播磨の国ブログ検索

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2011年12月22日木曜日

魅了され続ける映画『ジョルスン物語』


私の記憶で、初めて涙した映画は高峰秀子さん主演『二十四の瞳』でした。ホント幼い頃です。断片的ですが、戦地から帰還した教え子達との同窓会のシーンが印象に残っています。

十代の前半はマカロニウエスタンにはまり、後半はSFです。そして19歳、金沢の映画館で観た『ジョルスン物語』のリバイバル上映。もう感動して大泣きしました。ロマンス、そして音楽劇のこの映画にすっかり魅了されました。そしてそれは現在進行形なのです。
主人公アル・ジョルスンは実在の人物で、アメリカの第二次大戦前後のブロードウェーの大スター、そして初の商業トーキー映画を撮った映画スターであります。

ジョルスンを演じたのはラリー・パークス、そして歌唱部はジュルスン本人が吹き替えをしてます。それは本当に吹き替えとは思えない見事さで、1947年のアカデミー賞録音賞に輝いていることからも分かります。このラリー・パークスは悲劇の俳優で、ハリウッドの赤狩りに罪無く飲み込まれ映画界から追放されました。

私の一番のお気に入り、というかもっとも高潮する場面が、ジョルスンが父のたっての願いで『Anniversary Song』を歌う場面です。
ジョルスンは妻ジュリーの願いを受けてスターの座を引退し、隠遁生活に入ります。そして生き甲斐である『歌う事』を封印します。ですが、両親の結婚記念日のパーティーで父から幼い時に一緒に歌った『Anniversary Song』を請われ、歌います。その歌は愛する夫婦が結婚式で初めてダンスを踊った時のように、見つめ合い、しっとりと、また情熱的な愛を讃歌します。ですが、それはジョルスンの『歌う事』の封印という寂しさで成り立つ脆い幸せであることをジュリーに気付かせ、そしてラスト、ジュリーはジョルスンのもとを去ります。

映画『ジョルスン物語』のシーンから

私、昨年歌いました

『ジュルスン物語』は、素晴らしい歌と、そしてミュージカルの素晴らしさ、ロマンスの切なさを満喫できる、とても最上に素敵な映画です。

私はこの映画にであった10年後、VHSのレンタルビデオで再開を果たしました。そして、今から数年前DVDを購入し、今、この映画は私の宝物となっています。

p.s.
今日、Facebookを開くと、なんと学生時代の友人からコンタクトがありました。驚きと同時に嬉しく、暫しチャットで昔話に花を咲かせました。
金沢での学生時代、ホント阿呆な事ばかりし、大酒をかっ食らい、毎日がびっくり箱の様な生活でしたが、映画にだけは真摯でした。毎週末、アルバイトして稼いだ金で映画を観に行きました。ホント朝から晩まで映画館で過ごしていました。帰りは毎度足はなく2時間ほど掛けて夜の道を寮まで歩いて帰ってました。青春でした。

2011年12月19日月曜日

北の独裁者死亡報道を受けて


年の瀬が迫った今日、『北朝鮮の金正日総書記急死』のニュースが飛び込んできました。
というか、いつもならまだ夕刊が届くことのない午後3時半頃に夕刊が入ってました。
エエッ号外か、と不信に思いましたが夕刊でした。でも何か意図的なものを感じました。

今年、アメリカを中心とする自由主義国家から悪の枢軸と呼ばれた独裁者、またテロ首謀者が次々と死亡しました。
5月2日 オサマ・ビンラディン(アルカイダ指導者) 米国軍特殊部隊が殺害
10月20日 カダフィ大佐(リビア独裁者) 自国民反体制部隊が殺害
そして北朝鮮の独裁者が今日死亡しました。金正日総書記は国内の指導視察途上の汽車中で『心筋梗塞にて急死』という発表です。

金正日総書記は以前から心臓病疾患者であることは知られていましが、あらゆる成人病疾患者だったのですね。
しかし、数日前から北朝鮮で総書記の次に有名な、高圧的な女性アナウンサーがテレビから姿を消すなど、不穏な空気は漂っていました。もしかしたら、女性アナウンサー失跡の前後に北朝鮮で大きな第一の転換(粛正等々)があったのでは、と想像してしまいます。

