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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2011年6月7日火曜日

短編小説3 『鳩と戯れる男』~偽善者が登り詰められる国の怖さ~

ある国の話です。

その国は55年間、独裁者に支配されていましたが、独裁者の世継ぎが凡庸であった事が幸いし、その虚をついて民が立ち上がり独裁者を追放しました。

民達は、国をどの様に治めればよいか話し合い、話し合いの結果、一つの町、村からそれぞれ代表者を一人選んで、共和で国を治める事にしました。

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その国の中で、最も小さな村がありました。村人は10人で、みんな純粋な人々でした。しかし、村は貧しくもありました。

ある日、その村に一人の男が訪れました。その男は清潔な衣服を身につけ、肩には一羽の真っ白な鳩が留まっています。

男は物腰が柔らかく博識でした。村人から相談があると丁寧に応えました。また、村には橋がありましたが、大変傷んでいました。男は沢山の金貨を出して、その橋を立派な橋に架け替えました。
いつか村人達は、男を頼り、崇めるようになりました。

そして、男はその村の代表者になりました。

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それぞれの町、村の代表者が一堂に会して話し合う集会所は、その国で一番大きな町にありました。
1000人の町からも、100人の村からも、それぞれ一人ずつ代表者を出して、集って国のため、民のために働いていました。

その町に、男は清潔な車に乗って、沢山の鳩を伴って現れました。

男は小さな村で行った様に、他の代表者の相談に応え、金貨を与え、すぐに頼られる存在となりました。

国を治めるという事は、大変に責任が重く、時には辛い思いをしても行わなければならない仕事です。

男を頼るようになった他の代表者達は、いつしか、それぞれの町、村の代表という立場、責任を忘れて、男を崇拝するようになりました。

ある日男は代表者達を呼んで言いました。
『あなた方の責任をすべて私が引き受けましょう。』
『ただ、代表者を選んで共和で国を治める今の仕組みでは、あなた方は、今お持ちの地位も優雅な暮らしも失うことになります。』
そして
『あなた方のために仕組みを変えましょう。わたしを王にして下さい。そしてわたしとともに、この国を治めましょう。』

反対する者は一人もいませんでした。そして男は王になりました。

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男は王になって最初に国中に、あるお触れを出しました。
一冊の本を焚書にするというお触れです。

その本には、昔、独裁者を民が団結して追放した事柄が書かれていました。
そして、独裁者が掲げていた紋章も描かれていました。

その紋章には『純白の鳩』が描かれていました。

2011年6月6日月曜日

6月4日に伏見中との間で行われた2年チーム戦観戦記

6月4日(土)は、加古川市立志方中と奈良市立伏見中が来校され、練習試合が行われました。第2試合、来校中学同士の試合の後、続けて、伏見中と鹿島中の2年生部員による5イニング戦が行われました。

写真ギャラリー

伏見中は、昨年11月6日(土)にも来校されています。(私はその日は他用で欠席でした)その日も現2年生(当時は1年生)同士の試合が行われています。
私が鹿島中野球部の現2年生部員の試合を観戦したのは、昨年12月23日(木・天皇誕生日)に大原中で開催された平成22年度大西杯1年生大会以来、2度目でした。

試合開始から、グラウンドには選手達の盛んな声が飛び交い、シュアなバッティング、溌剌としたプレーが随所に見られました。
鹿島中野球部の次代を担う部員達、グラウンドを駆け回る彼らは逞しく成長している、そう実感しました。

7月からいよいよ彼らのチームがスタートします。2年生15名+1年生7名の22名が、藤原監督、久下部長の指導のもとで、新たなる鹿島中野球部、一朶のチームを作っていく、その力強い足音が聞こえてくる試合でした。

p.s.
この1年間、主体で試合をしてきた3年生が、試合の裏方(審判、バッタボックスのならし、ボールボーイ等)をつとめていました。この時期によい体験をしたと思います。

