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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2011年3月15日火曜日

Newsweek日本語版3/16号 Cover Story『思考力を奪うSNS時代』読後感想

3月12日、加西市立図書館の雑誌コーナーでNewsweek日本語版3/16号を読んだ。
発売日が3/9なので当然ながら、この度の国家的危機を招いた地震についてはなにも触れられていない。

さて、表紙を飾るCover Story
『思考力を奪うSNS時代』である。
ツイッターやフェースブックに大量のメール・・・
殺人的な情報洪水が 頭を「フリーズ」させる

その記事を注意深く読んだ。
要約すると、
・情報は必要であるが、溢れるほど大量に与えられると、脳の、情報を精査する機能、選択する機能が著しく低下するだけではなく、正しい判断ができなくなる。
・10の情報が次々に与えられるとすると、結局、脳に印象として強く残るのは最新の1、2の情報でしかない。(脳の一時記憶領域、いわゆるバッファは余りに小さい。)
・以上の様に情報を過剰に摂取する、際限なく求めようとすると結局、収拾がつかなくなる。

気に入った言葉は、
『情報の流れを止めて、小休止する必要がある』

つまり、SNS全盛期の時代において、大切な事は、
『情報収集には何らかの条件で区切りをつけて、そこまでで得た情報により考え、精査し、判断を下す』。
付け加えるならば、この作業を繰り返すことでさらに洗練された思考に辿り着くということでしょう。
私たち人間は、闇雲に突っ走るばかりではなく、時に立ち止まって、自分の責任において考え、再び歩み出す道を決定する、そういったルーティーンが必要なのだ、そう思います。


さて、このNewsweek日本版は1986年に刊行されました。当時、大阪まで通勤していた私には、タブロイド判の夕刊紙、文庫本、と並び、長時間通勤電車に揺られながら、立っていても読める貴重な雑誌の一つでした。また、Newsweek日本版は、これまでに読んでいた日本の雑誌とは、視点が違う(ほとんどの記事がオリジナル雑誌の翻訳で日本人の視点で書かれていない)のが面白く長く愛読していました。

今でも数冊スクラップしています。
主なスクラップは以下の通りです。
1995/10/25号 「保存版 NOMO 1995 アメリカに夢を思い出させたトルネード」
1995/12/6号 「ビル・ゲイツ大予言 パソコン・ソフトの帝王が語る情報革命の明日」
1996/6/5号 「御成婚から3年 雅子妃はいま・・・ プリンセスはどこへ行った」
1996/12/4号 「マイクロソフトの世紀 ビル・ゲイツの飽くなき野望」
1998/9/16号 「ホームラン! 世紀の記録へばく進するマグワイア」
2003/12/10号 「超特別保存版 シネマ!シネマ!シネマ! 本誌厳選おすすめビデオ30作。
2003冬の話題作レビュー&秘話『ラストサムライ』完全解剖」
2006/2/1号 「ニューズウィーク日本語版創刊20周年 独占インタビュー55連発」
2006/9/6号 「進化する太陽系 冥王星だけじゃない ここまで変わった宇宙の『定義』」
2006/12/27号 「硫黄島からの手紙 イーストウッド、渡辺謙、二宮和也 米批評家をうならせた戦場のリアリズム」
2008/3/26号 「丸ごと1冊 地球白書」

2011年3月14日月曜日

野球は『どこでする』スポーツか? ~顕在意識と潜在意識の話~

息子耕太郎が入部している鹿島中野球部は、約3ヶ月間の冬トレーニングを終え、3月に入ってから、毎週末、練習試合が行われています。
部員達が目指すのは、6月末までに予定されている公式戦
4/9-10 高砂春季大会
5/7-8 東播親善大会
6/24-25 中体連高砂大会
での優勝です。
何としても中学時代に公式大会で優勝し、深紅の優勝旗を誇らしげに掲げる姿を見たい、またそれをチーム一丸となって成し遂げて欲しい、そう願います。
中体連大会は、勝ち進めば、上位大会があり、長く中学野球も楽しめます。