1980年代のユーゴスラビア紛争の後、次の火種は極東『北朝鮮』と、当時の未来学者は予言しました。ですがあれから30年、ソ連は今はなく、中国は今だ共産党一党独裁国家とはいえ外貨資本や自由貿易の恩恵の寵児となっています。『北朝鮮』が導火線となって旧東西諸国の政治対立、武力対立が起こることは現実的でないと思います。

しかし北朝鮮は、『誘拐』『麻薬』『偽札』そして『核爆弾』とブラックマーケットで活躍する、犯罪を国家が首謀する国です。その国のかたちが壊れれば、犯罪はもはや規律がなくなり、希望のない『パンドラの箱』が解き放たれる、ということになりかねません。

日本は、東アジアの国々と協力し、万一の動乱発生の監視と抑制、そして北朝鮮民への人道支援等々、これこそ綿密な『想定』と『アクションプラン』を早急に協議し実行すべきと思います。

2011年12月17日土曜日

可哀想な首相、野田佳彦


昨夜は夜、テレビを見ませんでした。
そして今朝の新聞を見て、唖然としました。

『首相、原発事故収束を宣言』
『冷温停止状態を確認』

彼は、強いリーダーを演じてみたかったのですね。
思えば9月、民主党の代表に選ばれてそのまま一国の首相の椅子を与えられ、辻説法で鍛えた雄弁さで自身を『ドジョウ』と喩えられた。
それが、鉢呂元経済産業相の『放射能つけちゃうぞ』発言・失言? 以後、ぶら下がり取材に一切応えず、国会答弁も下を向いてルビの振られた原稿を棒読むばかり。。。
だけれど、外遊先ではいつもにこやかな笑顔を振りまき、原発事故問題、TPP問題、消費税問題然り、国内で議論もなにも出来ていない状況で、どうどうと国際公約をなさってしまう。

そしていまや日本第3の都市となった大阪で台頭する橋下徹氏率いる維新の会の威勢や、はたまた海の向こうで三年前にリベラルの旗手として立ったオバマ米大統領の『イラク戦争終結宣言』に調子を合わせようとされたのでしょうか。

もう、私たちは『サラリーマン総理』はいならいです。『自己都合総理』はいらないです。
本当に国民の信任を得て、国民の期待と責任を併せ持って、任期を命がけで全うできるリーダーを求めます。
そうしなければ、日本は内部崩壊します。

2011年12月16日金曜日

サンタクロースっているんでしょうか?


「Secret」
小さな女の子、スーザンは寂しそうな笑顔で話します。
「私、サンタの秘密知っているの・・・
(ほんとうはね)サンタはいないんだよ」

映画『34丁目の奇跡』(原題:MIRACLE ON 34TH STREET )は、小さな女の子、スーザンの寂しい告白から始まります。
スーザンは、大好きなママから
「サンタはいない」
と教えられますが、スーザンをとても大切にしてくれるママの恋人ブライアン、そしてサンタを自認する愛溢れる老人クリス・クリンドルとの出会いによって、
「Believe」
サンタクロースを信じる事ができるようになり、そしてとても素敵な夢が叶います。

サンタクロースは本当にいるのでしょうか?

『サンタクロースっているんでしょうか?-子どもの質問に応えて-』(偕成社)という本があります。
1897年9月21日、8歳の女の子からの切なる願いを受けたニューヨーク・サン新聞が、『社説』で応えた文章に、美しいクリスマスのイラストが添えられています。

特に感銘を受けた文章を抜粋します。
----------
そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や人への思いやりや、真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです。
あなたにも、分かっているでしょう。世界に満ちあふれている愛や真心こそ、あなたの毎日の生活を、美しく、楽しくしているものなのだということを。
もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなに暗く、淋しい事でしょう!
あなたのような可愛らしい子どものいない世界が、考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて、想像も出来ません。
サンタクロースがいなければ、人生の苦しみを和らげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスもなくなってしまうでしょうし、私たち人間の味わう喜びは、ただ目に見えるもの、手で触るもの、感じるものだけになってしまうでしょう。
また、子ども時代に世界に満ちあふれている光も、消えてしまうでしょう。
----------

私もこの問いかけにハッキリと答える事が出来ます。
『サンタクロースはいます』
愛する人がいて、その事に感謝し、愛する人に真心をプレゼントする。
『ありがとう』の一言でいいのです。
その時、私たちがサンタクロースなのです。
愛を贈る人、贈られる人、そして愛に満たされる人、すべての人の中にサンタクロースはいるのです。そして、いつでも誰でも、サンタクロースになれる、私はそう信じています。