残り試合、選手として主観的になるのはやむなきことですが、もう一人の私(客観的に自分やチームを見守る)の眼を持って、冷静な眼を持って、自分自身をチームメイトをチーム全体を鼓舞し盛りたてて下さい。
失敗した或いはピンチの時こそ、大らかさと大胆さで切り抜けて、最後には勝利の女神を振り向かせ微笑ませる、逞しい君たちの試合を見せて下さい。

耕太郎のいない『グラウンド』の風景

私は、耕太郎が少年野球に入ってから、この5年余り、少年野球、そして現在は鹿島中で中学野球を見続けてきました。『試合記録』と称して、大袈裟ないいようですが、できうる限り多くの試合を写真で記録したい、そう思って常にグラウンドの片隅で、スタンドで試合開始から終了まで、シャッターを押し続けてきました。写真枚数にして、約13万枚になります。

一昨日、鹿島中で加古川市立志方中と奈良市立伏見中が来校され練習試合が行われました。第2試合、来校中学同士の試合の最中、鹿島中野球部監督藤原先生と暫し談笑しました。

藤原先生が『子供を持って、わかった事があります。親になって写真やビデオで常に我が子を撮り続けている気持ちがわかりました』そういう内容の話をされました。
私はその時『もし野球に携わる事がなければ、子供の写真と姫路城の写真しか撮っていませんでした』と応えました。
でも、ハタッと気付きました。私がやっていることは、すべて引っくるめて、耕太郎の成長記録であるという事をです。

昨年、新チームをサポートする父母会の役員決めの時、私は、不相応にも会長役に手を挙げました。理由は二つあり、その一つが、2年生11名の野球を常に身近で観たい、写真で記録し、彼らみんなに残したいという思いでした(身勝手で押しつけがましい考えです)。しかしその気持ちには、悪意はなく、本当に息子を含めた11名の応援団長になりたかった、そして、野球を知らず、人付き合いも悪い私が、そういう立場で関わるには会長になるのが手っ取り早いと思いました。全く軽率な行動であったと今になって思っています…。

でも、藤原先生との会話の後、『みんなの試合記録』というのは、私の詭弁であったと気付きました。というか、一番はじめ、写真を撮り始めた5年前の記憶を思い出しました。
耕太郎の成長を写真で撮りたいという思いです。

伏見中戦では、中堅手である耕太郎が真っ直ぐに伸びてくる打球に反応できず三塁打とし、その回2点を先取されました。そして落ち込んだ耕太郎は以後、声もでず、これが原因のすべてではないでしょうが、他の選手まで伝染したのか軽率な失策が続き、結果、6-1で負けました。

そして、昨日、稲美中に遠征しての最初の試合、明石市立朝霧中戦で耕太郎はスタメン落ち、結局その試合、出番はありませんでした。打てない、守れない、泣き言を垂れるでは他の選手の士気に影響します。使えない、そう思います。
また、昨秋で同じ状況なら、耕太郎の不甲斐なさには怒りを感じるものの、試合が始まれば、気持ちは試合に集中出来ていたと思います。

しかし、昨日の朝霧戦では、奥歯を噛み締めながらシャッターを切っていました。中学野球、耕太郎のいる鹿島中野球部の試合は、最後の中体連野球大会と、それまでに予定されている練習試合が8つ(昨日の試合を含めて)です。その大切な1試合に、グラウンドに耕太郎の姿がない。なんとも言えない気持ちが試合中ずっと込み上げてきました。

こういう気持ちで、残り試合を見守っていくことになりそうです。
耕太郎が野球部を引退するとき、私の『耕太郎 成長記録写真』も終わりにします。

p.s.
カメラも随分がたがきました。特にシャッター機構は耐久性能を遥かに超えてしまっているのでそうとうがたついています。また、5月22日、雨中の試合(途中、激しい雨になり中止)で防水でないカメラを雨にさらしたために、電気系統に不具合が生じています。そろそろ過酷な使用から解放してやろうと思います。

でも、最後までカメラが保ってくれるか、カメラの踏ん張りに期待です。

連中の息子『啄人』が、北信越学生10番目の剣士として、第59回全日本学生剣道選手権大会に出場!

