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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2025年7月28日月曜日

心に残るイチローのアメリカ野球殿堂入りスピーチ

 今朝、日本時間朝6時過ぎから、ニューヨーク州クーパーズ・タウンで行われるアメリカ野球殿堂入りのセレモニーで、日本出身者として初の殿堂入りとなったイチローのスピーチがLIVEで放送されました。

20分近いスピーチは、とても愛情とユーモアと、そして思慮に富んだスピーチで非常に感動しました。そのスピーチの中で、特に感銘を受けた箇所を、引用させて頂きます。


https://www.youtube.com/watch?v=HWAsHtxuSoA


子どもの頃、私の夢は常に、プロ野球選手になることでした。

小学6年生の時、それについて作文まで書きました。

もし今の知識を持って、その作文を書き直すことができるなら、

「夢」の代わりに「目標」という言葉を使うでしょう。

夢は必ずしも現実的ではありませんが、

目標はそれに到達する方法を深く考えれば、可能になり得ます。

夢を見ることは楽しいですが、目標は困難で挑戦的です。

「何かもしたい」と言うだけでは十分ではありません。

それについて本気なら、それを達成するために何が必要かを真剣に考えなければなりません。

私は書きました。

プロ野球選手になるためには、日々の練習と準備が重要だと。

目標を設定し続けるうちに、私は理解するようになりました。

一貫性が達成の基盤になるということを。

私は若い選手たちに夢を見て、大きな夢を見ることを勧めますが、

同事に夢と目標の違いを理解することも勧めています。

夢を目標にするためには、それを達成するために何が重要かを正直に考えなければなりません。


2025年7月20日日曜日

一部の有識者の思想に委ねてはいけない「違法オンラインカジノ問題」

 『社会問題と化した違法オンラインカジノ問題について、対策を検討する有識者会議は、サイトへの接続を強制的に止める「ブロッキング(接続遮断)」に関し、憲法が保障する「通信の秘密」の侵害に当たる恐れを重く見て、当面実施を見送るべきだとの提言をまとめた。』というニュースを知り、私は愕然としました。


総務省が公開している「ブロッキングによるアクセス抑止について」のドキュメントに、ブロッキングの定義が書いてありました。

以下引用します。

総務省ドキュメント:ブロッキングによるアクセス抑⽌について

https://www.soumu.go.jp/main_content/001011314.pdf

インターネット接続を提供する電気通信事業者が、 ←実施主体はISP事業者

利用者の意思にかかわらず、 ←同意を得て行うのは「フィルタリング」

通信の相手方や接続先URLを網羅的に確認し、 ←影響は全員の全通信

アクセス遮断リストに掲載されている場合は、 ←事前のリストの準備

接続を拒否すること ←「つながない」ための措置


日本以外の多くの国、ロシアや中国、北朝鮮のような専制国家だけでなく、ヨーロッパの民主主義国家の多くがサイトブロッキングを適法とする司法判断を行った上で、実行しているのがスタンダードです。


上のブロッキングの定義だけでも、個人の通信の秘密を暴くようなものではないことは明白です。様は、国民の生命の安全や財産を脅かすものは、安全保障の観点からみても排除しなければならないのは自明だと思います。セキュリティーを専門とする人々や会社は24時間365日ネット上の不正や犯罪に関する動向を監視しています。自国だけでなく、少なくともOECD加盟国と連携して、情報共有し、国民の生命の安全や財産を脅かすサイトは、双方で遮断する措置を講ずることこそが本来の措置であると思います。

そのために、有識者と呼ばれる小集団だけに明暗を預けるのでは無く、広く国民に周知して多数の賛成を得て、早急にも実施すべきです。

また、ネット上で不正や不適切なサイトへの誘導や自動的に表示する仕組みを野放しにするISP事業者や、SNSサイト運営者は、厳しい罰に処すなどの合意も取り付ける必要がります。

そうしなければ、インターネットやSNSのリテラシーが希薄な人々がいつまでも犯罪者の餌食になり続けることになるでしょう。

日本人は、第二次世界大戦の敗戦の後、犯罪的な国家運営者に日本人は酷い目に遭わされた、嘘をつかれた、誤った思想を強制されたという怨念がどうやらあるようで、国家運営者を信用しないとう癖が染みついているように思えます。

しかし、そのような過ちを再び繰り返さない為にも、一人ひとりの国民が、国民全員が、常に国民の生命の安全と財産を守るという意識を持って、国政に感心を持ち、国政に関わる気概を持たなければいけないのではないかと思います。