練習試合も三日間、計6試合を消化しましたが、監督である藤原先生も昨秋までの『一から指導する』『チーム力を把握する』『作戦で勝ちに行く』というスタンスではなく、選手一人ひとりに、技術面だけではなく、君にはこの様に育って欲しい、とある意味、人生の先輩としての思いを、アドバイスを伝えられています。
たまたまエースに語りかけられているのを側で聞き、
『お前は、そんなもんじゃない、小さくまとまるな』とか、
『ピンチになれば、セットではなく、振りかぶって(自分の一番の力を出して)全力で勝負を楽しめ』、
『もし捕手との呼吸、サインが合わないのならば、受け身ではなく、自分で決めることも大切』など、野球というスポーツだけではなく、『生きてゆく』に大切なメッセージを伝えようとされていました。
エースだけでなく、個々に選手を呼んで話をし、また技術面の不足を身振り手振りで精力的に伝えようとされています。

息子耕太郎もその一人です。親バカな言い分ですが、体は強い、また守備のセンスもいい、そう見ています。ですが、頭を使わない、否、チャンスやピンチでポイントゲッターとなった場合に、ポジティブにゲームに集中できず、悪い結果に支配され、体が動かなくなるのです。残念ながら、センター守備を与えて貰いながら、ゲームセットを待たず交代させられます。6試合中、5試合を観戦しましたが、チャンスや押せ押せの場面で、すべて攻撃を潰しています。私が監督でも交代させます。幾ら投手力、守備力が素晴らしくても得点力がなく、得点できなければ、最後は負けます。昨秋までは『守り勝つ』チームが上位に進みましたが、これからの、最後の中体連までは、『打撃力』『得点力』が試合を決すると思います。

[練習試合記録写真]
3月6日(日) 加西市立加西中戦、篠山市立西紀中戦
3月12日(土) 三田市立上野台中戦 (※赤穂市立坂越中戦は別用のため撮影できていません)
3月13日(日) 姫路市立白鷺中戦、加古川市立両荘中戦
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497

これまで息子耕太郎の野球を小学4年生の時代から足かけ約5年見てきましたが、息子だけではなく、チームとして声が出ない、覇気が感じられない、そう私は感じてきましたし、共に見守る父兄も同じように感じられていました。

昨秋、加西球場で行われた東播大会ベスト4までチームにあった勢い、覇気が急激に失われ(と私は感じました)、横浜スタジアムを目指す、クラブ選手権の初戦では宝殿中の元気の良さばかりが目立ち、試合もその勢いのまま敗退しました。
その時は、彼らの状況を見て
『いつまでも、やらされている、といったスタイルでは駄目』と思いましたが、3月に入って考えは180度変わりました。
『好きなことをしているのに、勝つために、上手くなるためにすることを、しない。だからいつまでもできない。』

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野球は『どこでする』スポーツか?
意識の問題です。
人間の意識には、『顕在意識』と『潜在意識』があります。
人間の行動の9割方は『潜在意識』に左右されると辞書等に書かれています。
ネットを検索していてベストアンサーと思ったページがありました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~jams-s/saimin/hypno/ishiki/senzai.html

です。
以下はページに記載されている記述の引用です---

『顕在意識』は、決意したり、判断したり、選択する心の領域であり、望ましいこと、望ましくないことを識別する能力を持っています。(と同時に)悩んだり、不安になったり、願望を持ったりします。(頭で考えるために揺らぎや時間を要します)

『潜在意識』とは、過去における考えや、心構えや、欲望の大きな貯蔵庫で、その数百万にのぼる整理棚には毎日の生活の中で、読んだこと、聴いたこと、観察したこと、受けた印象、考えたことが貯蔵されています。潜在意識は創造的な洞察力や、直観力の無限な宝庫です。また、本質的に自在に発揮できる力をもっています。
この無限の力は『顕在意識』としての心が表面に出ている場合には、それに制約され十分に発揮されませんが、非常事態に直面した場合などには、『顕在意識』は背後に後退し、かわって『潜在意識』が思う存分にその力を発揮することになります。それが一般的に言われる、「火事場の馬鹿力」です。
『潜在意識』は批判、判断機能をもたず、与えられたものをそのまま受け取り、そのまま蓄積していきます。また現実と想像を区別することがなく、倫理時間空間の影響を受けることがありません。また睡眠中の夢、ひらめき、直感などを生み出します。