友人であり、一本松連中である谷川の息子『啄人』が、北信越学生10番目の剣士として第59回全日本学生剣道選手権大会に出場します。

(毎日jp)剣道:北信越学生選手権

昨日の鹿島中PTA除草作業を終えて、野球部が稲美中へ練習試合に向かう準備をしていた時に、谷川の奥方が駆け寄ってこられ、吉報を知らせて下さいました。

啄人は、私の長男と同い年で、彼が生まれたときから知っています。
親父(博也)は中学から剣道を始め、現在も剣の道にいます。

啄人は、小学から剣道を始め、鹿島中では剣道部の主将を務め、以後、滝川第二、そしてこの春から、福井工業大学に進みました。(実のところ、啄人は体育系に進み、私の息子遼太郎は?という状態で、高校に進んでからの啄人の活躍はほとんど知りませんでした)

息子同士には、共通点があります。後頭部の側面(左右が違います)が絶壁である事です。
幼子の時は、それがおかしくもあり、嬉しかった。

啄人には、こうして応援するしかできないですが、心から啄人の全日本学生剣道選手権大会出場を祝い、また喜びたいです。

啄人には、7月2-3日、大阪府立体育館で開催される全国大会で、溌剌と己の剣に向き合って欲しいと思います。

2011年6月4日土曜日

第2回全日本少年春季軟式野球大会が9月開催、複雑です…

中学野球には、夏の甲子園に相当する大会が二つあります。
全日本少年軟式野球大会(中等部の少年が出場、クラブチーム出場、中学校もクラブチームとしてエントリーすれば出場できる)と、
全国中学校軟式野球大会(中学校野球部出場、中体連軟式野球大会、第6回大会から持ち回りとなった)で、例年8月後半に、2大会が一週間おきに開催されます。

高砂市では、

全日本少年軟式野球大会第5回大会(1988年):松陽中学校

全国中学校軟式野球大会第5大会(1983年 横浜スタジアムにて開催):宝殿中学校
全国中学校軟式野球大会第14回大会(1992年 石川県金沢市にて開催):鹿島中学校

の3校が、優勝校として、それぞれの大会の歴史に学校名を刻んでいます。

高砂市は中学校が7校という小規模の市です。この高砂市から3回も全国大会を制した歴史がある事は、驚くべき事実であり、また高砂市民として誇れる歴史であると共に、未来に向かっての可能性、希望も広がります。この事実は、鹿島中学校野球部に関わる様になって知りました。野球をされている方には、知っていて当たり前のこのなのでしょう。
でも野球に関わりがなく過ごしてきた私は、本当につい最近知った歴史です。

さて、本題ですが、
昨年から高校野球の選抜大会を標榜した大会、文部科学大臣杯全日本少年春季軟式野球大会が3月(春休み期間中)に開かれる様になりました。新チームを結成して半年を経た1・2年生(4月から新2年生・新3年生)が出場する大会で、開催地は静岡県です。

今年も第2回大会が予定されていましたが、3.11の東日本大震災があり、大会は延期となり、今秋9月22日からの開催になりました。
※大会主催:財団法人全日本軟式野球連盟HP
第2回全日本少年春季軟式野球大会大会概要

大会概要に
・出場クラス:中学生(1、2年生(新2、3年生))※今回に限り新1年生の出場も認める
と書かれています。
昨年秋から、冬にかけて行われた予選大会を勝ち抜き、春季大会のキップを掴んだチームの現3年生は出場できなせん。

中学野球は、新チームが結成される7月からスタートして、
秋の主要な大会が10月~11月に開催
12月~2月は冬トレに当てられ
4月から地方大会や夏の全国大会予選、そして中体連と4月から6月までスケジュールは一杯です。
連盟も苦慮されたと思います。ですが、全国大会のキップを掴んだチームの3年生の事を思うと複雑です。