『信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです』
(新約聖書ヘブル人への手紙11.1)
私の信仰の根幹となる御言葉です。


※映画『34丁目の奇跡』(原題:MIRACLE ON 34TH STREET )

1947年アメリカ作品で、その後度々リメイクされています。私は1994年にリメイクされた、名監督であり名優であるリチャード・アッテンボロー主演の本作を映画館で観ました。
アメリカの一ドル紙幣に記された"In God We Trust"「我々は神を信じる」は、アメリカの信仰の根幹です。この映画では、同様に目には見えなくても愛で満たしてくれる存在、サンタクロースを『私たちは信じる』と高らかに謳い上げます。
クリスマスシーズンのニューヨークの風景はとても美しいです。その美しい風景の中で繰り広げられるファンタスティックな物語を、クリスマスの夜、家族で一緒にビデオ鑑賞されては如何でしょうか。きっと、家族みんながサンタクロースの愛情一杯の贈り物で満たされることでしょう。

2011年12月11日日曜日

皆既月食を観ていて、首痛めました。。。


お早うございます。
今日は6時起床、外に出ますと、まだまだ暗い空の北西、低い空に満月が美しく輝いていました。

昨夜は皆既月食を観てました。
21時過ぎに一度天上を見上げますと、月の東端の光が揺らいで見えました。食が始まったようです。
そして22時40分頃から半分以上食が進んだ月を見上げていました。皆既月食になるまでずーっと。。。
二階の南向きのベランダに出て、天上を見上げると月は真上にありました。コンパクトカメラを上に突きだして、その姿勢で待つ事30分。。。
レレ。。。私はアホですね、皆既日食のように光がフッと消えて月が空に消えるものと思っていまして、横でいっしょに観ていたさくらが、
『お父さん、もうなってるんとちゃうん』に対して
『いや、まだや』と月が朱に暗く染まってもその無理な姿勢を続けていました。
そしてもう首が痛くて我慢できなるなり、月にお別れを云って、寝ました。

朝刊、朝日新聞の一面に、青い光に照らされた通天閣と頭上の月が皆既月食になるまでの多露光写真が掲載されていました。

何故に皆既月食で『朱に暗く染まる月』が観られるかというと、
①満月期の月が地球の影にすっぽりと収まってしまう現象が皆既月食です。
②でも地球の大気が凸レンズの役目をし、太陽の光は地球の大気で屈折、影の部分に弱い光が届きます。
③光のスペクトルで波長が長く減衰しにくい赤の光が、大気を抜けて月に届き、月を朱く染めるのです。
※参照 国立天文台ページ
http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20101221/color.html

朝から天文のお勉強をしました。
『聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥』ということわざがありますが、私の解釈はこうです。
『知らない事を知る事は素晴らしい。しかし、知らない事をそのままにするのはもったいない事だ。』です。(翻っていえば『恥も外聞もない』のです)私の信じる言葉です。

次回の皆既月食は、2014年ということです。三年後、また美しい天文ショーが観られる事を期待します。

2011年12月7日水曜日

三日酔い。。。


お早うございます。
今日は、ほんとよく冷えますね。この冬初めて冷気の帳を感じます。
でも背中と足さえしっかり保温すれば、この程度の寒さ、気持ちがシャンとして良いです。

昨日は、職場について体を動かし始めて、異変?に気付きました。そう、まだ酔いが残っていたのです。でもそれは『酔いの感覚』でした。仕事には全く支障なかったですよ、ねチームメイトの皆さん。。。
昼休憩の時に、マックスバリューで毎日選ぶ弁当とそして尾道らーめんを食しました。一気に平らげると、お腹が落ち着き、そして私の『三日酔い』は終わりました。

実は昔も同じことがありました。25、6歳の頃だと思います。
私には大阪で一軒だけ馴染みの店があります。『スナック東』です。23歳の頃、先輩に連れて行ってもらってから大阪滞在中はホント三日に一日はいってました。業界人が多く訪れ、そうNEC、富士通、IBMの人が集ってました。それから当時関テレが近くにありましたので、関テレの人も来ていたそうですが、私は会った事ありません。
ある夜も仕事を終えた後、『スナック東』で飲んで歌ってました。私は水割りが好きではなく、ロックもしくはそのまま飲んでいました。痛飲、それが私の飲み方でした。その日は3時過ぎまで飲んでから店を後にし、近くの定宿『ホテル関西』で仮眠。そして朝、出社しました。当時は心斎橋にオフィスがありました。
9時頃、スッキリした気持ちで仕事を始めかけたのですが、胃の中のアルコールがまだ分解されていなかったようで、10時頃になると顔は真っ赤になりろれつが回らなくなりました。回りの同僚やら後輩が笑っています。私にとって良かったのは『鬼の先輩』が朝から外出していた事です。もうどうしようもなく、酔いが醒めるまで、非常階段で寝てました。