以上、引用でした---

つまり、普段から目的意識を持って、練習等に取り組み、体に当たり前の事として染み込ませる。これが『潜在意識』となり、直感的な判断、センスの善し悪しを決定づけます。

体に染み込ませられず、常に頭で、『顕在意識』で戦っている限り、判断に迷ったり、不安に悩ませられます。野球の様な瞬発力が勝敗を分けるスポーツでは、これは致命的です。

息子耕太郎は、4月で3年生になります。ですが、また14歳、遅いという訳ではありません。これから幾らでも無限に成長してくれる、そう可能性を信じています。
ただ、私のような50歳の老境から見ると、本来ならば柔軟でスポンジのように何でも吸収できる年齢の筈なのに、何かがガードしていて受け付けない。つまり『潜在意識』の成長が阻害されているようなのです。
それが何であるかが分からない。彼自身の問題ではなく、私、つまり『長き精神疾患のために、また、年齢もあいまって失業している私』のことで、それこそ彼の潜在意識に根深い不安を与えている可能性はあります。

私がまだ若きSE時代、主任になって多くの部下を預かったとき、チームは、専門的用語となりますが、私が培った技術ではない異なるOSのコンピュータ・テクニカルサポートチームでした。
今思えば、本当に阿保だったと思いますが、技術畑で歩んできた私は、OSが異なったことで新たな技術力をつけなければと焦り、またサポート手法も異なる中でのチーム運営にも戸惑い、やがて病んでしまいました。

ただその課程で、唯一ポジティブに学んだことは、自分ができない事であっても、正しいと判断すれば、指導しなければならない、ということです。
また、各担当者は、上司がどうあれ、自身の向上が第一であり、ひいてはそれがチームの利益に繋がるということです。

このことを、息子に伝えたい、また息子だけではなく、大切な部員達全員に伝えたいと思います。

3/12 3回目のおはなし会を終えての感想

先週土曜日、3/12 14:00から3回目となるおはなし会の朗読者として、図書館キッズコーナーで2冊の絵本を読んできました。

絵本は、予定通り、
スーザン・バーレイさん作・絵『わすれられないおくりもの』
トーベ・ヤンソンさん『ムーミンのふしぎ』
を朗読しました。

今回、朗読に当たって二つ試みました。
ひとつは、いつも図書館員さんが始まりの挨拶、終わりの挨拶等司会進行して下さるのですが、任せて下さったのか、14時前に朗読コーナーに入って、顔なじみの子ども(モトアキ君)と話をし、14時の開始から挨拶、そして今日読ませて頂く本の簡単な紹介をして、朗読に入りました。
特に、最初に読んだ『わすれられないおくりもの』は、大切な人との別れ、そして再生という話で、子どもたちと共におられた保護者の方々に、震災についても少し触れ、この本を読ませて頂く気持ちを伝えました。
また、いつもは子どもたちが座る背もたれのない低いクッションの効いた椅子と対面した背の高い椅子と机に本を立てて朗読を行っていましたが、前回の文字が見えない、ということの対策と、また子どもたちに本に触れて欲しい、身近に眺めて欲しい、という思惑から、私が座る椅子の周りに子どもたちが座る椅子を配置して、私の前の椅子に本を直に置いて、私が文字がしっかりと見え読めるように、そして興味を抱いてくれた子どもたちがのぞき込んで本を見られるようにして、行いました。
実際のところ、私の周りに座ってくれる子どもたちにしか本が見えないという問題もあり、どうしようかと直前まで悩んだのですが、現状の私ではこのスタイルが最善であったと思います。
両本とも約15分、丁度終了の14:30に読み終え、終了の挨拶ができました。
始まりの頃は、子どもたちも数名であったのが、途中から回りに大勢集まってくれているのが気配で分かりました。
できる限り、子どもたちの顔を、目を見ながら朗読しました。
子どもたちにとって、今回読んだ本が、わすれられない本となってくれることを願います。