6月に練習試合をさせて頂く、HIKONE JBoy'Sさん(滋賀)、田原本中学野球部さん(奈良)の二校は、この第2回全日本少年春季軟式野球大会の近畿代表チームです。

夏の第28回全日本少年軟式野球大会(浜甲子園)でも、HIKONE JBoy'sさんは準決勝まで駒をすすめられ、優勝された竜王ジャガーズさんと対戦されました。また、田原本中学校野球部さんは優勝された八木中さんと準決勝で対戦されています。
共に強豪校であり、素晴らしいチームです。

因みに、今日6月4日、大阪にて近畿代表チーム2校を決める近畿大会が行われます。

私は、鹿島中野球部の部員が、HIKONE JBoy'sさん、田原本中学校野球部さんと対戦できる幸せを噛み締めて欲しいと願います。
感謝して、そして全力で戦い、頂を登り詰め、勝ちに行って欲しいと願います。

2011年6月3日金曜日

鹿島中野球部、今日は午前中『高砂球場』で練習しました。

鹿島中創立記念日であった今日、久下部長のはからいで、午前中、『高砂球場』で練習することになりました。

藤原監督から電話を頂き、練習終了までの約1時間、三塁側ダッグアウトに入って、練習風景を見守りました。ダッグアウトの中は、洞穴の様、チームメイトを鼓舞する怒声や、指示する声が響いていました。

私が見守ったのは2・3年生が2チームに分かれての実践形式の練習です。

いや、しかしダッグアウトから観るグラウンドは、スタンドから観る景色と全く違う。広々としていました。三塁側ダッグアウトからだと、ライトスタンド後方の石乃宝殿の壁面が迫ってくる様で、迫力がありました。

また、高砂球場はファウルグラウンドがとても広い、その事は理解してはいましたが、ダッグアウトからだとさらに遠い、マウンドもバッターボックスも非常に遠い、本当に、どでかい声で、心に響く声で、言葉で声援し続けなければフィールドに散らばる選手達にはなかなか届かない、そうも実感できました。

また、ダッグアウトはゲームに出場する選手達の控えの場所であり、普段は、まだ微かに幼さの残る部員達も、ベンチ内ではきびきびと動き回り、緊張感さえ漂わせていました。

ここは、『彼らの聖域』だと、改めて感じた次第です。

6月24日(金) から始まる中体連野球大会では、いつもの観戦場所、バックネットの一塁側切れ目、三塁ベースからホームベースの線上に位置するスタントで、彼らの勇姿を見守りたいと思います。

2011年6月2日木曜日

鹿島中野球部 現チーム活動のクライマックスへ突入です!

現チームの活動も1ヶ月を切りました。高校野球の夏の甲子園に匹敵する(負ければそこで中学野球が終了するという意味でです)中体連野球大会が6/24(金)から始まります。

今週から本大会までの間に、10試合の練習試合が予定されています。
今週初め5/29(日)滋賀県遠征で近畿中等部倶楽部ベスト1のチームHIKONE JBoy'sさんとの練習試合が台風の影響により流れてしまって残念に思っていたのですが、今日なんと本校藤原監督から6/12(日)本校での練習試合に、HIKONE JBoy'sさんが来校される事になったと伺いました。

中体連野球大会の直前、2週に渡って、近畿ベスト1、そして2のチームと試合をする栄誉を鹿島中野球部の部員達は与えられました。本校の監督、部長に感謝するとともに、試合をして下さるチーム(HIKONE JBoy'sさん、そして奈良県田原本町立田原本中学野球部さん)に感謝します。そして、共に高砂市内で、東播で、もしかしたら県大会で、近畿大会で、全国大会で、対戦するかも知れないすべてのチームに感謝したいと思います。

さあ、クライマックスへ突入です!
大好きな野球に最後まで、真摯に向き合って下さい。君たち一人ひとりに栄光あれ!