これは、あらゆる最近の問題に繋がることだと思います。


私は「みらい」に掛けます

 今日は参議院議員通常選挙の投票日です。

マニフェスト、うろ覚えですが2009年の第45回衆議院議員総選挙からマニフェストという言葉が注目されたという記憶があります。政党や一個人の立候補者が単なる聴き心地の良いスローガンではなく具体的な数値目標、達成目標を掲げて国民に訴えた記念すべき選挙であったと想います。そしてこの選挙で自民党は大敗し下野し、アメリカのような二大政党制を目論んで旗揚げされた民主党が勝利して、いわゆる55年間実質的に一党独裁の続いた日本の政治が大きく変化を遂げた(ようにみえた)選挙となりました。

しかし民主党は、「船頭多くして船山に上る」のことわざをなぞるように、結局はリーダーになりたい人たちの身勝手な発言がもとで、たった四年で瓦解し、再び、というか更に独裁色を強めることになる自民党が政権を担うことになりました。

そこからの十三年間、国民は萎縮し、国力は低下し、社会通念や倫理観というものが蔑ろにされ、犯罪者が大手を振って闊歩する国へと変貌してきたように思います。

そしてこの度の参議院議員選挙も、多くの既成政党は、中身のない聴き心地が良いだけのスローガンに終始するという時代錯誤の有様です。

ですから、私は「みらい」に掛けてみようと思いました。若者の集団で、本当に新しい産業というか、そういうものを創出してくれるのではないかという願い含めて、「みらい」に投票しました。彼らの社会通念や倫理観がどのようなものかは正直分かりません。ですが、他よりも「みらい」を切り開く力はある、そう踏んだのです。

2025年6月26日木曜日

個人的なことは政治的なこと

さんざ散らかりまくっていた机の上を片付けていると、一枚のメモ書きが出て来ました。
再来年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』で主人公小栗忠順を演じる松坂桃李さんが主演したドラマ日曜劇場『御上先生』の台詞を聞き取り走り書きしたものでした。

Google検索で 〈御上先生 心に残る台詞〉で検索すると、『ドラマ【御上先生】名台詞集』というタイトルのページがヒットしました。

ドラマ【御上先生】名台詞集

その台詞の中で、特に響いた台詞の箇所を あらためてここに書き記します。

個人的なことは政治的なこと The personal is political.
「言ったよね、エリートは神に選ばれた人だと。
なぜ選ばれるのか。
それは普通の人間なら負けてしまう様な欲やエゴに打ち勝てる人だから。
自分の利益のためではなく他者や物事のために尽くせる人だから。
僕はそこに付け加えたい。
真のエリートが寄り添うべき他者とは、つまり弱者のことだ。」

※キャロル・ハニッシュの言葉から
「個人的な問題は政治的な問題ということである。そこでは個人的な解決というものは存在しない。集団的な解決に向けた集団的な行動があるのみである。」

答えの出ない質問
「答えの出ない質問がこの世には沢山ある。禿鷲と少女。貧困とテロ。安楽死。それを考え続けることは、ものすごくキツいことだよね。考えるっていうのは、答えを出すためのものじゃない。考えても考えても答えが出ないことを、投げ出さずに考え続ける力のことだ。考えて」

近代デモクラシーは、デモクラシー国家の国民一人ひとりが
①政治的自由(Political freedom):自由で公正な普通選挙、公職への立候補、政党への参加などを含む政治過程への参加の自由など
②市民的自由(Civil liberties):表現・信仰・結社の自由、法の支配、個人の自律など
を持つことを保証する制度です。差別や独裁にデモクラシーが冒されぬように、監視し、制度を強化し、持続しなければなりません。しかし、これらすべての行動も、私たち国民一人ひとりが本来背負わなければならないものです。
ですから、私たち市井の国民はともすれば政治的なことはエリート任せにしてしまいがちですが、そうではなくて自分の問題として、もっと責任をもって、答えの出ない質問に向き合わなければならないのだと、この御上先生の台詞を聞いて、見て、考えさせられました。