おはなし会の直前、モトアキ君と話をしました。
『ムーミンってしってる?』『ううん』、でもモトアキ君は本をめくり、スナフキンが釣りをしている絵のところで、釣りに興味があることを話してくれました。
そして、もう一つ、『ゆれるばかりでアニメが見えない』、何度も聞き返し、昨日の地震発生から、テレビのすべてのチャネルが地震の特別放送に切り替わり、楽しみにしていたアニメが見られなかったことを、一生懸命に伝えようとしていたことが分かりました。

小さな子どもたちにとって、毎週、もしくは毎日楽しみにしているアニメが見られないことも、今回の震災の悲しみ、そう感じました。

2011年3月12日土曜日

寒い朝です・・・

6時過ぎ、学校でソフトボールの練習試合があるというので、娘を姫路まで車で送りました。車外の気温はなんと零度、田も畑も、屋根も霜で真っ白です。3月も半ばというのにこの寒さは如何したことか?昨日も早朝表に出ると、車のフロントガラスや屋根、庭の影の部分などが薄ら雪化粧していました。

平成7年1月17日(火)、阪神大震災に被災した直後は、暖かい布団の中でした。また、家は酷く揺らされましたが、壊れる(実は、後、検査をしてもらったら、柱の組合せが緩んだり外れている箇所が見つかり、補強金具で修繕してもらっています)までには至らず、現在も住み続けています。

昨夜は、特に東京近郊では公共交通機関がすべてストップしてしまったために、多くの帰宅難民が生まれ、自治体が避難所を開放して収容するも、毛布が足らないとか、暖房が足らないとか、停電でしかも氷点下の中で、地震の恐怖もあいまって、長い夜を過ごされたことと思います。

テレビは各局とも、地震発生直後から、CMなしでずっと災害状況、安否状況を放送し続けています。昨日、危惧していた、災害の大きさ、被害の甚大さが次々と明るみになってきいます。
津波で多くの町、集落が壊滅し、美しい三陸海岸から房総半島にかけては、酷く傷つけられました。明け方には、長野や新潟でも震度6の地震が発生。被害のエリアは尚も広がっています。

事態を注視したいと思います。

2011年3月11日金曜日

『東北・太平洋沿岸地震』に、言葉を失いました。

クライストチャーチ大震災、日本を含め、多くの海外援助チームも早い段階から参加して、救出活動に取り組みました。
しかし、特に地震の非情さを物語る、英会話学校が入っていたという6階建てビルの跡形もなく崩壊している様、また町のランドマーク、大聖堂の無残な姿に、救助の困難さ、そして刻々と時間が過ぎて、ついに救助活動を断念しなければならなかった無念さ、被災された方、家族を失われた方、救助活動に尽力された方々の悲痛は如何ばかりかと察していたところ、
今日の午後、もしかしたら近代史において最悪となるかもしれない大震災が、この日本で発生しました。

私は丁度、息子の大学入学手続のため、閉店間際の銀行や郵便局を駆け回っていて、そのニュースを知りませんでした。というより、いつもカーラジオで聴いているKiss-FMで、『三陸沖で大地震発生』というニュースは聴いたものの、最近の群発地震ニュースの一つぐらいとしか取り合わず、聞き流していました。
自宅に戻ると、姉から電話があり、すぐテレビをつけてみてと言われて、テレビを見、事態の深刻さを理解しました。
午後2時46分頃に発生した地震は、最大震度7、マグニチュード8.8(一説には8.9) 、日本列島に沿って約400㎞にわたってのプレート崩壊による、北海道から関東沿岸まで震度6以上を記録する大震災となりました。日中ということもあって、津波の猛威が何度もテレビで繰り返されました。羽田も成田も閉鎖されていました。JRも私鉄も新幹線も、そして高速道路もすべて止まっていました。そして千葉では、ガスコンビナートが黒煙と火炎で夜空を焦がしていました。