ま、こんな私ですが『三日酔い』は珍しい出来事です。うん、まだ若いと喜ぶべきか、『寄る年波には勝てぬ』と悲観すべきか。。。いやいや、どちゃでもいいことやんかと笑い飛ばすのが一番ですね。

2011年12月5日月曜日

『さくらカレー』と『エーデルワイス』


昨日は、耕太郎、妻そして私が祝会で家を空けていたため、さくらがカレーを作っていました。
朝、というか9時過ぎに寝間から抜け出し、からからの喉を潤すために台所に行って水やら牛乳やら一杯飲んで。。。暫くすると無性に腹が空きました。私の酔い覚めの合図は空腹を憶えた時なのです。
そして一皿取りだし、炊飯ジャーからご飯を少なめに盛って、『さくらカレー』をたっぷりとかけてペロリと食べました。ううう旨い!そしてお代わりしました。

それからテレビをつけて、NHK-BSアーカイブス『ヨーロッパアルプストレッキング紀行 幻の花エーデルワイスを探して ~オーストリアアルプス~』を寝転んで観てました。
斉藤由貴さんを自然写真家小口和利さんがエスコートしながら、オーストリアの国花であり私たちにとってもとてもなじみ深い歌『エーデルワイス』(ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の挿入歌)で讃えられる花、『エーデルワイス』に出会うため、美しいオーストリアアルプスの名所をトレッキングします。
斉藤由貴さんて、お幾つになっても(といってもまだまだお若いのですが)とても可愛い女優さんですね。休憩中また宿泊のホテルで、小型のスケッチブックに様々な画材で心に留まった風景を描いて一文を添える。その絵、その一文がまた良いのです、とてもホッとするのです。。。
そしてスルツェナウ氷河のトレッキングで『エーデルワイス』に出会います。
『エーデルワイス』、気高い白、という意だそうですが、岩の斜面に小さな花を咲かせていました。本当に小さな花、ですが花弁はベルベットの様にふっくらとして色は白く、雄しべは星のかたちをして、『王冠と白いマントを着けた小さな王様』でした。
その花と出会った斉藤由貴さんが、何とも言えないホッとした表情を浮かべて、頬に一筋の涙を見せた時、観ていたこちらまでうるうるしてしまいました。
因みに再放送は、6日午前1時5分の様です。今22時55分だから、2時間10分後ですね、頑張れる人、どうぞ観て下さい。

テレビを見終わって暫くしてからパソコンに向かい、夕方近くさくらが帰って来たので、『さくらカレー』大変美味しかったと話しました。それから遅い昼食に『さくらカレー』を今度はご飯も大盛りで食しました。今度は生卵とほうれん草をトッピングしました。
食べてから、さくらに尋ねました。
『さくら、お前イモ、皮むかんで入れたやろ』
『時間がなかったからしかたないやろ(>o<)』
『いやちゃうねん、あのイモのシャクシャクした食感、良かったんや。。。』
いやホント、目から鱗でした。これまでむくのが当然としてましたが、皮の食感と何より皮と身の接触面がほっこりではなくしっとりとして、初めてのおいしさでした。
うん、これはいける、これからは皮付きで全部作ろって思った次第です。

p.s.
それから、昔一度だけトレッキングした事を久々に思い出しました。
新婚旅行でニュージーランド南島のワナカ湖畔に数日滞在した時の事です。
ワナカ・ロブロイ氷河トラックハイキングに参加し、氷河を望む丘に登りました。そこには何と黄色い花が咲き乱れていたのです。空は真っ青でした。本当に美しい景色でした。
【ロブロイ氷河】(1991.3.3やったかな撮影)

 【レイク・ワナカ湖畔】(1991.3.4やったかな撮影)



-----
NHK-BSアーカイブスのページ
http://www.nhk.or.jp/archives/

自然写真家小口和利さんのフォトギャラリー
http://kazutoshioguchi.com/