2025年6月24日火曜日

誰か故郷を想わざる

誰か故郷を想わざる


花摘む野辺に 陽は落ちて

みんなで肩を 組みながら

歌を歌った 帰り道

幼なじみの あの友この友

ああ誰か故郷を 想わざる


ひとりの姉が 嫁ぐ夜に

小川の岸で 淋しさに

泣いた涙の 懐かしさ

幼なじみの あの山この川

ああ誰か故郷を 想わざる


都に雨の 降る夜は

涙に胸も 湿りがち

遠く呼ぶのは 誰の声

幼なじみの あの夢この夢

ああ誰か故郷を 想わざる


母が寝たきり状態になってからは、毎朝 母の枕元で般若心経と曹洞宗の経典修証義、そして新約聖書マタイの福音書第4章から第6章を諷誦しました。その後に歌を歌いました。母は歌が好きでしたので、私に取っては懐メロ、母にとっては青春時代の流行歌であったであろう歌を歌いました。特に母に思いを込めて歌った歌があります。それが「誰か故郷を想わざる」でした。

この歌は昭和15年の流行歌です。日本から遠く離れた戦地の兵士の間で、望郷の念に刺さる歌として大ヒットしたそうです。母は15歳でした。飾磨という海ベに近い町で、三男五女の兄弟姉妹の五女として大家族に囲まれ、生涯の友となる女友だちとともに青春時代を過ごしていたのだと思います。その大好きな家族も大好きな友だちも、みんな既に彼岸の向こうに旅立って、母はひとり残されていました。そんな母に、この歌が少しでも慰めになればと思ったのです。

2025年6月23日月曜日

呆けても呆けてもいんだから

 梅雨入りで雨模様が続く予報があった中での会葬となりましたが 晴れ女の面目躍如たるものなのでしょうか 空は見事に晴れ渡り 夏空の下で会葬を行う事が出来ました

昨年秋口から発熱などで体調を崩すことが多くなりまして それからは訪問診療や訪問看護のサービスも利用しながら 少しでも長く健康でいてくれるように 介助や見守りを続けてきました しかし老衰により心不全の症状が悪化していき 今年の三月三日を境に完全な寝たきり状態となりました 点滴が出来ない為に 吸い飲み器で誤嚥せぬ様ゆっくりと水分を口から与えることしかできなくなりました そんな家族の無念さや不安は 母が時間を掛けて癒やしてくれたように思います 以後三ヶ月の間 苦しむ素振りは一度もなく 清拭などの介助も効いたのか床擦れなどが悪化することもなく穏やかに生き続けてくれました

亡くなる一週間前から咽下することが難しくなって スポンジで口元を濡らすことしかできなくなりました そんな風にして命が尽きていく姿をゆっくりとしっかりと私たち家族に見せてくれました

そして令和七年六月十四日早朝二時十五分ごろ 水滴が落ちるようにスッと自ら目を閉じ逝きました 享年百一歳の生涯を閉じました

寝たきりになるまでは 如何にかこうにか 椅子に座って食事を食べさせたり テレビを一緒に見る事も出来ました 訪問看護師は母が背もたれに寄りかからず背筋を伸ばして座る姿勢のあまりの良さにいつも感心していました 昨年の秋口のことですが 診療所でレントゲン写真を取った際 母はひとりで感光版を背にして丸椅子に座ったのですが その姿を見ていた看護師たちが 「お地蔵さま」みたいと愛おしく話していたことを思い出します

母の口癖は「呆けても呆けてもいんだから」でした

認知症状が進み 自分がどこにいるのか 回りの者は誰なのか 分からなくなり始めた時は 不安を口にすることもありました でもこの言葉が口癖となってからは 不安な心も安らいだように思います

じゃんけんをすれば後出しで「勝った」とうそぶき 指を折っての足し算には一生懸命考えて答えてくれました 最後の最後まで家族を楽しませてくれた母でした

【2025年4月24日】


【2025年5月18日】

【2025年6月12日】

2025年6月14日土曜日

母郁子が、今朝2時15分頃に永眠しました。

夜半から母が横たわる介護ベッドの側で見守っていた姉は、その瞬間の様子を、水がすっと落ちるが如く、また鹿威しが水が満ちてコツンと切りの良い音を立てるが如く、瞬間にスッと目を閉じ、それに呼応するように、胸のかすかに続いていた揺れも止まったとその情景を描写しました。すぐに家族は銘々の部屋から母が眠る部屋に集まり、姉の描写を聞いて、良い最後の時を、母の旅立ちを感謝し、喜び、安堵しました。

1925年、大正14年7月28日生まれの母郁子は、享年百一歳、満年齢では百歳に一ヶ月ちょっと足らない99歳の大往生を遂げました。