阪神大震災は、平成7年1月17日(火)、3連休明けの早朝5時46分に発生しました。
生まれてまだ2ヶ月の長女さくらがミルクをせがみ、妻が寝室の隣の部屋に連れて行ってミルクの準備をしている最中の出来事でした。ドン!という強い押し上げの後、振幅の長い横揺れが数秒間続きました。妻がとっさに、さくらを抱きかかえて、寝室に駆け戻り、私は長男遼太郎を脇の下に寝かせて、揺れるタンスを必死に支えました。突然、ステレオのスピーカーが空中を舞って、先ほどまでさくらが寝ていた場所に落ちました。
時間が長く感じられました。揺れが収まると、タンスは数㎝動いていました。暫くしてラジオをつけると『阪神高速が横倒しになっている』という信じられないニュースが耳に入ってきました。それからの一ヶ月は、悪夢でした。
震災直下で亡くなられた方、震災後様々な身体的、心的苦痛に苛まれて亡くなられた方、約6千5千名。被災者約10万名。これほど酷い災害はもう生きている内は経験することはない、そう思っていましたが、予想は呆気なく裏切られました。

今回の地震は『東北・太平洋沿岸地震』と命名されたようですが、夜を徹して救助活動は続けられ、明日にはさらに甚大な被害状況が白日の下にさらされるでしょう。
何より危惧する事態は、福島の原子力発電所群のダメージです。政府もいち早く、この問題に対しての特別対策チームを発足させました。

しかし、施設のダメージも分からず、また炉心を冷却できなければメルトダウンを引き起こし、スリーマイル島やチェルノブイリ以上に深刻な放射能汚染を引き起こすことも考えられます。ロシアやアメリカが地震直後に直ぐに支援の手を差し伸べた主たる理由はこれだと考えます。東北の豊かな資源や、三陸の豊かな海洋資源、また太平洋の潮の流れを考えれば地球規模の放射能汚染へと拡大する可能性すらあります。

日本は、現在未曾有の不況化にあります。否、新たな転換期を迎えていると言っても過言はないでしょう。この未曾有の大災害を、友好の強弱ではなく、手を差し伸べてくれるすべての国家を迎入れて、協力し合い、日本国民の災害復興とともに、世界規模の災害となりえる事態を、知恵を出し合い、工夫し、助け合って、最小範囲に食い止める。これこそ、戦争では決して成すことができない、共栄のための試みだと考えます。

私たちは、地球という母なるガイアの薄っぺらい地殻の上で、すべての生命と共に共生しています。しかし、その事実は、災害に見舞われなければ、なかなか気づこうとはしません。
私たちの命は、計り知れないほどに重く、そして儚いことを決して忘れてはいけない、そう思います。

今は、地の怒りが静まること、放射能汚染という最悪のシナリオが破棄されること、最小の被害で収束することを、願います。

2011年3月7日月曜日

いよいよ、おはなし会担当日が近づいてきました。

三度目となる、おはなし会(絵本朗読)担当日(3月12日(土)14時~図書館絵本コーナー)が近づいてきました。
朗読を予定している絵本は、
スーザン・バーレイさん作・絵、小川仁央さん訳『わすれなれない おくりもの』
そして
トーベ・ヤンソン『ムーミンのふしぎ』です。
『ムーミンのふしぎ』は3月2日に、漸く朗読ビデオが完成し、YouTubeにアップしました。


因みに、『ムーミンのふしぎ』ですが、この世に存在する美しいもの、大切なものは、じっと見て、しっかり覚える事により、心象風景として頭の中に、心の中にしっかり刻み込まれ、それは失われることもなく、色あせることもない、永遠に記憶に留める事ができる。登場人物であるムーミン谷の賢者スナフキンが、一途な少年ムーミンの疑問に明瞭に答えます。それがこの物語の伝えたい事でもあります
この話は、現代に生きる私たちこそ、真摯に耳を傾けなければならない、真理だと思います。
ムーミンとその仲間たちが楽しく物語を演じてくれるので、小さな観衆もきっと物語を楽しんでくれるのでは、と期待しています。

