸念を払拭しなければいけないと思います。

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私が本書で学んだことは、私たちは『希望』を描き、その芽を発芽し育てる力を合わせ持っているという事です。それは苦難であるが大きな喜びでもあります。
巷には進学を目指す受験生があふれていますが、彼ら一人一人が、その先に『希望』を描き、自らを肥沃な土壌に育て、そしてしっかりと『希望』の芽を育てる者となってほしいと願います。

2012年1月27日金曜日

私たちの『選択』~巣立つ者へのエール~


それは一枚の絵を見たのがきっかけでした。
30センチ四方の額に納められた小さな絵、
絵筆から絵の具を一滴一滴垂らして描かれた絵、
青い鳥が赤や緑の実が稔る野で戯れる様子が描かれた絵です。

『青い鳥』といえば、メーテルリンクの童話が浮かびます。
幼いチルチルとミチルの兄妹が、夢の世界を訪れて『幸せの青い鳥』探します。
でも夢の世界では『青い鳥』を見つけることはできませんでした。そして目が覚めると兄妹の鳥かごの中に『青い鳥の羽根』があった。幸せはいつもそこにあるのだよ、と私たちに気づきを促す物語です。

ここで感じた暗示的なキーワードは、
『鳥かごの中の青い鳥の羽根』→『幸せ』→『保護された持続的な幸せ』です。

そしてもう一つ、『青色』から連想したのは『自由』です。
フランスの三色旗の俗説、青は『自由』、白は『平等』、赤は『博愛』、からの連想です。

『持続的な幸せ』と『自由』、
私たちが求めてやまない二大の代名詞です。

鳥で例えましょう。
『籠の鳥』は、庇護者によって、水を与えられ餌も与えられます。もっとも慈悲深い庇護者であれば、昼間は鳥籠を軒先にでも出して、心地よい風と陽の暖を与えてくれるでしょうし、夜は暗幕をかけて静かな眠りも与えてくれるでしょう。生きながらえるという点で、これは与えられた『持続的な幸せ』もしくは『持続的な安心』です。
では『自由の鳥』はどうでしょうか、
『自由の鳥』は拘束されず、思うままに飛んでゆき、生きることができます。しかしそのフロンティアは脅威に満ちあふれています。天にも地にも彼らを狙うハンターがいて、自然は容赦なく彼らを危険にさらします。そんな中で彼らは水を求め餌を求め伴侶を求めてゆくのです。『自由』とは一瞬の油断も許されない、『獲得し続けなければならない』ものなのです。

ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』に、
『グリーン・ゾーン』そして『レッド・ゾーン』という表現がありました。
イラク戦争後の米国主導で行われたイラク復興最中に、米国はバグダッドに要塞都市を築きました。それは長期滞在する米国市民のための町、リトルアメリカです。マクドナルドも映画館もショッピングセンターもあります。その町は強固なセキュリティで守られた『グリーン・ゾーン』です。そしてその『ゾーン』から一歩外に出れば、破壊尽くされた町があり、そこは『無秩序』と『死』が渦巻く『レッド・ゾーン』と化しています。

『グリーン・ゾーン』、これがタイトルとなった社会派スリラー映画がマット・デイモン主演で2010年に公開されました。いま振り返れば、イラク復興の内幕を暴露する内容でありました。

イラクの例は非常に特化したものですが、でも私たちが歩む道、生きる場所の選択には常に『グリーン(安全)』と『レッド(危険)』が存在します。
言い換えれば、『規律』『規則』『義務』を受け入れて『安心』や『幸せ』を得るか、自由競争という危険の中に身を置いて、『夢』や『富』を追い求めるかという選択です。

20世紀は『ナショナリズム』の時代でした。国家の威勢が地球規模の均衡を左右する時代でした。そして21世紀、経済が独歩する『グローバルリズム』の時代となりました。
日本の旗艦であった企業は多国籍化し、インターネットの世界、そしてビジネスの世界は英語でなければ務まらない時代となりました。
私たちは『職』だけでなく、『固有の言語』、『固有の文化』を失いかねない時代にも直面しているのです。

ただこの10年、『グローバルリズム』の強風が吹き荒れる中で、世界各地で国家よりももって小さな単位の『ローカリズム』、『固有の言語』『固有の民族』そして『固有の文化』を尊重し、その土地を守っていこうとする運動が起こっています。その運動の基は『アイデンティティの尊重』です。そしてそれは、『共有』『交換』『助け合い』そして『絆』で成り立つものであります。
私たちには『グローバル』に生きるか、土地にしっかりと根を張って『ローカル』に生きるという選択肢もあるのです。

私たちは今、学ぶ権利を有しています。様々な情報を目にする権利を有しています。そしてそれによって、私たちは自分自身にとって、家族にとって、社会にとって、『是』となる『良し』となる道を選択することができます。
何事も盲目的に信仰するのではなく、『智』と『良心』と『勇気』を持って選択し、歩んでゆかなければいけない、と思います。

2012年1月26日木曜日

寒い朝です


おはようございます。静かな朝です。長く差し込む朝陽が東西を陰陽に二分します。
今朝外に出ると、久しぶりに満天の星空を仰ぐことができました。北斗七星が天上にありました。冷たく澄んだ冷気をいっぱい吸い込みました。

昨日は雪が舞いましたね。午後空を見上げると、北の空から透けた灰色の雲が流れ込んでいました。『雪雲』、雪が降るなぁ、と思いました。
夕方、仕事を終た帰宅途中、雪が舞っていました。まだ陽の落ちきらぬ灰色の世界で、舞い落ちた雪はアスファルトの上を波打ち渦を巻いていました。それはとても軽やかでしなやかで、音のない舞踊を観る面持ちになりました。

まぁ、こんな悠長なことをいえるのも、雪害がないからでしょうね。こう毎日毎日低気温が続くのは堪えますが、それでも今朝のように太陽が地上を照らし、そして陽に身を置けば暖をとることができる。それがたまらなくありがたいです。

『おはよう朝日です!』の正木さんのお天気によると、来週にはこの寒波よりもさらに強烈な寒波が押し寄せるとの事。インフルエンザの大流行の兆しも叫ばれています、我々もまた受験を控える子どもたちが体調を崩さぬよう見守りたいと思います。

2012年1月25日水曜日

息をするたびからだが冷えていきます


おはようございます。久しぶりのリアルタイム書き込みです。

目覚めたら、布団の中に潜ってました。暖かくて静寂な世界、でもやはり空気がよどんでいます。やおら顔だけ外に出すと、体の中からだんだん冷えていきました。
そう、冷たい空気を吸い込んで、肺で血液が一気に冷やされ、そして全身に冷気が届けられたのです。
そうして目がどんどん覚めました。

18日にパソコンが修理から戻ってきましたが、それから使える状態に設定し直すのに時間がかかりました。パソコンは、どんどん家電化しているような錯覚を覚えたりしますが、実際、故障した後など、設定し直したり、データを復元したりと、やはり精密機械、コンピュータなのだと実感します。

また先週半ばから風邪症状を引きずっています。昼間はどうこうないのですが、夜はもうだめで、よく寝ています。図書館で借りた本も読み切ることができず、またパソコンを触るのもしんどい状態でした。でもこの数日快方に向かっています。

今の一番の楽しみは、2月4日のおはなしの会の朗読です。その準備は、というか練習を始めています。当日朗読しようと思っている絵本は
・おひさまがいっぱい
・ずーっとずっとだいすきだよ
・わすれられないおくりもの
・こぐまのムースとねずみのロゼッタ
この中から3冊読もうと思っています。すっかり風邪も治って、元気な声でおはなしを届けられたらと思います。