朗読ビデオを作成するようになって、特に著作権の問題に思いっきり踏み込んでいること、十分に理解しています。
弁明にしかならないのですが、
たとえば、ある人は、幼子たちに朗読する場合、作者などにはふれず(幼子には、説明不要)、またどなたが読まれても、同じように伝えられる、スタンダードな朗読手法を推奨されるとします。
ですが私は不満です。
私は、自分が読んで、観て、触れて、知って感動したことを、具体的に表現して伝えたいと思っています。
また、観衆は幼子たちだけではなく、その保護者たちもです。毎日、毎夜、幼子たちのお気に入りの絵本をせがまれ読まれている方たちです。一遍通りの読み方よりも、たとえば、作者がどの様な経歴を持ち、どの様にしてその作品を作ったかを知れば、より深く物語に向き合えます。物語によって読み方の表現が変わる、役者が役によって演じ方が変わるのと同じです。きっともっともっと楽しいことだと思います。
絵本以外の小説、映画、音楽、絵画、自然の風景、山や空や海などに触れ、見聞きすることにより、より豊かな表現で伝える事ができます。
その豊かな表現で、大切な幼子に物語を伝え聞かせることがきたら、どんなに素晴らしい事でしょう。

ちょっと諄い話になってしまいました、すいません。

要は、私は伝えたい物語、朗読したい物語を、私の感じたイメージにできる限り近づけて表現したい、そう思っています。それが私の楽しみであり、チャレンジなのです。絵本において、まずイメージの根幹は挿絵です。そして、物語を読んで、感じるメロディを現存する曲から探します。朗読の練習を積み重ね、背景となるイメージ画、イメージ曲が揃えば、ビデオを制作します。朗読の調子に合わせて絵や曲を切り替え、その他のメッセージ等追加によって、より具体的に伝えるイメージが固まります。その到達点が朗読ビデオなのです。(ですから、著作権をお持ちの方、どうか広い心で観て下さいませ。m(__)m)

私は、おはなし会の趣旨がそうであるように、一人でも、私の朗読劇、朗読ビデオが切っ掛けとなり、本の世界、音楽の世界、絵画の世界、映画の世界に興味を持ってくれたらと願います。
そしていつか、彼ら、彼女らは本物に出会うでしょう。本物は、仮想よりも何千倍、何万倍も感動を与えてくれます。その魅力に彼ら、彼女らが心を奪われてくれたらと期待して止みません。

クリント・イーストウッド監督最新作『hereafter(死後の世界)』映画感想

『hereafter(死後の世界)』、80歳にして尚、未知のテーマに挑む、挑戦者クリント・イーストウッド監督の最新作品を観てきました。

物語は、
パリで、ジャーナリストとして名声を博すものの、東南アジアでのバカンスの最中津波にのみ込まれ臨死体験し、以降『死後の世界』に取り憑かれるる女Marie(Cecile de France)、
サンフランシスコで、人の手に触れることで、その人の周りに居る死者と繋がるという特別な能力に苦悩する男George(Matt daemon)、
ロンドンで、自分の唯一の庇護者であった双子の兄を突然の事故で失い、また薬物中毒の母とも引き離される孤独な少年Marcus(George McLaren)。

女は、ジャーナリストとしての名声を失うも『死後の世界』に真正面から向き合い、ロンドンで最新著書『hereafter』を刊行する、
男は、特別な能力のために好意を抱かれた女性にも去られ、地道に続けてきた仕事も解雇されて、結局、兄にその能力を利用して稼ぐことを求められたことに嫌気がさして、一人ロンドンに旅立つ。
少年は、もう一度兄と話したいという気持ちが抑えきれず、ケースワーカーや里親の心配をよそに、最愛の兄の形見である野球帽を被り、怪しげな霊媒師の集会を尋ね歩く。そして、えせ霊媒師の嘘に落胆し、さらに誰も信用できなくなる。

そんな彼女・彼らが、偶然ロンドンのブックフェアーで出会う、もしかしたら何かに導かれたのかもしれない。

少年は、男の能力によって、兄から『いつも共に居る、だから、もう誰かに助けを求めることは止めて、自分で歩め』と諭される。少年は笑顔が戻り、里親とも病院に収容されている母とも和解する。
少年は男への感謝の気持ちとして、女性が泊まっているホテルをを知らせる。
男は、女性のホテルを訪れ、不在であることで一度は躊躇するものの、伝言を残す。

そして、男と女はカフェで出会う。
男は、これまでの『死後の世界』のビジョンではなく、彼女との『ロマンス』という白昼夢を見る。二人は寄り添い優しく握手を交わす。

end roll


『hereafter(死後の世界)』が現世に影響を与える映画は、これまで度々映画化されてきました。もっとも美しいラブロマンスとして成功したのが『ゴースト~ニューヨークの幻』でしょう。そして、近代野球の黎明と、70年代のアメリカンカルチャーを取り込んだオハイオのファンタジー『Field of Dreams』は、不滅の名作となりました。

スピルバーグ総指揮、イーストウッド監督、そして現在もっとも脂がのった俳優マット・デイモンがチームを組んで制作した、この『hereafter』。実際観賞するまでは、TVのスポットCMで流される津波のシーンが印象的で、これまでのイーストウッド監督作品同様に、驚きや、深い感動を求めて映画館映写室内のソファーに身を沈めました。
津波のシーンは迫力があった。しかし、CGによる津波シーンは『ディープ・インパクト』以来、これでもかという大災害シーンに、食傷ぎみでもあるし、東南アジアの津波といえば2004年に実際に起こった『インド洋スマトラ沖大津波』の映像がCNNで何度も流され、その映像は深く記憶に刻み込まれている。本物の映像を勝ることは不可能である。

この『hereafter』は、つまるところファンタジーでもないし、オカルトでもない。イーストウッド監督お得意の『ヒューマニズム』を描いた物語です。
どこにでもいそうな普通の人々が突然襲われる精神的な不安、社会からの疎外、という現世の問題定義と、そこからの再起を、ゆっくりとした時間を掛けて、大いなるものの視点から見守る、という趣向の物語です。
ですから、近年のイーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『チェンジリング』そして『グラン・トリノ』に身悶えて感動したものとしては、カフェの出会いで、直ぐに『Endroll』が流れ始めたときは、エェ、もう終わり???と戸惑ってしまいました。

クリント・イーストウッドの作品は、初期『ダーティー・ハリー』の派手なアクションから、言葉数は少ないが記憶に残るセリフと印象的なシーン、役者の演技・仕草、手紙などの小物を利用して、観客に自由に行間を想像させる、観客が観賞して初めてそれぞれの映画が完結するという手法を取られ、それがとても効果を高めていると思います。
ニューヨーカーであり、機関銃のような台詞回しを得意とする監督ウッディ・アレンとは対極ですが、どちらも自らの手法を極められていて大変面白いと思います。

『hereafter』は、物語に振幅が少ない分、行間を想像するのが難しい映画です。フランシス・コッポラも2007年『コッポラの胡蝶の夢』という意味深長な作品を撮られていますが、ある意味、商業性を度外視した作品を作ることができる、ハリウッドにおいて、希有で偉大な存在ということでしょうか。

『hereafter』に対して、ある映画評で『晩年の黒沢映画のよう』と、辛辣な批判ともとれる内容が掲載されていました。イーストウッドには80歳であろうと、監督であり、そして希代の俳優で有り続けて欲しいと願います。彼は、『100歳になっても挑戦したい』とコメントしていますが、いつまでも挑戦者であり続けて欲しいし、『グラン・トリノ』の様に老境であっても頑固一徹の親父を演じ続けて欲しいと思います。